実は僕は産科医になろうと思っていた時期がある。
男性として,生命の誕生に直接かかわることができる,ただ一つの職業だからだ。
(女性は助産師にもなれるし,何よりも自ら産むことができるからね。)
それこそ,産むか産まないか,そういう判断さえ求められることがある。
健康な人が当たり前のように病院を受診するのは産科だけでしょう。
多くの場合,彼女達は「患者」ではないのだ。
そして,1人で受診するのではない。
新しい命とともにやってくる。
「命の誕生は,それこそがまさに奇跡」
産科は大変だと思う。
でも,誇りに思って欲しい。
命の誕生という奇跡に立ち会える職業であるということ。
社会全体で支えていかなければならない。
産まれ来る小さな命のためにも。
「全力を挙げて救おうとした。それで逮捕されるなら医者なんてやってられない。」
日本ほど子供を産み,育てることに優しくない先進国もないだろうね。
はっきり言って子供手当てなんてどうでもいい。
もっと抜本的な改革をしなければね。
産み,育てることの大変さを知らない人が法律を作ってるんだから。
お産の無料化なんて何の疑問も持たずに当たり前のようにやってもいいと思う。
そして産科と小児科は別枠として人員確保と財源確保を行うべき。
ドクターだけではなく,スタッフも含めて。
エコカーに減税や補助金なんていらんからwww
産科医にならなかった僕が「人員確保せよ」なんていうのもおかしいけどさw
火曜日にジーン・ワルツを観てきた。
金曜日には上映終了してしまうから。
どうしても観ておきたかった映画だから。
じゃあもっと早く観に行っとけよってねwww
ちなみに・・・完全貸切状態でしたw
なんせ僕が行ってからスイッチを入れたんじゃないかっていう感じだったもんね。
上映開始から10分たってからの入場だったのに,まだCMやってたし,上映終了時間も予定よりオーバーしてたもんねw
正直言ってストーリーは予想の範囲内。
どこまでも先が読める展開。
人気作品にならないのもわかる気がする。
謎解きみたいなのも少ないし。
タイトルの「ワルツ」の意味も映画ではわからなかった。
製作者はそこらへん考えて作ったんだろうかと疑問を持つ。
こちらに考えろということなのか?
医師として,母親として,女として,娘として・・・みたいな感じだと4つになっちゃうんだよねwww
でもね,120分でいろんな話題を盛り込むには限界があるから,伝え切れなかった部分はあると思うよ。
ちなみに,原作の「ジーン・ワルツ」には「マドンナ・ヴェルデ」という続編がある。
これが4月にNHKで放映されるらしいが,製作スタッフも全く違うし,映画の続編というわけではないだろう。
しかしこれも観てみたい。
面白い映画!としてお勧めすることはできないが,「命」とその「誕生」というものについて考えるためにも,ぜひ観て欲しいなと思う。
あ,でももう上映終わりますね^^;
あと,大事なことなので付け加えておくと・・・
生命の誕生は奇跡である。
そこに人為的操作を加えることは,神への冒涜ではないか。
特に遺伝子操作,クローンなどの技術は,人に対して行うのは法的な規制もされている。
体外受精の是非も問題になる。
代理母の倫理的問題だって解決していない。
産みたい人の産みたい思いを押さえつけることはできない。
産みたいと思うことは決して悪いことではない。
できるかできないかと言われたときに,できる可能性がある方法はある。
だが,それを行っていいかどうかはまた別問題。
産めないという現実を受け止めることも必要なんじゃないかとも思う。
「やりたいからやる」という単純な問題ではない。
やりたくてもできないこと,やりたくてもやっちゃいけないことはこの世の中にたくさんある。
子供を産むという行為だってそうじゃない?
自分の遺伝子に拘り続ける理由はなんだろう。
自分のおなかに身ごもって育て,産む,そのことに意義を感じるとすれば,では代理母とはいったい何だろう。
僕自身は,自分に子供ができないとしたらその時はこうしようという考えがある。
しかも男だから,自分が身ごもることはないから,だからそこに強く拘っていないだけなのかもしれないが。
産みの親になることが親になるための必須条件ではない。
世の中の大半の人はこの問題に悩むことはないだろう。
だからこそ知って欲しい。
考えて欲しい。
そして自分なりの答えを見つけて欲しい。
例え間違っていたとしても・・・だ。
そう思った。
ということで,機会があったら観て欲しい。
映画の上映は終わるけど,DVD出るだろうし,続編もやるから。
小説は本屋に行けばあるしw
Posted at 2011/03/11 03:27:02 | |
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