2011年11月18日
「人の命の価値に大小はない」
っていうのはよくいわれる「理想」ですが,果たしてそうなんだろうかと,最近思う時がある。
生命保険で,死亡した時の受取金額は,ある意味「その人の命の価値」という見方もできる。
掛け金が高い方がもらえる金額が高いからだけどね。
掛け金が高いってことは,それだけ払えるってことだ。
つまりはそれだけ稼げるってことだ。
経済を主体に考えると,稼げる人の方が価値があるという言い方ができる。
あ,その考え方が真に正しいかどうかは別ですよw
でも世の中では命のお金を決めちゃう制度っていうものが公然と存在するのは確か。
社会的生産性という面で考えると,寝たきり老人よりも元気な若者の方がはるかに生産性,社会貢献度は高いから,価値があるという言い方ができる。
ただし,寝たきり老人であっても過去何十年も生き抜いてきた間に社会に対して行ってきた功績がある。
過去の功績をたたえ・・・なんていうのは実は最近の考え方で,古くはどの民族も今価値があるかどうかを重要視してきている。
昔は今ほど(食料,物資に関して)豊かではなかったし,寿命も短かった。
今働けるもの,これから働ける者が優先される。
最後に残った一切れのパンを誰が食べるか・・・
つまりそれって,命の価値に差をつけているってことだよね。
命に差はないと言いつつも,優先順位を決めちゃっている。
決めざるを得ない状況があるのも確か。
理想と現実のギャップだよね。
最初に挙げた生命保険は正直だよね。
高齢になればなるほど掛け金は増えるわ加入できなくなるわ。
命に値段をつけるという,とんでもなく非倫理的なことをしているんだけどね,だれもそこを非難することはないよね。
つまり,命に値段をつけることに関して,心の奥底ではみんな許容しているんじゃないかな。
でもそのお値段ってのは,絶対的な価値ではないのだよね。
ものの価値って時代とともに移り変わる。
新しければ価値があって古ければ価値がないということでもない。
命に対する考え方,命の価値だってきっと時代とともに移り変わっているんだ。
生物学的,倫理的に個々の命としては対等であっても,現実問題として社会の中では決して対等に扱われていないわけだしね。
そこらへん,僕たちはもっと認識するべきなんだろうね。
それが正しいかどうかということじゃなく,現実はそうなんだということを。
まずは知ること,そして次に考え,行動すること。
知らなきゃ考えようがないし,考えなしに行動もできない。
直感を頼りにするのはほどほどにw
高齢者がよく「もう歳だからいいですよ」とおっしゃられることがあります。
逆に,生に固執する方もおられます。
いいとか悪いとかじゃなく。
医学の進歩や生活環境の改善も手伝って,たった100年前と比べても人の寿命は格段に伸びています。
この世に存在する生命の中で,人為的に寿命を大きく伸ばしている生き物は人間だけだよね。
そもそもがこれが生態系を大きく乱している原因の一つなんだよね。
究極のエコロジーを目指すのなら,人間は不必要に繁殖し,不必要に長生きしてはいけないんだなと思う。
何が「不必要」なのかを決めることは難しいのだけど。
「長生きがしたい」
そう思うことを否定しないけれど,長生きしたいのは「なぜ」なんだろうね。
何をなすわけでもなく平穏無事に生きる・・・それはそれで素敵な生き方だとも思うのだけど,一方でやみくもに生に固執する生き方は見ていてかっこいいとは思えないだろうし,だからと言って生きること,生きようとすることを否定することはできないし。
本人が生きることを望んでいるのかどうかもわからない状況で,家族の考え方も様々で,生きて欲しいと思うことは家族の傲慢ではないのかという危惧もあり,では生きて欲しいと願うことが罪なのかと問われたら絶対にそんなことはないし,助からない命を機械や薬でつなぎとめることは医療経済から見たら不経済極まりないのだけど,そういう理由で人の命をないがしろにするなんてのはもっての他だし,かといって「命だけは助かった」ことに対してどれだけの意味があるのかを第三者は測り知ることはできないし。
死をいかに受け入れていくか,死をタブー視するんじゃなくてもっと積極的に死とは何かを考える世の中であってもいいのだろうね。
そして医療の発展は「命を引き延ばす」という方向に向いてきた時代もあるのだけど,これからの医療は命よりもその先の未来を価値あるものにできるような発展を遂げて欲しいと思う。
