とってもいいお天気になるという予報で、「牛久城址」に行ってみようとドライブしてきました。
今回もオデくんです。
「千勝(ちかつ)神社」(つくば市)に立ち寄りました。
参道下の駐車場に停めましたが、上に舗装された広い駐車場がありました。
猿田彦大神(千勝大神)を祭る神社です。
天孫降臨の際、天孫一行をより良き地へと導いた神で、家庭円満の道、仕事や経営の道、合格への道、旅や移動の道、などなどに障害が生じた時、それを打ち祓って願いを叶えてくれる「諸願成就の神」だそうです。
「旅や移動の道」に障害?
今日も無事故・無違反で過ごせますように。
どうかスチグレくんが直りますように・・・
って、巫女さんに気を取られてるようではダメですか? (;^_^A
下妻市に「千勝神社下妻社(元宮)」があるようです。
参拝した後、牛久市へ。
本日のメインイベント「牛久城」攻城です。
「市営牛久城跡観光専用駐車場」(牛久市)に停めました。
戦国期、この地は後北条氏と佐竹・多賀谷氏が激しく対立する“境目”であり、城郭が数多く築かれたそうです。
「牛久城」は佐竹氏の南進に備えるために岡見氏が1550年ごろに築城したと伝わります。
天正15(1587)年、下妻の多賀谷氏の攻撃で、岡見氏の有力支城である谷田部城や足高城は落城するも、牛久城はかろうじて多賀谷氏の侵攻から守り切ったそうです。
しかし天正(1590)年、秀吉の小田原攻めの際に牛久城は落城。秀吉により由良国繁が城主となるものの元和9(1623)年に廃城となっています。
民家わきから攻城です!
「腰廓」?
土橋(?)を渡ると・・・
いきなり「本丸」?
当時は三方を牛久沼に囲まれてたようなので、本丸側の防御は薄かった?
戻って北に進むと・・・
「二の丸」?
本丸より高い感じがしたのですが・・・
土橋(?)を渡って「木戸口」の方へ。
畝堀?
「三の丸」に出ました。
こちら側に説明板がありました。
東西約800m、南北約1kmに及ぶ惣構えの城で、北条流の築城技術を取り入れた複雑な縄張りだったようです。
数年前までは歩くことも困難だったみたいですが、歩きにくい所はなく、保存整備に感謝です。
順路などの表示は無く、帰宅してからネットで調べて、あそこが「本丸」?という感じですが、それもまた面白いです。
【参考にさせていただいたサイト】
お城散歩 日本の城のガイドブック/ガイドマップ 牛久城
攻城を終え、「かっぱの小径」を歩いて「河童の碑」を見に行くことに。
「(特養)元気館」の方のおクルマ? 好きなのばっかり!
「河童の碑」、てっきり牛久沼の畔にあると思ってかなり先まで行って引き返し・・・
「牛久市住井すゑ文学館」(牛久市)
庭と展示ギャラリー「抱樸舎」は無料公開。
住井すゑ(1902 - 97)は、大ベストセラー『橋のない川』で知られる奈良県出身の作家です。
この地は夫・犬田卯の郷里です。
2018年に建物・土地がご遺族より牛久市へ寄贈され、改修し2021年に開館されました。
展示棟は\100。写真撮影はNGです。
中には住井すゑが使っていたテーブルや万年筆、蔵書類がありました。
係の方がとてもていねいに案内してくださいました。
「牛久市住井すゑ文学館」から少し歩くと・・・
「小川芋銭記念館 雲魚亭(うんぎょてい)」(牛久市)
河童の絵を数多く残したことから『河童の芋銭』と呼ばれる画家・小川芋銭(おがわうせん 1868 - 1938)が最晩年に建てた住まいを兼ねたアトリエです(市指定文化財)。
牛久藩の重職にあった父が廃藩置県により失職し、一家はここに移り住んだようです。
