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とりつきいver.2のブログ一覧

2020年11月14日 イイね!

2016年9月29日 大阪府和泉市・河内長野市 府道61号線 塩降隧道

2016年9月29日 大阪府和泉市・河内長野市 府道61号線 塩降隧道
本記事は前アカウント時代に投稿したものですが、過去記事アーカイブスという事にて再投稿してみます。

今から4年前の2016年9月、大阪府道61号堺かつらぎ線にある古隧道「塩降隧道」を訪問してみました。以下、その訪問記です。

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(引用元:グーグルマップ)
↑大阪府和泉・河内長野市境にある延長158mの隧道です。近隣には滝畑ダムがあります。

なお、この塩降隧道を含む滝畑周辺の隧道・トンネルは例によって心霊スポットとしての風評が存在し、塩降隧道は「滝畑第三トンネル」と呼ばれる事もあります。

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↑未舗装区間が今も残るという和泉市側から府道61号線に入りましたが、工事の為終日通行止め…。やむを得ず引き返して河内長野市滝畑へ向かいました。

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↑峠の反対側にあたる河内長野市の滝畑にやってきました。雨上がりで山々にはガスがかかっています。画像の三叉路を右折して府道61号線へ。

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↑滝畑から数分で目指す塩降隧道に到達、まずは一旦通過してみます。



↑隧道を抜けた先で転回して再び塩降隧道に戻ってきました。



↑雨上がりのしっとりとした峠道にて我がパイザー。



↑ここは大阪府和泉市槇尾山町、カントリーサインが木の枝で隠れつつありました。



↑塩降隧道和泉市側坑門。カントリーサインと向かいあわせに建っている府道標識も木の枝に隠れています。



↑1932(昭和7)年竣工の塩降隧道。かつては素掘り・未舗装の不気味な古隧道だったそうですが、2002(平成14)年に補強・リニューアル工事が行われ、現在の姿になりました。

ちなみにその工事を担当した業者さんは過去記事の「中津原隧道」(大阪府南河内郡千早赤阪村)の補強・リニューアル工事も手掛けており、その為に酷似した風貌となっています。



↑坑門の表面からかなり奥まった所に扁額が。

リニューアルに際し、元の坑門の上に被せて新しい坑門を作った為、どうやら扁額の辺りだけ元の坑門が露出しているようです。

この時点でリニューアルから14年を経過しており、坑門の表面は苔生しています。



↑坑口脇には「トンネル点検銘板」が。通行の少ない隧道ですが、人の手が入ってしっかりと管理・維持されている証です。



↑洞内から見た和泉市側の風景。両サイドの路肩から緑に侵食され、通行の少ない道である事を物語っています。



↑この塩降隧道、和泉市側から入るといきなり急カーブになっています。しかもミラーもありません。なので、車両での進入には注意が必要です。



↑洞内から見た和泉市側坑口付近の急カーブ。



↑急カーブを過ぎると長い直線区間が続いていて、洞内はナトリウム灯のオレンジ色の光で煌々と照らされていました。



↑続いて河内長野市側の坑門前へ移動。和泉市側に比べると鬱蒼度150%な空間です。



↑ストレートな坂を登りきった先に隧道がある和泉市側とは対照的に、こちらはカーブした坂の先に隧道があります。



↑反対側と同一仕様の坑門です。



↑石積み風の近代的な坑門ですが、こちら側も経年による変化で、周囲の風景に馴染んできています。



↑河内長野市側から見た洞内。前述の通り、心霊スポットとしての噂がある事と大都市圏に近い為、落書きが多数あります(見苦しいのでモザイク処理済)。

定期的に消しているようですが、消しては書かれのイタチごっことなっています。

昼間は静かで平和な所ですが、夜間は訪れてはいけないスポットです。



↑洞内から見た河内長野方面。



↑今の基準でいくと「狭小」の部類に入る塩降隧道ですが、交通量が極端に少ない為、特に改良の必要はないというのが現状です。



↑塩降隧道から河内長野方面への下り坂。坂を下りきった先に滝畑ダムがあります。



最後にここ塩降隧道付近にて撮った画像を。

個人的にとっても気に入っている一枚であります。
Posted at 2020/11/14 22:21:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域
2019年01月27日 イイね!

