2011年12月01日
お久しブリーフ(古w
僕は仕事から帰る時,靴を履き替えます。
なんとなくだけど,ONとOFFの切り替えにも役立つかなと思って。
え?パンツも履きかえろ?www
制服で出勤して,制服で仕事して,制服で帰宅する人たちって,どうやってONとOFFの気持ちの切り替えをしているんだろう?
まさか「家に帰るまでが○○ですよ♪」でしょうか?
切り替えって大事だと思うよ。
完全なOFFの時間を作る,しかも無理矢理にでも,それって心のケアに重要だと思う。
働くときは働き,遊ぶ時は思いっきり遊び,寝るときは寝る!
っちゅうことで帰ります。
Posted at 2011/12/01 22:10:08 | |
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ただの日記 | 日記
2011年11月24日
気付いている方もおられるのかもしれませんが
ここのところブログの更新のペースが落ちています
わざとですw
今後も不定期にアップはしますが
かなり頻度は落ちるでしょう
ここでしか連絡の取れない方々もおられるので
ID抹消は致しません
Facebookの方は毎日更新しています^-^
Posted at 2011/11/24 12:55:05 | |
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ただの日記 | 日記
2011年11月21日
ちょwww
まさかの震源地www
さっきデスクに戻ったら大量のメールが!!!
スパムメールかと思ったでござるwwwwwww
まだ職場におりますが身体は無事です。
警察官に聞きましたが今のところ町の中では問題はなさそうです。
ニュース以上の情報はなさそうです。
心配してくださったみなさんありがとね^-^
ただし・・・これから家に帰るのですが,積み上げてあった荷物が崩れてないかどうかが心配www
笑っていられるからよかったよ。
Posted at 2011/11/21 21:50:30 | |
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ただの日記 | 日記
2011年11月20日

某車が作業中

Posted at 2011/11/20 11:30:04 | |
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本当は走りたいのにサーキットの見学 | クルマ
2011年11月18日
「人の命の価値に大小はない」
っていうのはよくいわれる「理想」ですが,果たしてそうなんだろうかと,最近思う時がある。
生命保険で,死亡した時の受取金額は,ある意味「その人の命の価値」という見方もできる。
掛け金が高い方がもらえる金額が高いからだけどね。
掛け金が高いってことは,それだけ払えるってことだ。
つまりはそれだけ稼げるってことだ。
経済を主体に考えると,稼げる人の方が価値があるという言い方ができる。
あ,その考え方が真に正しいかどうかは別ですよw
でも世の中では命のお金を決めちゃう制度っていうものが公然と存在するのは確か。
社会的生産性という面で考えると,寝たきり老人よりも元気な若者の方がはるかに生産性,社会貢献度は高いから,価値があるという言い方ができる。
ただし,寝たきり老人であっても過去何十年も生き抜いてきた間に社会に対して行ってきた功績がある。
過去の功績をたたえ・・・なんていうのは実は最近の考え方で,古くはどの民族も今価値があるかどうかを重要視してきている。
昔は今ほど(食料,物資に関して)豊かではなかったし,寿命も短かった。
今働けるもの,これから働ける者が優先される。
最後に残った一切れのパンを誰が食べるか・・・
つまりそれって,命の価値に差をつけているってことだよね。
命に差はないと言いつつも,優先順位を決めちゃっている。
決めざるを得ない状況があるのも確か。
理想と現実のギャップだよね。
最初に挙げた生命保険は正直だよね。
高齢になればなるほど掛け金は増えるわ加入できなくなるわ。
命に値段をつけるという,とんでもなく非倫理的なことをしているんだけどね,だれもそこを非難することはないよね。
つまり,命に値段をつけることに関して,心の奥底ではみんな許容しているんじゃないかな。
でもそのお値段ってのは,絶対的な価値ではないのだよね。
ものの価値って時代とともに移り変わる。
新しければ価値があって古ければ価値がないということでもない。
命に対する考え方,命の価値だってきっと時代とともに移り変わっているんだ。
生物学的,倫理的に個々の命としては対等であっても,現実問題として社会の中では決して対等に扱われていないわけだしね。
そこらへん,僕たちはもっと認識するべきなんだろうね。
それが正しいかどうかということじゃなく,現実はそうなんだということを。
まずは知ること,そして次に考え,行動すること。
知らなきゃ考えようがないし,考えなしに行動もできない。
直感を頼りにするのはほどほどにw
高齢者がよく「もう歳だからいいですよ」とおっしゃられることがあります。
逆に,生に固執する方もおられます。
いいとか悪いとかじゃなく。
医学の進歩や生活環境の改善も手伝って,たった100年前と比べても人の寿命は格段に伸びています。
この世に存在する生命の中で,人為的に寿命を大きく伸ばしている生き物は人間だけだよね。
そもそもがこれが生態系を大きく乱している原因の一つなんだよね。
究極のエコロジーを目指すのなら,人間は不必要に繁殖し,不必要に長生きしてはいけないんだなと思う。
何が「不必要」なのかを決めることは難しいのだけど。
「長生きがしたい」
そう思うことを否定しないけれど,長生きしたいのは「なぜ」なんだろうね。
何をなすわけでもなく平穏無事に生きる・・・それはそれで素敵な生き方だとも思うのだけど,一方でやみくもに生に固執する生き方は見ていてかっこいいとは思えないだろうし,だからと言って生きること,生きようとすることを否定することはできないし。
本人が生きることを望んでいるのかどうかもわからない状況で,家族の考え方も様々で,生きて欲しいと思うことは家族の傲慢ではないのかという危惧もあり,では生きて欲しいと願うことが罪なのかと問われたら絶対にそんなことはないし,助からない命を機械や薬でつなぎとめることは医療経済から見たら不経済極まりないのだけど,そういう理由で人の命をないがしろにするなんてのはもっての他だし,かといって「命だけは助かった」ことに対してどれだけの意味があるのかを第三者は測り知ることはできないし。
死をいかに受け入れていくか,死をタブー視するんじゃなくてもっと積極的に死とは何かを考える世の中であってもいいのだろうね。
そして医療の発展は「命を引き延ばす」という方向に向いてきた時代もあるのだけど,これからの医療は命よりもその先の未来を価値あるものにできるような発展を遂げて欲しいと思う。
せっかく繋ぎとめた命なら,「生きていてよかった」「生きていてくれてよかった」と思ってもらえる命になればいいな。
命の価値に大小はあるかと聞かれたら,正直「ある」と思う。
でも大小なんて問題じゃないんだよね。
価値があること・・・つまり価値のある命であること,あるいは価値のある命であったことが重要なんだと思う。
それがないから「まだ死ねない」になるのかもね。
自ら地球の生態系を大きく崩しておきながら,さらに自らのために生態系を都合よく操作している人類は,本当に罪深い存在だと思う。
地球上でわがもの顔に資源を掘りあさり,使い尽くす人類。
実は人類なんて地球の一部でしかないのに,地球が自分たちの所有物かのような思い上がり。
どこかの国では「わたしたちは地球から資源を借りているんだ」という教育をしているのだが,世界中がそんな思いを抱いて生活できるようになれば,ちょっとはましな世の中になるのかもね。
Posted at 2011/11/18 19:10:02 | |
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考えよう | 日記