2025年05月27日
祖父からの車遍歴
昭和47年ごろには、祖父が日光社で買ったリンカーンコンチネンタルを乗っていた。僕のそして生まれ年、昭和54 年にセンチュリーへ乗り換えた。まだ、お尻から給油するタイプ。昭和57年型、昭和60年型、昭和63年型、平成2年型、平成3年型(タイプEからタイプLへ)と車検毎に乗り換え。平成4 年の祖父の葬儀後、平成8年型だったのかな、最終型のタイプLを祖母がしばらく乗ってました。
当家の最初の車は車種は判然としませんが、相互タクシー上がりの車だったと親父から聞いており、
初代クラウン以降、初代マジェスタまで、唯一『いつかはクラウン』を除いては親族の誰かの車になっていたようです。
続きます。
Posted at 2025/05/27 08:03:08 | |
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2025年05月26日
愚痴です。
京都府乙訓土木事務所の49歳の主査、勤務先の同期の担当者のかわりに昼下がりに書類を持参し、頭を下げている僕に言い放った言葉。『ガキの使いじゃねえんだから内容ぐらい把握してこいよ』だって。
『変更申請費用、1.万6000円ぐらいと聞いたのですが。納付証をいただけますか?』と申せば『証紙は廃止されてる。金額も違う、1万3000なにがし。なんも知らんときてるのか。大事なことですよ。下で払って納付証をもってきて。』と愚別され。
すごいねぇ、何様なんだろう。こうべを垂れてる人の頭を踏みつける。こんな人間にはなりたくない。
49にもなって、京都府の正規職員、それも主査でこの態度。今どきこんな人を見下げる態度をする職員なんぞ、こいつ以外にいないでしょ。
わかってない。
京都でわかってないは最大の愚別。
わかってない。本当にわってない。
育てた親の顔が見てみたい、と思うレベル。
間違った生き方、エリート意識がこうなるのでしょう。普段の口調も見下げた口調ですし、今回の一件は呆れました。
変更許可おりたら、府庁に苦情を申し立てようかと。
Posted at 2025/05/26 22:29:22 | |
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2025年05月25日
御婦人の逸話
御婦人は京都ホテルオークラを改まった時には使えそうで。僕は御婦人がファミリーで使うホテルのロビーでお待ちしたことがあります
第一回目のお見合い。それは32の時でした。お相手は馬主連合会会長と最高顧問を務めたダービー馬のオーナー(わかる人はわかるので伏せます。ウィキペディアでお酒の名前のダービー馬のオーナーを検索)の受付嬢でして、これは当て馬だと(^_^;)
でもお付き合いして振られました(泣)
あ、脱線。
僕はアウディA6アバント3.0TクワトロSライン。消費税5%込みで定価は893万円だったかな、欲しくてパソコンの壁紙にしてたけれど、当時は高嶺の花やし、零細企業のヒラリーマンには似合わない。所詮は夢とあきらめてたんですが、なぜか親父が冷やかしでディーラーにいったら、キャリアカーから降ろされる車をみて『それくれ。持って来い』で買ってもらいました。
また脱線。
で、お見合いの場にアウディを滑り込ませると地下駐車場にはファントムとかコンチネンタルGT、360モデナ、ムルシエラゴなんかが鎮座するわけです。スゲーなぁと思いながら駐車。
で、ロビーで夫人を待ったところ、評論家の金美齢先生がお見えになり、その5メートルあとに夫人が続く。見回すとドアマン、受付などのホテル関係者が深々と夫人に、頭を下げておりました。金美齢先生は無視(笑)
で、お見合いしてお茶して帰ろうと車寄せみたら、赤いCR-Zが雑に駐車してまして、御婦人が乗り込んで『ごかげんよう』と去って行きました。
なんでファントムじやなくて夫人の赤いホンダなのです。
いまは赤いアクア。鉄チンホイールの。
大金持ちの権力者はわからない(笑)
Posted at 2025/05/26 00:00:53 | |
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2025年05月25日
御婦人と僕の関係。
親父のゴルフ仲間です。僕は長男として約16年のお付き合い。