2017年11月15日 和歌山県田辺市・西牟婁郡上富田町 岡阪隧道

2017年11月15日 和歌山県田辺市・西牟婁郡上富田町 岡阪隧道「鉄」ネタが続きましたので、今回は久々に隧道ネタでいきます。

今回記事の「岡阪隧道」は和歌山県田辺市と西牟婁郡上富田町の境に位置する大正時代の古隧道です。過去記事の「(旧)卒塔婆隧道」訪問の後に立ち寄ってみました。



↑例によってその大体の位置を(グーグルマップ)。参考までに過去記事の(旧)卒塔婆隧道の位置も書き込んでみました。
(旧)卒塔婆隧道から北西方向へ、上富田町を端から端へと移動した所に岡阪隧道があります。

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↑そして拡大。かつて和歌山県道35号上富田南部線だった道にある隧道です。新トンネルを含むバイパス開通により、旧道化。現在は県道指定を解除されています。

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↑ここが上富田町側の現旧道分岐。右折して旧道に入ります。

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↑旧道に入るとこんな道。道は狭いですが、この日の午前中に訪れた卒塔婆峠旧道に比べればここは遥かに快走路…。

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↑しばらく進むと集落の中へ。沿道にみかん畑があるのがいかにも和歌山らしい風景です。

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↑集落を抜けると目指す「岡阪隧道」が出現!!

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↑例によって一旦隧道内を走り抜けてみます。



↑隧道を抜けた先の田辺市側坑門前にて。隧道手前には待避用と思しきスペースがあります。

パイザーの背後、隧道の坑門脇には高さ制限標識と何も付いていないポールの姿が。
この何も付いていないポール、実は県道標識のモノで、かつては青いヘキサゴン標識が頭に付いていました。



↑これが「岡阪隧道」の田辺市側坑門。古風な煉瓦積みで、かなりの存在感があります。



↑制限高は3.1m。車一台分の幅員で、狭小の部類に属します。



↑坑門の左側にはコンクリートで補修した跡が。

それにしても画像右側の石垣から斜めに生えている樹木が気になります…(^_^;)



↑この田辺市側の坑門の特徴…それはこの切石で囲む形で表現された巨大な扁額でしょう。そして隧道名・施工年・工事請負人の氏名が煉瓦に貼り付けられた切り抜き文字で標示されている点が挙げられます。

なかなか凝った造りです。



↑隧道名の右側には「大正二年」の文字。



↑左側には「工事受負人 堀儀太郎」とあります。サイトや文献によっては「堀儀太」と記してある所もありますが、「郎」の文字が判読出来るので「堀儀太郎」としておきます。



↑早速歩いて入洞してみます。

洞内は素掘りですが、白いモルタルにて仕上げられています。なかなかキレイな洞内です。



↑洞内から見た田辺市方面。



↑照明はないですが、短い隧道なので怖い感じはありません。が、夜間は結構雰囲気ありそうです。

この手の素掘り隧道を歩く度に思うのですが、巨大な生き物の体内に入り込んだような感じがします。



↑田辺市と上富田町の境界は隧道内にあります。



↑程なく上富田町側に到達しました。

すぐ近くに民家が見えます。卒塔婆隧道が人里離れた深い山の中に立地しているのに対し、ここは人里の真っ只中。新トンネルが出来ても閉鎖にならなかった理由がこの風景から伺えます。



