
岡国やサイポンのことばかりとやかく言ってもアレなので。
どうせ今夜中には何もしないんだろうし。
各地で雨風が強まっているという報告は出ているしJRも止まったりね,尋常じゃないのだけどね。
世界陸上でフライング一発アウトの他にも話題になっているのがこの人。
「
オスカー・ピストリウス」
この人についても意見が分かれるところだよね。
パラリンピックの金メダルを持っている世界記録保持者。
両足が義足。
詳しいことはWikipediaでも見ていただいて。
両足義足のランナーが“健常者”と競走することに異議を唱えている人がいる。
今はまだ彼の記録は“健常者”の記録を抜いていないから大問題にまでは発展していないが,いつか抜く日が来たら・・・どうなるだろうね。
今はまだ賛同している人でさえ,反対する可能性が出てくる。
彼がボルトに勝ったら?
例えばだ,自動車レースでNAエンジンに混じってターボエンジンの車が走ることはどう思うか?
排気量や駆動方式の違う車がレースをするのはどうか?
今後出てくるだろうけど,HVやEVをどう扱っていくか。
車なら,機械なら,レギュレーション通りに車種を変更したりできるから割り切ってできるんだけど,人間の身体はそうはいかない。
あるものを無くすことはできてもないものはどうしようもない。
彼の出場を認めるということは,記録の持つ意味やスポーツの意義が変わってくる。
パラリンピックの存在意義をも問われる。
簡単じゃないよ,この問題。
人間の限界に挑戦するのがスポーツだとしたら,義肢の仕様はイレギュラーだ。
そうすると,今度は数々のアイテム・・・そうだね,例えばボウリングの時に着用するグローブは認めていいのかどうか?
以前某社のスイムウェアが話題になったが,ウェア一つで記録が変わるということをわれわれは知っている。
それをどこまで認めていくんだ?
全てを認めないようにしてしまうと,全員が同じウェアを使うか,あるいは真っ裸でプレイするかのどちらかしかなくなるよね。
全て認めるとなると,今度はパワースーツなんて着てくる可能性だって出てくるわけだ。
どこで線引きするか,ルールで明確にしなければならなくなるのだが,いつの時代でも技術の進歩は人間の想像や理解をはるかに超えて進んでいくため,「ルールが後からついてくる」ことになる。
医療だってそうだ。
犯罪だってそうだ。
全てのルールは過去に起こったことやそこから導き出され想像される事態を想定して作られているからね。
時代が進めば新しいルールが必要になる。
そのルールになじめない人は取り残されていくことになる。
新しいルールは基本的に過去のルールに基づくが,そこから導き出される結果が過去の歴史との間で矛盾を生じるようなことになると困ったことになるよね。
生身の人間の限界に挑むことが100m走の意義だとしたら,そこを歪めるようなルールを採用することは競技が変わることを意味する。
僕はね,これは現時点では分ける方がいいのではないかと思うんだ。
一緒に走ることには異論はない。
でもね,もはやこれは違う競技だと思うよ。
ボルトとピストリウスのどっちが速いかなんて競うのは非常に面白いし,興味があるよ(現時点ではボルトの方が速いのだけど)。
でもやはり“違う”んだ。
いいとか悪いとかじゃない。
もし彼らを同じフィールドで競わせたいなら,新しい競技を作った方がいい。
その方がスッキリする。
「男子 100mスプリント フリー」とかね。
異種格闘技戦と同じように考えちゃダメかな?
僕の考え方が古いですかね?
似たような話で,実は最近気にしていることがある。
現在の医療レベルでは,ある面において人間の身体をもともとの状態よりも強くすることも可能なのだ。
ドーピングの話じゃないよ,合法的な話。
今はまだケガした体にメスを入れて手術で治す,その時に二度とケガをしないように強固にする,というレベルの話ではあるのだが,気を付けないと「健常人の身体にメスを入れて改造人間(強化人間)を作る」ということを誰かがやりかねないし,もっと進歩していけば生前から遺伝子操作することだって可能になる(ガンダムSEEDのコーディネーターだねw)わけだ。
僕はそのことの是非についてもっと議論すべきだと思っている。
治療として必要な場合は仕方がないし,やるべきだと思うが,それで競技に出ることを認めるかどうかはまた別問題になる。
明確なルールがない以上は「反則」ではないかもしれないが,「卑怯」と言われても仕方がない面もある。
結論を出すためにはまだまだ議論が足りないよね。
Posted at 2011/09/02 21:53:04 | |
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