当時のまま、とてもきれいに無料公開されてます。写真撮影はNGです。
現在もすぐお隣にご子孫が住まわれてるとのことでした。
「カッパ松」
その昔、いたずらカッパをこの松にくくりつけて殺そうとしたところ、カッパがあまりに泣いて詫びるので、気の優しい若者は、二度と悪事をしないことを約束させ放してやると、それ以来、沼で溺れる人はなくなった・・・
「改善一歩の道標」
大正11(1922)年に城中青年会が旧牛久村の主要な道すじに立てた道標の一つで、小川芋銭が「永久に耐えられる石柱にしなさい」と寄付してくれたもので、現在7本が地区内に残っているとのこと。
青年会が芋銭先生の名を刻もうとすると、「改善一歩」と刻むよう言われたそうです。
“自分の歩む道を善い方へ改めて進みなさい”という意味だそうです。
「河童の碑」(市指定文化財)
昭和27(1952)年に芋銭を敬慕する人々によって建てられた碑です。
一旦、駐車場に戻り、クルマで「徳月院」へ。
かつての城主・由良国繁(ゆらくにしげ)の母・妙印尼(みょういんに)の墓碑である五輪塔や小川芋銭の墓があるお寺です。
入ってすぐ左手のお堂に「閻魔大王」と「奪衣婆(だつえば)」の座像がありました(ともに市指定文化財)。
「閻魔」は死者を裁く十王の中の第五の王で、死後五七日(35日目)忌の審判に当たるという・・・死者の衣を奪う「奪衣婆」は閻魔の妹なんだそうです?!
芋銭の作品『樹下石人談』のモチーフとなった榧(かや)は推定樹齢450~500年の大木(市指定文化財)。
本堂裏手に小川芋銭の墓と妙印尼(みょういんに)の五輪塔がありました。
妙印尼は戦国屈指の女傑だったそうで、その母のおかげで国繁は牛久に所領を得ることができたそうです。
この後、ランチとしました。
「中華団欒食堂りんりん」(牛久市)
ネット情報で塩ラーメンが美味しいというお店です。11:30開店で15分程並びました。開店時点で約10人位並んでました。
待つ間、隣に座ったおばちゃんたちと少々会話を。「女化神社行って来たのけ?」と聞かれ、面白そうな感じだったので、帰りに寄ってみることにしました。
塩ラーメンも美味しそうだったのですが・・・
「とつげきラーメン+ジャンボ餃子(4ケ)」\1,090
「中華丼」\730
いや、とても美味しかった~
で、食後に・・・(;^_^A)
しばらくぶりに来てみたら・・・
?!!? 俊ちゃんが\550 、ずうとるびが\1,100~ ?!!? ( ゚Д゚)
で、お買い上げはコチラ↓
タツローの「IT' A POPPIN' TIME」\16,500 ではなく、
松崎しげると寺尾聰の2枚(どちらも\110)(;^_^A)
この日最後は、おばちゃんたちに教えてもらった「女化(おなばけ)神社」(龍ケ崎市)。
Wikipediaには「社地は牛久市女化町内の飛地にある。」・・・ってどういう意味? 牛久市なの? 竜ヶ崎市なの?
祭神は保食命(うけもちのかみ)で、五穀豊穣・商売繁盛の女神だそうです。
「女化稲荷社」→「保食神社」→「女化神社」へと改名した歴史があるようですが、「女化稲荷神社」と呼ばれることが多いようで、現在の社殿は平成14(2002)年に再建されたものです。
周辺は「女化原」と呼ばれる元原野で、『女化物語』という民話が伝わり、その一つは、牛久城主岡見氏の老臣・栗林義長が猟師に狙われていたキツネを助けると、社前に亡き妻に似た女がおり・・・というような・・・
確かに原野かも・・・
いやあ、近場にこんな面白いところがあったなんて・・・また訪れたい牛久市です! 竜ヶ崎市も!
帰り道、牛久学園線(国道408)のアメリカフウ(モミジバフウ)がきれいでした。