↑上富田町側の坑門です。こちらも煉瓦積みですが、周辺の緑に押されて風景の中に溶け込み、田辺市側とは対照的な感じがします。



↑ここ上富田町側にもかつて県道標識を掲げていた首なし標識(左)と高さ制限標識(右)が建っています。



↑煉瓦積みポータルですが、どうしても周囲の緑に目が行ってしまいます。



↑上富田町側から見た洞内。モルタル仕上げでも素掘りのゴツゴツ感が良い感じです。




↑例によって動画を。こちらは愛車パイザーでの岡阪隧道通過の動画です。

↓こちらは隧道内歩行動画。どちらもお時間のある方はどうぞ(^^)



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↑この後田辺市方面へ向かって旧道を下ったのですが、沿道に人家が見当たらない鬱蒼とした道で、上富田町側とは対照的でした。

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↑程なく県道35号線との合流点に到達しました。



↑最後に岡阪隧道前にて撮った我が相棒の姿を。
この日はあと一箇所、近くの古隧道を訪ねてみました。近々UPの予定です。
Posted at 2019/01/27 23:03:47 | コメント(2) | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域
2018年10月13日 イイね!

2017年9月11日 奈良県五條市西吉野町・吉野郡天川村 川合隧道

2017年9月11日 奈良県五條市西吉野町・吉野郡天川村 川合隧道本記事は過去記事「2017年9月11日 奈良県吉野郡黒滝村・五條市西吉野町 笠木トンネル」の続きです。

「笠木トンネル」と共に国道309号線の旧道に存在する「川合隧道」へも行ってみました。

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↑今回記事の「川合隧道」は奈良県五條市西吉野町と吉野郡天川村にまたがる1954(昭和29)年開通の隧道で、前回記事の「笠木トンネル」の南東に位置します。

開通時は県道「大淀上北山線」の一部でしたが、1975(昭和50)年に同線が国道指定された事により、国道トンネルとなりました。バイパスの「新川合トンネル」の着工・開通が遅れた事で「笠木トンネル」よりも長くメインルートの隧道であり続けましたが、現在は国道指定を解除されています。

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↑笠木トンネルを後にして峠をさらに登っていきます。二車線の立派な道ながらもどことなく「廃」な雰囲気が漂う、急勾配の険しい道でした。

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↑それにしてもかなりの急傾斜・・・(;´д`)

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↑バイパス開通後に交通量が激減してしまったこの道、両側から草木に侵食されていかにも「旧道」という雰囲気に満ちています。

左手より笠木トンネルの北にて別れた笠木峠旧旧道が高度を下げつつ接近してきます。

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↑ここが笠木峠旧旧道との合流点。画像の左がその旧旧道です。

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↑旧旧道との合流点を過ぎると道幅は狭くなり、そしてカーブ。

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↑カーブの先に「川合隧道」が待ち受けていました。例によって一旦隧道を通り抜け。抜けた先は吉野郡天川村です。



