
クルマ・ジャケコーナー第54回は、Randy Meisnerの「One More Song」(1980)です。
前回
(第53回)「natural high」/原田真二(1979)で、
『ベースを弾いたBryan Garofalo(ブライアン・ガロファロ)は,Randy Meisner(ランディ・マイズナー)のアルバムにも参加している』
という複雑な流れからの取り上げです。(笑)
Randy Meisner(ランディ・マイズナー)、ご存じでしょうか?
Poco(ポコ)、Eagles(イーグルス)の創設メンバーでベーシスト・ヴォーカリストです。
マイズナーは、1968年に、Buffalo Springfield(バッファロー・スプリングフィールド)を解散したリッチー・フューレイ、ジム・メッシーナのオーディションを受け、彼らとともに「Poco(ポコ)」を結成しますが、1stアルバムのリリースを待たずに脱退してしまいます。
1971年に、Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタット)のバック・バンドのメンバーとして採用され、そこでDon Henley(ドン・ヘンリー)、Glenn Frey(グレン・フライ)と出会います。
リンダの3rdアルバム「Linda Ronstadt」(1972)

マイズナーはA5でベースを、B3,5でコーラス担当してます。
リンダは、4th「Don't Cry Now」(1973)で、Eaglesの『Desperado(ならず者)』を最初にカヴァーしています。
『Desperado』のカヴァーといえば、カーペンターズの5th「Horizon(緑の地平線〜ホライゾン)」(1975)もお馴染みですね。

ここでの邦題は「愛は虹の色(デスペラード)」!?
A2『Only Yesterday』はもう大好きな曲です。
話がいつものようにだいぶそれてきましたね。 (^-^;
マイズナーに戻します。
・・・そして、ドン・ヘンリー、グレン・フライ、Bernie Leadon(バーニー・リードン)と、Eaglesを結成!(1971)。

一歩下がっているのがマイズナー。いつもそんな感じ・・・(^-^;
1stアルバム「Eagles(イーグルス・ファースト)」(1972)をリリースします。
このアルバムでは『Take the Devil』、『Tryin'』でリードボーカルをとってます。
2nd「Desperado (デスペラード)」(1973)では『Certain Kind of Fool(その種の愚か者)』、『Saturday Night』の作曲に関わり、歌っています。
3rd「On The Border(オン・ザ・ボーダー)」(1974)では『Is it true ?』を書いてます。
この歌いいですねえ。 『Midnight Flyer』でもリードボーカルをとってます。

この3rd、かなり好きです。
マイズナーの『Is it true ?』を筆頭に、『My Man』『James Dean』『The Best Of My Love(我が愛の至上)』などいい曲がたくさん!
スライドギターで参加したDon Felder(ドン・フェルダー)が正式加入し5人に。彼は後に『ホテル・カリフォルニア』を作曲します。
4th「One Of These Nights(呪われた夜)」(1975)では、なんといってもイーグルス初のミリオンセラー・シングル『Take It To The Limit』!『Too Many Hands』でもリードボーカルをとってます。
この後、カントリー志向の強かったバーニー・リードンが脱退し、Joe Walsh(ジョー・ウォルシュ)が加入。
4thの後に出されたベスト盤「Their Greatest Hits 1971-1975」(1976)

全米1位・全英2位を記録し、アメリカでは2018年までに3800万枚以上を売り上げ、アメリカレコード協会(RIAA)に、米国で1番売れたアルバムとして認定されています(2位はマイケル・ジャクソンの「Thriller(スリラー)」(1982))。
そして、5th「Hotel California(ホテル・カリフォルニア)」(1976)

A2『New Kid in Town』が大好きです。ホール&オーツに捧げた曲ということですが、この曲が全米1位になった約一月後、ホール&オーツは『Rich Girl』で初の全米No1に輝いてます。
♪ 街に新顔が現れた きみに代わる新しい人気者 みんなそいつの噂してる・・・
「Bigger Than Both of Us」/Daryl Hall & John Oates(5th 1976)
まさにこの後、ホール&オーツは、全米 No1ヒット6曲、トップ10入16曲と人気者になっていくわけです。ホール&オーツにもハマったなあ・・・
そして、、、マイズナーは、絶頂期のツアー中にイーグルスを脱退します(1977)。
ジョー・ウォルシュが加入して、よりロック寄りになったことや、多忙な生活に疲れたことなどが重なったことが理由といわれています。
後任には、ポコでもマイズナーの後任を務めたTimothy Bruce Schmit(ティモシー・B・シュミット)が加入。
ティモシーは、6thアルバム「The Long Run (ロング・ラン)」(1979)で『I Can't Tell You Why(言いだせなくて)』で作曲に関わり、リード・ボーカルをとってますね。全米8位のヒットとなっています。
2枚組のLive「Eagles Live(イーグルス・ライヴ)」(1980)

1976年10月と1980年7月のライヴが収録されています。1976年がマイズナー、1980年がティモシーがベースですね。
マイズナーは、C3『Take It to the Limit』で、鳥肌もんのハイトーン・ボイスを披露し、「Randy Meisner」と紹介(?)されてます。
1982年、イーグルスは解散を発表。
メンバー間の軋轢や、曲作りのスランプなどが原因と言われています。
その後、イーグルスは再結成され、「Hell Freezes Over」(1994)、「Long Road Out Of Eden」(2007)を発表。共に1位を獲得していますから、アメリカでの人気には根強いものがありますね。
ランディ・マイズナーは、イーグルス脱退後ソロとして、「Randy Meisner」(1978)、「One More Song」(1980)、「Randy Meisner」(1982) を、時を置いて 「Dallas」(2002 )、「Love Me or Leave Me Alone」(2005)を発表しています。
さてさて、本日ご紹介のクルマジャケ・レコはマイズナーのソロ2nd
「One More Song」/Randy Meisner(1980)
アルバムタイトル曲B1『One More Song』にはイーグルスのグレン・フライとドン・ヘンリーがバックコーラスで参加しています。仲が悪かったという話もありましたが・・・。
ラストB4『Anyway Bye Bye』は、古巣、ポコの曲。
グレン・フライやドン・ヘンリーのようには売れませんでしたが、この2nd、AORの名盤として紹介されることもあります。
前回も書きましたが、なぜ、他のベーシストを使っているのでしょうか・・?
ヴォーカルに専念、かな?
さて、ジャケの赤いクルマは、、、
「CHEVOLET IMPARA」という情報を得ましたが、どうもエンブレムやグリルが違います・・・。
「BUICK SKYLARK CONVERTIBLE (1963)」ではないでしょうか?

ボンネットの「BUICK」の文字は無いですけど・・・
ちなみに、手前の黒いクルマは、フォルクスワーゲンの初代ゴルフではないでしょうか?
Volkswagen Golf(1974 - 92)
言わずと知れた、スタイリングとパッケージングはジウジアーロの手によるビートルの後継車。
正解ならば、またまた「巣ごもり成果」だ~! (^-^;
あ、ランディ・マイズナーは、かなりのクルマ好きのようです~。
こんな画像がネット上にたくさんありました。
【登場車両】
BUICK SKYLARK CONVERTIBLE(1963)?
【自己採点】
クルマ度 6点(赤いオープン。中で居眠りしてるのは誰?)
魅惑度 7点(美女もいるし雰囲気もいいけど・・・1stが欲しい~)
音楽度 7点(Eaglesの影を追わなければ、かなりイイです!)