(納屋でカプまみれ。手前右:初号機、手前左:2号機、奥:友人の五里霧中号)
【2号機/EA21R】
個人売買で購入しました。まるでスズキスポーツのコンプリートカーの如く、初めから社外パーツが多数装着されておりました。
ですのでDIYでいじる余地はわずかしかありませんでしたが、維持面ではそれなりに手をかけました。POR-15をサビに蝕まれたアンダーフロア全面にに刷毛塗りしたり…など。
また、K100ターボキットという、標準仕様約64馬力を約100馬力にするパーツが組み込まれており、ノーマル状態のエンジンの味わいは知ることが出来ず、F6AとK6Aとの純粋な特性の比較が出来ないという贅沢な悩みを抱えたままのカーライフが幕を開けました。
と、こ、ろ、が…ある日自分のせいでエンジンブローさせてしまい、車に気の毒なことをしました。ある車の競技中、ジミ・ヘンドリックスも驚きの紫煙を吐き、直後不動車となってしまったのです。
その後その会場から約100km離れた地元の整備工場まで友人の車で牽引してもらいました。付き合ってくれた友人と、その車のクラッチに申し訳なかったです。
そして整備士による診断結果はもう忘れてしまいましたが、費用対効果で折り合わなかったため、修理せずに自宅まで陸送してもらったと記憶しております。
2号機の余生は、復活した初号機の部品取り車となり、毎週週末に各種パーツを移植する日々が始まりました。
出来る範囲で全て移植し尽くした後、ウマに乗ったまま数年過ごし、納屋解体とともに整備工場にドナドナされていきました。
一緒に過ごした時間は約2年、走行距離1万km足らずでしたが、まるで熱々のカプチーノをガブ飲みしたような強烈なインパクトを私の胸にぶち込んでくれました。
またいつか機会があれば乗ってみたい、所有してみたいです。本当にいい車でした。