↑ここまでの動画です(倍速)。



↑川合隧道の天川村側坑口付近にて。いい感じに鬱蒼としています。

笠木トンネルと同じく、ここにも隧道以前の旧旧道が存在していたそうですが、こちらは完全に自然に還ってしまっています。



↑「川合隧道」1954(昭和29)年開通、延長165m(143m説あり)。過去記事の「小名隧道」と同世代の隧道であり、よく似た容貌です。

北西にある「笠木トンネル」が二車線分の幅員と歩道まで備えているのに対し、こちらはやや狭小気味となっています。



↑ポータルの胸壁を覆う苔が、この隧道の歴史を物語っています。



↑建設年代が1950年代という事で隧道を名乗っています。あと10数年遅ければ「川合トンネル」になっていた事でしょう。



↑両端部が鉄製の支保工区画、中央部がコンクリートの区画という構成になっています。ちなみに開通時は素掘りだったそうで。



↑洞内から見た天川村方面。

後日にここから先の道を通行する機会があったのですが、笠木トンネル北側の区間に比べると「酷」度はややユルめでした。



↑次に隧道の北側、西吉野町側へとやってきました。

こちらは天川村側よりも鬱蒼感がよりパワーアップされている感じです。



↑ここから笠木トンネル方面に向かって下り坂が続きます。



↑薄汚れたネクストカントリーサインが寂れた旧道感を演出。五條市西吉野町と天川村の境界は隧道内にあります。



↑川合隧道西吉野町側坑門。

舗装されてはいるものの、坑口付近には大きな水たまりがあり、ダートな路面のように見えます。



↑こちら側の扁額は苔で覆われ、判読が難しくなっています。



↑洞内から見た西吉野町側。



↑鉄板で覆われた区画の向こうにコンクリート巻きの区画、そしてポツンと一箇所だけ灯されたオレンジ色のナトリウム灯・・・・元々全灯点いていたのがそのまま放置され球切れを繰り返した結果1箇所だけ残ったのか、それともワザと1箇所だけ灯してあるのかは判りませんが、何とも侘しく寂しい風景です。



↑1箇所だけ灯された照明がこの川合隧道の「命の灯火」のようであり、「まだだ、まだ終わらんよ」と主張しているかのようです。

旧道化してからかなりの時間を経過し、通行がほとんどなくなってしまったこのR309旧道において、とても印象に残る光景でした。



↑オマケの動画です(4倍速)。ここ川合隧道からの帰り道、この国道309号旧道を北へ向かって走ってみました。

笠木トンネルから先の旧「酷道」区間、なかなか面白い道でした。



さて、この訪問から1ヶ月後の2017年10月6日にこの旧道区間の全線走破を目論み再訪してみました。上の画像ははその時に撮ったものです。近日中にアップの予定・・・・・です。
Posted at 2018/10/13 00:40:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域
2018年10月10日 イイね!

2017年9月11日 奈良県吉野郡黒滝村・五條市西吉野町 笠木トンネル

2017年9月11日 奈良県吉野郡黒滝村・五條市西吉野町 笠木トンネル今回は趣味の現役トンネル・隧道巡りです。

ちょうど1年と1ヶ月前の9月11日に奈良県のトンネル・隧道巡りドライブに行ってきましたが、今回の「笠木トンネル」はその3箇所目になります。

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↑「笠木(かさぎ)トンネル」はかつて国道309号線だった道に存在するトンネルで、吉野郡黒滝村と五條市西吉野町にまたがっています。

このトンネルが存在する道は大型車通行困難・離合困難ないわゆる「酷道」区間を多く含んでいた為、長大トンネルで山々を貫くバイパスの建設が企画されました。

そして「新笠木トンネル」(1984(昭和59)年竣工・延長1693m)と「新川合トンネル」(1997(平成9)年竣工・延長2751m)から成るバイパスの開通により旧道落ちそして国道指定を外れています。

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↑過去記事の「白倉トンネル」を後にして国道309号線を北上。天川村の川合以北は二車線の快走路で気持ちよく走れます。

上の画像の左側へ別れていく怪しげな道は目指す国道309号線の旧道、本来ならば左へ進んで笠木トンネルを目指すべきですが、自然災害の多い地域であり状況が不明でしたので今回はスルーしました。

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↑とりあえず直進して現道の「新川合トンネル」を通過。

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↑「新川合トンネル」と「新笠木トンネル」の間に県道49号勢井宗川野線への連絡路分岐があります。ここは左へ。

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↑短い橋を渡ると県道49号線、右に曲がって目的の笠木トンネルを目指します。

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↑県道49号勢井宗川野線、旧国道309号線から分岐して国道168号線に至る道です。

国道309号線のバイパス建設はまず新笠木トンネル(1980(昭和55)年着工/1984(昭和59)年開通)から始まり、その開通から新川合トンネルの着工(1992(平成4)年)そして開通(1997(平成9)年)まではかなりのブランクがありました。

