「鉄」ネタが続きましたので、今回は久々に隧道ネタでいきます。
今回記事の「
岡阪隧道」は和歌山県田辺市と西牟婁郡上富田町の境に位置する大正時代の古隧道です。過去記事の「
(旧)卒塔婆隧道」訪問の後に立ち寄ってみました。
↑例によってその大体の位置を(グーグルマップ)。参考までに過去記事の(旧)卒塔婆隧道の位置も書き込んでみました。
(旧)卒塔婆隧道から北西方向へ、上富田町を端から端へと移動した所に岡阪隧道があります。
↑そして拡大。かつて和歌山県道35号上富田南部線だった道にある隧道です。新トンネルを含むバイパス開通により、旧道化。現在は県道指定を解除されています。
↑ここが上富田町側の現旧道分岐。右折して旧道に入ります。
↑旧道に入るとこんな道。道は狭いですが、この日の午前中に訪れた卒塔婆峠旧道に比べればここは遥かに快走路…。
↑しばらく進むと集落の中へ。沿道にみかん畑があるのがいかにも和歌山らしい風景です。
↑集落を抜けると目指す「岡阪隧道」が出現!!
↑例によって一旦隧道内を走り抜けてみます。
↑隧道を抜けた先の田辺市側坑門前にて。隧道手前には待避用と思しきスペースがあります。
パイザーの背後、隧道の坑門脇には高さ制限標識と何も付いていないポールの姿が。
この何も付いていないポール、実は県道標識のモノで、かつては青いヘキサゴン標識が頭に付いていました。
↑これが「岡阪隧道」の田辺市側坑門。古風な煉瓦積みで、かなりの存在感があります。
↑制限高は3.1m。車一台分の幅員で、狭小の部類に属します。
↑坑門の左側にはコンクリートで補修した跡が。
それにしても画像右側の石垣から斜めに生えている樹木が気になります…(^_^;)
↑この田辺市側の坑門の特徴…それはこの切石で囲む形で表現された巨大な扁額でしょう。そして隧道名・施工年・工事請負人の氏名が煉瓦に貼り付けられた切り抜き文字で標示されている点が挙げられます。
なかなか凝った造りです。
↑隧道名の右側には「大正二年」の文字。
↑左側には「工事受負人 堀儀太郎」とあります。サイトや文献によっては「堀儀太」と記してある所もありますが、「郎」の文字が判読出来るので「堀儀太郎」としておきます。
↑早速歩いて入洞してみます。
洞内は素掘りですが、白いモルタルにて仕上げられています。なかなかキレイな洞内です。
↑洞内から見た田辺市方面。
↑照明はないですが、短い隧道なので怖い感じはありません。が、夜間は結構雰囲気ありそうです。
この手の素掘り隧道を歩く度に思うのですが、巨大な生き物の体内に入り込んだような感じがします。
↑田辺市と上富田町の境界は隧道内にあります。
↑程なく上富田町側に到達しました。
すぐ近くに民家が見えます。卒塔婆隧道が人里離れた深い山の中に立地しているのに対し、ここは人里の真っ只中。新トンネルが出来ても閉鎖にならなかった理由がこの風景から伺えます。
↑上富田町側の坑門です。こちらも煉瓦積みですが、周辺の緑に押されて風景の中に溶け込み、田辺市側とは対照的な感じがします。
↑ここ上富田町側にもかつて県道標識を掲げていた首なし標識(左)と高さ制限標識(右)が建っています。
↑煉瓦積みポータルですが、どうしても周囲の緑に目が行ってしまいます。
↑上富田町側から見た洞内。モルタル仕上げでも素掘りのゴツゴツ感が良い感じです。
↑例によって動画を。こちらは愛車パイザーでの岡阪隧道通過の動画です。
↓こちらは隧道内歩行動画。どちらもお時間のある方はどうぞ(^^)
↑この後田辺市方面へ向かって旧道を下ったのですが、沿道に人家が見当たらない鬱蒼とした道で、上富田町側とは対照的でした。
↑程なく県道35号線との合流点に到達しました。
↑最後に岡阪隧道前にて撮った我が相棒の姿を。
この日はあと一箇所、近くの古隧道を訪ねてみました。近々UPの予定です。
ブログ一覧 |
現役隧道・トンネル | 旅行/地域
Posted at
2019/01/27 23:03:47