せっかく繋ぎとめた命なら,「生きていてよかった」「生きていてくれてよかった」と思ってもらえる命になればいいな。
命の価値に大小はあるかと聞かれたら,正直「ある」と思う。
でも大小なんて問題じゃないんだよね。
価値があること・・・つまり価値のある命であること,あるいは価値のある命であったことが重要なんだと思う。
それがないから「まだ死ねない」になるのかもね。
自ら地球の生態系を大きく崩しておきながら,さらに自らのために生態系を都合よく操作している人類は,本当に罪深い存在だと思う。
地球上でわがもの顔に資源を掘りあさり,使い尽くす人類。
実は人類なんて地球の一部でしかないのに,地球が自分たちの所有物かのような思い上がり。
どこかの国では「わたしたちは地球から資源を借りているんだ」という教育をしているのだが,世界中がそんな思いを抱いて生活できるようになれば,ちょっとはましな世の中になるのかもね。
Posted at 2011/11/18 19:10:02 | |
トラックバック(0) |
考えよう | 日記
2011年11月10日
家でも職場でも学校でも公共機関でも何でもかんでも。
「これって使いにくいよね」
「これって間違ってるよね」
って思うこと,多くない?
さっきのブログは下駄箱だけどw
他にもあるよね。
例えば,岡国のトイレはなぜ和式しかないんだとかwww
うちの職場では3年前にパソコンのシステムを全て変更したんだ。
そしたらあちこちから様々な問題が出てきたわけだが・・・
その問題点を指摘する人って,全職員の中でも一握りなんだよね。
それらの問題を解決するチームを立ち上げなければ収拾がつかないということで,何人かがそのチームのメンバーに抜擢された。
僕もそのメンバーに入って様々な部署から送られてくる問題点や改善要望に目を通したわけだが,事実それらを提出してくるのは同じ人たちばかり。
300人以上いる職員の10人くらい。
5%にも満たない。
みんな使いにくいとかいろいろ思ってるし,初期にはバグなんかもあちこちから出てきていたのだが,黙ってるんだよね。
言っていくべき場所がわからない,というのもあるのかもしれないが,トラブルがあった時の連絡先なんてディスプレイの淵にご丁寧に貼ってあるんだけどねw
言わなきゃいつまでたっても解決しないのにさ。
結局代わりに書いてあげたりすることもあるんだけどね。
でも,実際に困っている本人が書かないと意味がないよね。
最終的には本人に詳しいこと聞くしかないんだからさ。
何かあると苦情を言うと,すぐにクレーマー扱いされちゃうよね。
きっとそういうのを恐れている部分もあるんだ。
でもね,正当な要求なら出さなきゃいけないと思うんだ。
出さなきゃ正当かどうかも判断できないしね。
そして問題点は指摘しないと,次に必ず同じトラブルで苦しむ人は出てくるんだ。
他の人が指摘してくれているだろうとか,他の人が指摘してくれたらいいとか,そういうのは無責任だよね。
見て見ぬふりっていう奴?
向かいの家が火事になったら通報するよね?助けに行くよね?
目の前で交通事故があったら通報するよね?助けに行くよね?
道端で倒れている人を見たら声をかけるよね?
通報しないの?助けに行かないの?見なかったことにするの?
究極,同じことだよ。
その遠慮は時には罪だよ。
ちゃんと気付いた時に報告していれば,すぐに修正できて,次に苦しむ人は苦しまずに済んだかもしれないんだ。
そういう風に考えたことない?
無理な要望を通そうというんじゃないんだ。
「ここはこうした方がよくないですか?」
「ここは間違っていますよ。」
「ここをこうしたらエラーが出るんですが」
そういうことを指摘するのはクレーマーか?
違うでしょ。
だからもっとみんな堂々と改善要望は出していくべきだと思うんだ。
それを受け入れるかどうかはまた別問題でしょ。
問題点があることを知らせなきゃ,いつまでたっても問題点はないのと同じことになるんだ。
いつまでたっても今のままだよ。
人間関係だって同じさ。
我慢して我慢して我慢を積み重ねても,伝えなきゃ伝わらないよ。
別れ間際になって彼氏彼女の過去の言動を取り上げてあーだこーだ言う人いるよね。
そんな時は僕は「そりゃお前も悪い」って言ってやるよ。
言わなかったから伝わらなかった,その積み重ねでしょ?