この県道49号、新川合トンネルの開通までの間新笠木トンネルと川合隧道経由の旧道を連絡する道としてかなりの通行があったものと思われますが、今はひっそりとそして「廃」な雰囲気漂うやや荒れ気味の道になっていました。

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↑道はだんだんと高度を上げていき、程なく旧国道との合流部に到達しました。
目指す「笠木トンネル」はここを左折してすぐの所です。



↑国道309号線現道から旧国道までの動画です。現役県道とは思えない寂しい道でした。

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↑旧国道に入るといきなり笠木トンネルが。早速通過して黒滝村方面に抜けてみます。



↑トンネルを抜けた先にて。

画像左側に見えるカーブした上り坂は笠木トンネル開通前の笠木峠の旧旧道。明治・大正期に造られた道で、天川村方面へのメインルートでした。



↑笠木トンネルから黒滝村方面へ続く旧国道。現在は黒滝村の村道「笠木勢井線」となっています。

この地点は自然災害により損壊・崩落した所で、2015(平成27)年から2016(平成28)年にかけて大規模な復旧工事が施工されました。



↑修復された斜面を路上より見下ろしてみました。

この旧国道、沿道に人家はなく通行はほとんどない寂しい道ですが、こうして綺麗に復旧したという事は今もそれなりに需要がある事を物語っています。



↑黒滝村側から見た笠木トンネル。

ちなみに左の旧旧道は林業用道路として利用されているそうです。



↑トンネル手前には古びた青看板とトンネルを抜けた先の地名を示すネクストカントリーサインが今も残されています。

奈良県の青看といえば方位入りという事で知られていますが、ここにあるのは方位どころかローマ字標記すら入っていない古いタイプのものです。

そしてネクストカントリーサインにある「西吉野村」は2005(平成17)年に五條市に編入され、現在は五條市西吉野町となっています。



↑青看板にはこの道が国道であった証がしっかりと残されていました。

白いテープで隠されてはいますが、国道309号線のおにぎりマークが確認出来ます。

余談ですが青看板にある立川渡(たてかわど)、未成鉄道線として知られる国鉄五新線の駅設置予定地だった所で、地区内の山中にはトンネルや橋台などの遺構があります。



↑1970年(昭和45)年竣工の、比較的新し目のトンネルである笠木トンネル。

開通時は県道のトンネルでしたが、1975(昭和50)年に国道309号線のルートが天川村経由に改められた為(それまでは国道169号線と重複指定)、国道に昇格しました。

が、バイパスのトンネルである新笠木トンネルが1984(昭和59)年に開通して早くも旧道トンネルとなり、さらにバイパス全通(1997/平成9)年により国道指定を解除されました。メインルートのトンネルであった期間はかなり短いです。

奈良県が1960年代に手がけた県道トンネルという事でこの日の午前中に訪れた「鹿路(ろくろ)トンネル」とよく似た風貌のトンネルですが、その歩んだ歴史や今置かれた現状も共通点が多い物件であります。



↑パッと見では近代的なトンネルですが、見上げてみると坑門のコンクリートはかなり傷んでいます。



↑汚れのせいなのか苔のせいなのか、黒滝村側の扁額は判読困難でした。



↑笠木トンネル内部。照明は全部消えているものの、旧道トンネルとは思えない近代的な佇まいです。

延長については正確な数値は不明・・・・。
資料によって415mと203mと2つの説があり、距離測定サイトで測ってみたら400mでした。



↑トンネル内部から見た黒滝村方面。

この先に続く道は離合困難・大型車通行困難の「酷道309号線」として知られていました。



↑トンネルを抜けて西吉野町側に出てみました。上の画像は県道49号線との分岐点である丁字路です。

路面のタイヤ痕がその筋の趣味の方々の活動の場になっている事を物語っています。



↑丁字路の突き当たりにある青看板。奈良県名物の方位入りではありませんが、ローマ字標記の入ったタイプのもので黒滝村側にあったものよりは新しいです。

そしてここでもしっかりとおにぎりマークが隠されていました。



↑笠木トンネル西吉野町側坑門。

坑口付近の溝にグレージングが欠損している箇所があり、そこに「黒滝村」と書かれた工事用バリケードが置かれていました。黒滝村と五條市西吉野町の境界はトンネル中央部ですが、トンネルそのものは黒滝村が管理しているようです。



