
本州と四国が船を遣わなくても安く渡れるようになりました。
みんなが車で移動します。
その結果・・・誰もフェリーを使わなくなりました。
そうすると,フェリー会社はつぶれます。
島に住んでいた人の生活はどうなってしまうのでしょう?
僕はね,フェリー会社がなくなることに関してはあまりとやかく言うつもりはありません。
瀬戸内海には多くの船が行き来しています。
港を整備することにより,海岸線は人工的に破壊されていきます。
船や港の数を減らすだけでも海は穏やかになり,事故も減ります。
環境にとっては決して悪いことばかりではないのです。
そうは言っても,減る船の数なんてたかが知れてますが。
フェリーそのものが本当に必要だったのかどうかの議論をしないうちからフェリーがなくなったことで「その政策が間違っていた」と断定するのは良くないと思います。
でも,そこで働いていた人たちの生活の保障を,「高速1000円均一」なんていうバーゲンセールを考えた政府が考えていたかというと・・・考えてないですよね。
それに船が減れば造船業な下火になるかもしれません。
島民の生活の保障は・・・
実はここには一つの問題があります。
島に住む人たちは,なぜ島に住んでいるのでしょう?
昔から住んできて慣れ親しんだ土地を離れたくないから?
“効率化”
それを考えれば島に住んだり,山奥に住んだりするのは決して誉められたもんじゃないですよ,という話があります。
人が住むためには必要なものがあります。
電気,ガス,上水道,下水道,交通手段,放送電波,電話,郵便・・・
インフラと呼ばれるものです。
数え上げればきりがありません。
島に住む住民のためにも,山奥に住む住民のためにも,インフラの整備は必要です。
インフラの整備には,実は税金が投入されているということを知らなければなりません。
たった一人でも住民がいれば,そこに電気を引き,ガスを引き,水道を引き・・・いったいいくらお金がかかるでしょう?
そして,初期投資だけではなく,維持費にも莫大な費用がかかるということを知らなければなりません。
そこに住む人がその費用をすべて自己負担するというのなら,誰にも文句を言われる筋合いはないのですが,その費用はほとんどが税金で賄われているのです。
そこに住む人がそれだけの投資に見合うだけの税を納めているのならいいでしょう。
ですが,実際にはどうでしょう?
“税金の無駄使い”
そう言われても仕方ないですよね。
そこに住まなければいけない理由は何だろう?
「あなた方がここに住むことによってインフラの整備,維持にこれだけの費用がかかり,それらは税金で賄われています。過去,現在,そして未来にあなたが納める税金の試算はこれだけになります。国,自治体としてはあなた一人のためにその差額分を支払っていることになります。しかもそれは,他の方の納めた血税です。あなたがここに住み続け,それによってこれだけの税金が使われているということを予算委員会にかけ,否決された場合にはここにはもう水道も電気も何もかもなくなりますがよろしいですか?それとも,ある程度の資金的援助をしますので,もっと街に近いところに引っ越してみませんか?」
どうしてもそこに住みたいのなら,文明とは決別した方がよさそうです。
文明だけではありません。
急病時に,救急車の到着までに何時間もかかる・・・いえ,そもそも救急車を呼ぶための電話もできない。
ある程度の人数が集まったところなら,上記のようにはなりません。
ですが,効率を考えた土地利用を考えなければならないでしょう。
半径1kmに4軒の家があるとして,バラバラに建てるよりは,中心あるいは辺縁に4件ならべて建てた方がインフラの整備にも費用がはるかに少なくて済みますし,ご近所付き合いも生まれます。
国や自治体の予算は無限ではありません。
税金を納めているからと言って,住民はわがままを言っていいのではないのです。
限られた予算をいかに有効に使うか,そのためには,住民も協力する必要があります。
さて,高速道路が1000円になってフェリーがなくなって島の住民が困るよという話でしたが・・・なぜこんな話になったのかというと,カンのいい人ならお気づきでしょう。
島民も,自治体も,島に住むということの意義を考えてみるべきだという点。
本当に島に住むことが意味のあるものであるならば,国も自治体も,島と島民に対しての支援,配慮をもっと本気で考えて欲しいという点。
島に住み続けるために,インフラを中心にどう効率化を図っていくのかを島民も本気で考えるべきで,そのためにはあきらめなければならないこともあるのだということを理解しなければならないのだという点。
「もしかしたら自分の要求は単なるわがままに過ぎないのじゃないか」と一度客観的に考えてみてはいかがでしょうか。
誰かのために誰かが犠牲になる政策が“いい政策”だとはとてもじゃないけど言えません。
そんな政策ならだれでも思いつきます。
それでも,みんなで痛みを分かち合う政策なら納得ができようものですが,特定の誰かだけが潤って,特定の誰かだけが犠牲になっては,結局何の意味もないばかりではなく,本当の意味で“愚策”と呼ぶしかありません。
さて,「高速1000円均一」が“愚策”である理由はそれだけではありません。
この続きはまた後ほどw
Posted at 2009/06/30 14:34:33 | |
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