言ってもわかってもらえないから。
言っても伝わらないから。
・・・言わなきゃもっとわかってもらえないし伝わらないよwww
言っていくべき門戸を開けていない,どこに言っていけばいいのかわからない,そういうところもたまにあるよね。
で,何か言えば無視されたりブラックリスト入りして相手にしてもらえなくなるとかwww
そういう対応するところは何か後ろめたいものがある証拠かもねw
よくできたところはクレーマーの意見すら大事にするからね。
で,下駄箱の件は誰に相談しよう?
Posted at 2011/11/10 22:11:08 | |
トラックバック(0) |
考えよう | 日記
2011年11月07日
第2次世界大戦の敗戦国でありながら急成長を遂げ,世界トップレベルの経済大国になった日本。
バブル全盛期までの日本は実に恵まれすぎたと言ってもいいのではないか。
そしてそうあることに驕り,我を見失った結果がバブル崩壊。
今もまだその幻想を追い求めている。
全員とは言わないよ。
でもね,さして努力もしないくせにいい夢だけ見ようとするのは間違いだよね。
努力しないでいい夢見れるのは一部の天才と一部の強運の持ち主と一部の生まれながらの大富豪と一部のイケメンだけだからねw
えぇ~っと・・・そのどれにも当てはまらない僕は努力するしかないということですか Orz
人間ってのは切羽詰まった状態にならないと本気で動こうとはしない。
夏休みの宿題を8月31日にしたりねw
試験勉強は前日の夜に一夜漬けとかねw
ダイエットだってそうなんだよね。
太ってからダイエット始めるより,そうなる前からやればさほど苦じゃないのにねw
そして一部の人は手遅れになるわけですが。
日本人の多くはそう手遅れになるひとはいない。
古来,努力を惜しむ体質じゃないのよね,農耕民族は。
地に足付けて毎日努力しないと作物は育たないんだから。
ほとんどの人は努力してる。
でも目指すところがそう高くないところだったりする。
中流,中庸,日本人が目指すのはそこ。
平均値でいいと,そして平均値よりちょっと上でいいと思っている。
社会全体を下からじわじわ上に押し上げていくには実はこれは非常に都合がいい性格だよね。
ちょっと努力してちょっと上に上がるなら誰にでもできる。
一攫千金ってのは宝くじ以外では凡人には無理w
日本人はみんな自分が凡人よりちょっと上でいいと思っているから,一攫千金を狙うんじゃなくてちょっと上を狙って努力したんじゃないかな。
だから結果として社会全体が上がっていけたっていう面は何%かあるよね。
でもバブル期にその考えが崩壊しちゃったんだよね。
例え社会構造が大きく壊れ,激変しても,もう一度積み上げていけばいいと思うよ。
日本人はそれができる民族だから。
そしてそれができない人たち,努力もしないで強請りたかりと寄生しかできない人たちは日本から出ていってもらったほうがいいね。
お互いのためにもね。
ついでに言っちゃうとね,医療費でも生活保護でも,それを補助することによってその人が社会貢献できるようになるという人に対して優先すべきと思うんだ。
ただやみくもに全員に支給っていう考え方は社会として正しいとは思えないんだよね。
ゆとり教育と同じだよね。
下にレベルを合わせると上は育たなくなるよ。
1を積み上げていけば100にも1000にもなるけど0は0だよ。
一度に100を積み上げる人から見たら1を積み上げられる人と0しか積み上げられない人は同じに映るかもしれないけど,そこには雲泥の差があるよ。
1でも0でも同じなら1の人はもう1すらしなくなるよ。
働けるのに特に理由もなく働かない人,たくさんいるよね。
働かなくても生きていけるからだよね。
本当は1以上のことができるくせに怠けて0の人が外車を乗りまわしたり大画面テレビ持ってたりしちゃおかしいよね。
そういう人がいるから本当の0の人が悪くみられるんだよね。
そもそも,一族全員0って何だよ?