↑トンネル手前に立つ曰く有りげな2本のポール。手前のポールにはネクストカントリーサイン「黒滝村」が付いています。

古い写真によると、奥のポールには国道標識が付いていて21世紀初頭まで残っていたそうです。



↑かつて国道標識が付いていたポールにはなぜか「OSAKA PREF 大 阪 府」と記されたステッカーが。

「ハテ? ここ奈良県だよな・・・」と思わず首をかしげてしまいました。うーん、謎ですね・・・・。



↑笠木トンネル西吉野町側坑門。

竣工からほぼ半世紀の時間が経過し、周囲の自然に溶け込みつつあります。



↑こちらの扁額は余裕で判読可能でした。トンネル名と当時の奈良県知事の名が刻まれています。

ちなみに国道昇格前のこの道の路線名は県道「大淀上北山線」で、前述の通り県道時代にこのトンネルは建設されました。半世紀のうちに県道→国道→村道と波乱万丈の歴史を辿ったことになります。



↑西吉野町側の坑口からは鉄製の支保工にてガッチリとガードされた区画が続いていました。



↑トンネル内から見た西吉野町側の風景。

トンネルとその周囲ではゆったりとした時間が流れていました。



↑例によってトンネル通過動画(往復)です。



近代的なトンネルながらも、早々と旧道トンネルとなってしまった「笠木トンネル」。

ちなみに同トンネルを含む国道309号線旧道区間では他の誰にも出会うことはありませんでした。

「笠木トンネル」の南東にある「川合隧道」も訪問しましたので、近日中にアップしたいと思います。
Posted at 2018/10/10 14:13:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域
2018年09月12日 イイね!

2017年9月11日 奈良県吉野郡天川村 国道309号線 白倉トンネル

2017年9月11日 奈良県吉野郡天川村 国道309号線 白倉トンネル最近はブログの更新が滞り気味ですが(汗)、今回は趣味のトンネル・隧道巡りです。

ちょうど1年前の事になりますが、奈良県吉野郡天川村の国道309号線にある「白倉(しらくら)トンネル」に行ってきました。

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↑まずはその大まかな位置を(グーグル・マップ)。

観光地である「みたらい渓谷」のすぐ近くにある狭小トンネルです。

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↑そして拡大して航空写真を。空から見るとこの辺りは一面の緑の世界。

トンネル近くには「みたらい渓谷」関連の飲食店や土産物店が確認出来ます。

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↑まずは国道309号線を南下して天川村へ。

この辺りまでは二車線の快走路だったのですが・・・。

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↑唐突に現れる「幅員減少」の路面標示。そしてその先には木々に囲まれた漆黒の闇が!! 何だかワクワクしますねー。

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↑そしてここが「酷道」309号線の入口。ここから上北山村の国道169号線との合流点まで延々と大体一車線幅くらいの幅員の道が続いているそうです。

何だかブラックホールに吸い込まれていくようです。

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↑森林の中を駆け抜け・・・

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↑渓谷沿いを進み・・・

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↑時折現れる対向車をやり過ごし・・・

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↑こんな感じで淡々と歩を進めます。

それにしても崖に張られたネットが何とも物々しき哉。

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↑やがてみたらい渓谷周辺のレストランや土産物店が集まる一角を通過。秋の行楽シーズンにはやや早い時期の平日昼間のせいか、ひっそりとしていました。