職業、不祥。誰も何が本業なのかわかりません
祇園花街で知らぬ者はいないそうです。祇園花見小路のお茶屋のご子息(長男)すら、お顔とお姿、お声、立ち振舞、自宅と別荘は知っていても、『僕は存在すら認められてない。紹介してくれ。ゴルフのセッティングしてくれ。』と言ってくる始末。
4月最後の土曜日、14時頃、母と弟によって西淀川警察に売られた僕、御婦人に事情を説明し、相談をしました。
御婦人は『10年も前から言ってるでしょ。あの母親は弟につくと。ハチミツの上に砂糖をぶっかける甘さがある。お前が家族の潤滑油として自分の気持ちを表明せず、2人をつけあがらせた。お前が意見を述べたらこのザマじゃないの。一刻も早く事態の収束を図りなさい。半分はお前の責任でもあるのよ。』でした。
2時間後、祇園花見小路のお茶屋のご子息から、市内は顔がさすから、亀岡で飲もうと連絡があり、ノコノコ出向くと開口一番『御婦人は生きてたのか?』と。
御婦人のことを何にもわかってない僕は『ああ、オバチャンは元気ですよ。ご主人は亡くなりましたが。14時ごろに僕電話してましたもん。』
お茶屋『生きてたのか。コロナ以降、久々に名前が出てきた。お前とこ、家庭内でゴタゴタしてるやろ。お前と、お前の親父さんの名前が一人歩きしてて、その噂はお前の支援をせよ!という内容や。発生源は御婦人やろ。取り巻きが忖度して動き出してる。言動には注意しておけ。』
との漫画みたいなお話でした。
ぽかんとする僕。『まさか何にもしらんのか?』と言われたので、『いったい何者なんです?御婦人は。誰に聞いても正体が掴めへんのです。僕にとっては十数人のお見合いをしてくれた優しいオバチャンなんですけれど。』
お茶屋の息子呆れて『十数人面倒見てた話は祇園も知るところやけれど、どれもこれも美人でええトコの娘やったやろ。特に8ねん前に●●の娘を袖にした話は有名やぞ。夫人にしたら僕らの世代で信用されてるのはその娘とお前だけやし、ひっつけたかった筈やぞ。アホというかなんというか。それでも付き合いあるのは凄いわな(笑)』でした。
結局のところ、御婦人の正体は着物屋でもあり、薬屋でもあるが、最終的に何者なのか本人もわかってないのとちゃうかな。って話でした。
手元現預金が当家の総資産の20倍は最低ある。総資産は本人もわかってないやろ。どこまで力が及んでいるのかは誰も把握できてないが、いえることはただ一つ。『動いた痕跡は残さないが、京都政財界の頂点に君臨する。』とのことでした。
兄さん、苦楽園の話知ってる?って聞いたら知らんと。去年の5月にウンウン億円の家を買おうかと言ってたよ、って言ったら『さもありなんやな。』
他方、去年にうちの母にその話をしたら『いつものホラ』やと。僕はポーズとった写真をご本人から10枚ほど送られてきたので、冷やかしではこの態度は取れないと思っていたので、お茶屋さんの話と辻褄合う。
府議会議員と住民が何年も信号のタイミングを変えてくれと府警本部に陳情しても変えなかったタイミング、電話一本『皆さん困っておられるそうだから、対処してあげなさい』で翌日には変わるというマジックを3度見てます。
で、僕は零細企業の平社員。46にもなって。
なんでか知らんけれど可愛がられているから、アポ無し、手土産無しでインターホン押して出てこられて挨拶すると『お前と私の仲やんか。あがりよし。』なんです。
『次ありますよって。』で断れない(笑)
Posted at 2025/05/25 23:39:20 | |
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2025年05月25日
京都の人の営みについて、僕なりに説明させていただきます。父は昭和19年に鳥取県倉吉市出生で先ごろ3回忌を迎えました、
母は滋賀県犬上郡豊郷町出身です。
『けいおん』の舞台となった東洋一の小学校、ボーリス設計の小学校。プラネタリウム完備。
20年ほどまえに、小学校建替え騒動で町を二分する大騒動に。当時のニュースステーションでも代替的に報じられたので、記憶にある方もおられるかもしれません。
報道では真実に切り込まれませんでしたが、老朽化した校舎は、母を含む卒業生が泣きたくなるぐらい荒廃し、もはや建て替える道しか子供たちにとってよくない。記憶にとどめたいという声が大半で、大野町長の判断を支持する声が大きかったのが現実です。