抜本的にルールを見直し,社会構造を変えていかないといけないよね。
そしてみんなもっと怒らないと。
自分たちの税金をそういう人たちが無駄使いしているんだよ。
政治家や官僚や公務員の給料が高いとか無駄だとか言う以前に,少なくとも彼らはお国のために,日本のために社会貢献しているんだから,もっと先に糾弾されるべき人がいるよねって,思わない?
それは決して弱い者いじめじゃないと思うよ。
そう思うのは,弱いものを育てようとする優しさが欠けてるんじゃないかな。
Posted at 2011/11/07 22:03:16 | |
トラックバック(0) |
考えよう | 日記
2011年10月24日
なんせ情報が多すぎるからwww
情報を整理整頓するために,「順位付け」っていうのは便利。
つまり,ランキングをつけること。
でも,今日言いたいのは格付け(grading)とはちょっと違う。
楽曲の売り上げとか,テレビの視聴率なんかが自分たちでやってるから好きにしなよって感じだけど,それ以外のランキングにはいろいろとくだらないものも多い。
抱かれたくない芸能人ランキングとかwww
ネタとしてのおもしろさは確かにあるんだけどね^^;
よく利用するのは,地方に出張に行ったときの「おいしいお店ランキング」だ。
確かにおいしいお店にありつける。
こういう情報がネットで,しかも携帯端末持ってればほぼ全国どこにいてもすぐに手に入るからすごいよね。
ただね,こういうランキングを絶対視する声には反発をおぼえるね。
まず,本当にすべての選択肢を網羅してあるのかどうか。
そしてその評価の方法に客観性や再現性があり,その順位に意味があるのかどうか。
んでもって,その評価は本当に必要なものかどうか,意義のあるものかどうか。
雑誌なんかでもネタに困れば「全国ベスト100」とかいつもどこかでやってるけど,バカかとwww
ついさっきも「行ってよかった動物園VS水族館ランキング2011」とか見つけたんだけど,そりゃ人がたくさん行くところはランキングも高くなるだろうし,マスコミが宣伝しちゃったところは人もたくさん行くから人気も出るだろうよ。
決して安佐動物園と宮島水族館がランクインしていなかったから吠えてるわけじゃないよwww
ゆとり教育を受けたゆとり世代をバカにする大人たちも多いが,こういうランキングのような「数字」に頼らないと物事を評価できない「偏差値世代」な大人たちの方が実社会ではよほど使いものにならないってね。
地位とか権威とか有名店とか有名人とかを簡単に信じるタイプかもね。
そして虎の威を借る狐的になってウザがられて捨てられちゃって陰口叩くタイプかもね。
↑
あくまで想像ですw
某SNSで「いいね」の数でランクング付けたりしているけどアフォだよねwww
Posted at 2011/10/24 22:12:38 | |
トラックバック(0) |
考えよう | 日記
2011年10月17日
街中を走っていると,よくあんな危険な運転で事故しないよなって思う運転に出くわすことがありますよね。
ま,自分自身も他人からはどう思われているかわかりませんけどね,でも僕は安全な方だと思いますが^^;
なんだろな,車が凶器とか,感じたことがないんでしょうね。
危険を危険と感じてないとか
実は周りを冷や冷やさせていることに気付いてないとか
前しか見てないとか
他の車の運転を見ていると,「あ~あれは危険だな」とか,感じること多いと思うんですけどね。
運転中は余裕がない?いやいや,歩いている時でもあるでしょ。
歩行者で危険な人も多いね。
明らかに動いている車の前や後ろを平気で横切っていく人。
特にバックしている時はドライバーから見えてないかもしれないから危険なのにね。
どちらが悪いという話じゃなく,ケガして損するのは自分なのにね。
子供なら親が注意して欲しいけど,その親も何が危険かわかってないことも多いね。
ショッピングセンターとかの駐車場で走り回る子供は超危険だよね。
事故が起こったら誰が傷つき,誰が痛い目にあい,誰が被害者になるか,考えればわかることなのに。
普段ハンドル握ってる人ならわかりそうな気もするけど,上記のようにわかってない人も多いから期待できないな。
くれぐれも事故には気をつけよう。
Posted at 2011/10/17 17:32:19 | |
トラックバック(0) |
考えよう | クルマ