これは私とエボⅣの約5年間の記録である・・・
(文章におかしな点が多々見られると思うがご了承して頂きたく)
Prologue~ランエボ購入への道
私は幼い頃から,三菱の4WD車に異常なまでの憧れがあった。
一つに,父親がクロンカンブーム時にデリカを乗っており,よく一緒に河原のオフロードコースや静岡にある「モビリティパーク」へと連れて行って貰ったのが影響していると思う。
また,パリダカトークライブ等にも良く連れて行って貰い,小学校低学年の頃から「パジェロ」や「ランサー」「篠塚健次郎」,「増岡浩」と云った固有名詞を常に口にしていた・・・
私の中でパリダカで活躍するパジェロは当に憧れの的だった。
そんな私が次に衝撃を受けたのは,WRCである。パリダカと違い,細く狭い未舗装路を全開で抜けていくラリーカー・・・
時速200kmを越える速度からの大ジャンプ,そして僅かなカウンターステアでコーナを駆け抜けていく姿・・・
パリダカとはまた違った魅力・・・当時,小学校高学年の私はもう夢中になった。
その時代というのが,97年・・・WRカー初年度である。
前年度までGr.Aカーで戦っていたスバル,トヨタ,フォードがWRカーへ移行する中,唯一市販車との繋がりを主張しGr.Aカーで戦う事を決めた三菱。
不利な状況にも関わらず,他社を圧倒するランエボ&トミ・マキネン・・・
「格好いい!」の一言しかでない。新たに私の憧れの的となるのは必然だった・・・
そして時は流れ・・・私はラリーメカニックを夢見,整備士が取れる高校へと進んだ・・・
もちろん夢はラリーである。(この時点では,まだパリダカの方が憧れが強い)
以前パリダカドライバーの増岡浩氏は「メカを知らないとラリーでは勝てない」と云った。
私も当にその通りだと思った。ラリーはサーキット違い,ピットに戻ればメカニックが直してくれるとは行かないのだ。
ラリー中に何かトラブルが起きれば,自分達で直さなければ即リタイア・・・
その為には一から自動車の構造を知らなければいけない。
自分で云うのも何だが,高校では精一杯勉強を頑張った。
私は高校の卒業と共に整備士を取得した。
しかし,高校で得られる知識では全く通用しないのも解った。
ではどうする?大学で学ぶしかないと思い,私は進学を決意した。
そして2005年,某大阪○○大学・・・
高校の卒業と共に自動車免許を取得した私は,父のエアトレックターボを乗り回し初めての4G63ターボに感動を覚えるのである。
そして,大学では必然のごとく「自動車部」への門を叩くのである・・・
しかし,我が大学の自動車部は悲惨な物であった・・・
部室はヘビースモークで息をするのも苦しく,ピットはと云うとゴミ屋敷に近い・・・
メインの競技はと聞くとドリフト・・・しかも見た目はどこからどう見てもヤン車・・・「ラリー等はやらないんですか?」と聞けば,「やりたきゃ,おまえが主将になってやれば?」といった状況。
私はショックを受けた。ただのヤンキーの集まりにしか見えなかった。
この状況では自分で始めた方が早い。こんな所にいても時間の無駄・・・
自動車部は3ヶ月で辞めた。
私は自らやりたい事をやる為に,必死にアルバイトをし,愛車購入資金を貯めようと決意した。
約一年後・・・頭金は貯まった。足りない分は親に借りる・・・
遂にランエボ購入が目の前に迫ってきたのである・・・
Posted at 2011/06/18 21:46:39 | |
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