僕も大野町長と立ち話したことがあるのですが、テレビで報じられた悪役では無く、1人の政治家として豊郷の未来を真剣に考えた結果、建て替える決断をしたという姿勢がひしひしと伝わりました。
結果的には多額の寄付が集まり、新校舎を隣接地に建設。旧校舎群は改修され現在は観光施設になりました。
本論に戻ります。
僕は京都洛中でで生まれ育った一世なので、えらそうなことは言えません。三世以降が京都人になれるので。
京都に生まれ育ったものの矜持。
これは洛中、洛外問わずに義を守る。筋を通す。に収斂されます。
まず、他所様のお宅を訪問する時のマナー。一番良いのは事前に連絡をとってから伺う。これはどこでもそうですが、かえっていらぬ負担をかける場合があります。先方が義理堅い人だととくに。
なので僕はプライベートのときは、そういう人にはアボを取らず、手土産も持参せずに。ふらりと立ち寄ることにしてます。
なぜ、そうするか?という話になりますが、それは倍以上のお返しを受けることがままあるからです。
いるかいないかわからないが。それでもいいやのスタンスで伺います。
おられる気配があると、インターホンを押し、名前を告げます。
『●●でございます。近くを通りかかったので、ごあいさつだけ。』と申すと、家から出てこられます。季節のごあいさつをしてると『あがりよし』という言葉が先方からでてきます。
これを真に受けてはいけません。『次がありますよって、失礼します。』と立ち去るのが京都のマナー。ズケズケあがると『わかってないなぁ』となります。
で、『次ありますよって』のあとで、『ええからあがりよし』となれば、玄関先から玄関の中に。土間の先にある広い板の間の玄関に置かれたソファーで話すことになります。
こらは金融機関や取引先はここまで行くことができます。
プライベートでここまでしていただければ、ある程度信用を得た間柄となります。
その先には座敷(客間か応接間)があり、その先には縁側、中庭と続きます。
座敷まであげてもらえれば一流とみなされます。本来はここまでされたらそれ以上はないのです。
僕の場合は京都の頂点の御婦人を伺うと、ソファーでお話、改まると座敷でお話を伺う。
御婦人の機嫌がすこぶる良いときは縁側に連れてかれます。
こうなると、僕は零細企業の平社員ですが、京都社会では一目を置かれる存在に昇化した存在となりました。
それでね、『庭のキンカン、もいで食べなさい。』と言われたらもう大歓待されてるとなるわけです。
十年以上前から、ご機嫌麗しいときはこんな感じ。夏に伺うと雑草が伸びる。『オバチャン、草引いてかえるわ。』と申すと、庭屋さんが入るからほっといて。となる。
こうなると、完全に可愛がられている、と世間は僕の京都社会の位置づけを認知せざるを得ないのです。
ここまで入り込めたのは親父のおかげ。僕が慎ましく生きてることを御婦人が認めているということです。
京都における40代の御婦人の窓口は僕。祇園遊びはしたことがありませんが、お茶屋の長男から『御婦人とのゴルフ、セッティングして紹介してくれへんか』と頼まれるんです。
ここは母も弟も御婦人との電話は交換しているのですが、御婦人は2人を相手にしてないと言っております。仲裁頼んだら叱られました(笑)
僕は即答で『甘えすぎました』と謝るのみ。
次に『一見さんお断り』の本当の意味を解説します。
現代でいうところのクレジットカードです。カード利用者の返済能力をカード会社が査定し、ツケ払いをしているわけです。
これが『一見さんお断り』の本質です。
紹介した人が紹介された方は義理を重んじ、悪さをしないからと与信を与えるわけです。与信があるから、お店は丁寧に扱う。それにもかかわらず、紹介を受けた人が悪さ、食い逃げしたら紹介した人が責任をもって対処する、支払うというシステムなのです。
お互いがお互いの立場を尊重し、与信を与える、というのが京都社会の掟なのです。
どうです?こう説明されたら。京都人はお高くとまっているという世間の認識も変わるのでは。
京都の人の生き方、それは日本人の本来の生き方と考えられませんか?
Posted at 2025/05/25 18:59:03 | |
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