目指す白倉トンネルはもうすぐ。

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↑頭上に張り出した崖がとてもワイルドに感じられる風景。この先の橋を渡り、カーブを曲がると目的地。

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↑これが今回の目的地「白倉トンネル」。

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↑まずはトンネルの向こう側へ一旦抜けてみます。



↑トンネルを抜けた先にて。この地点は道幅がかなり広くなっています。

ここで例によって我が相棒の記念写真を。



↑ここまでの動画です。

↓こちらはトンネル往復の動画。上の動画と一部内容が重複していますが(^_^;)





↑パイザーの先には、上北山村方面へ向かって国道309号線が続いていました。

この先へ進んで酷道ドライブを堪能してみたい気もしますが、今回はここでUターンです。ちなみにこの先、「行者還トンネル」という名のステキなネーミングのトンネルが存在しているそうで、一度訪れてみたいと思っていたりします。



↑振り返るとこういう風景が。



↑清流流れる巨岩奇岩ゴロゴロの渓谷と吊り橋、そしてトンネル。絵葉書のような風景がここに。

夏→秋の季節の変わり目らしく、時折晴れ間が覗くものの、どんよりと曇っています。




↑谷を見下ろすと涼しそうな美しき谷川の流れに巨岩と奇岩がゴロゴロと。

私にとっては「非日常」のこの風景、眺めるだけでも良き癒しになります。



↑見るからに重量級のこの巨岩、重量何トンくらいあるのでしょうか(;´д`)。



↑さて、目的の白倉トンネルへ。



↑この「白倉トンネル」は1935(昭和10)年に竣工し、延長29.6m・高さ3m・幅3mというスペックのトンネルです。

城壁のような背の高い坑門が特徴で近代的な雰囲気があり、後年の改修によってこの姿になったものと思われます。



↑竣工年代からすると「隧道」を名乗った方がしっくりくる物件ですが、坑口脇に「白倉トンネル」と標記されています。



↑坑口の分厚いコンクリートアーチが印象的です。



↑坑門部のみコンクリートで、内部は素掘り。



↑早速入洞。短いトンネルなので、不気味とか怖い雰囲気はあまりないです。



↑トンネル内から見た南側(上北山村方面)の風景。



↑天井はモルタルで仕上げられています。



↑壁面は荒々しい岩肌が剥き出し。先程の道路脇の崖や渓谷の巨岩群もそうでしたが、この辺りの岩盤はかなり強固そうです。



↑あっという間に北側(みたらい渓谷方面)へ。



↑振り返って撮影。天井に三列で埋め込まれた謎の金属片が気になります。



↑こちらが北側(みたらい渓谷側)の坑門。急カーブの先にあります。



↑こちらも近代的なポータルですが、南側とは対照的に錆色に汚れていて、周囲の自然に溶け込みつつあるようです。



↑国道から見た渓谷の風景。河原には去りゆく夏を惜しむかのような若者グループの姿も。



↑こちらはトンネル前から見たみたらい渓谷方面。



↑トンネル前から見た、先程の国道に張り出したワイルドな崖。

この「白倉トンネル」周辺、なかなか見ごたえのある景観でした。



観光地の片隅で誰にも注目される事もなく、ひっそりと佇む「白倉トンネル」。

実はこういう物件、個人的には大好物だったりします。

この日はここで引き返しましたが、この先のR309酷道区間もいつかは走ってみたいと思っております(今年中は難しいですが・・・)。







【追記】

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ワカシィさんのコメントにありますやかんマークが目印の青いコンビニ旧「モーソン」こと「森田商店」、実はしっかりとその前を通過しておりましたが、気づかずに素通りしてしまいました(苦笑)。
今は「モリクラフラフラ」という店名で営業しているそうですが、次に天川村を訪れる時は是非ココでお買い物したいものです(^^)。
Posted at 2018/09/12 22:33:30 | コメント(4) | トラックバック(0) | 現役隧道・トンネル | 旅行/地域

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