
二十歳を超えると太りやすくなるというのは迷信だと思っていました。若しくはダイエットできない大人の言い訳に過ぎない、そう決めつけていました。そんなぼくもいよいよ二十歳を超えこのボーダーラインの恐ろしさを知りました。
久々の体重測定。洗濯機の横においてあった為でしょうか、湿気で体重計は壊れあらぬ数値を叩き出しました。『64kg』そう普通の体重です。しかしぼくにとって60キロ代というのは特別なものを感じざるを得ない理由があるのです。
昔からどれだけ食べても太りませんでした。所謂、ギャル曽根体質とでも言うべきでしょうか。筋肉をつけても一週間足らずであっという間に落ちます。そう、脂肪も筋肉すらも必要十分以上増えないのです。それが当たり前だと思っていました。(当時の体型は添付画像を参照)
眼前には『64kg』。無機質で冷たいデジタルパネルは、ぼくが今まで太った大人たちに発してきた言葉を映し出すようでした。これが無制限ボーダーラインを超える恐ろしさです。例えるなら富士に登ることは考えていた、しかし降りる体力までは計算していなかった。太るというのはおそらくそんなニュアンスを秘めていると思います。富士を降りる、体重は落とすほうが遥かに大変なのです。当たり前のことでしょうがぼくは生まれて初めてそれを実感したのです。
ユーノスロードスター、初代ロードスターはぼくの憧れの車でした。バブリーでライトが特徴的でお洒落な革張りの内装とウッドステアリング。それらはぼくを魅了するには十分過ぎる要素であったと言えます。
憧れのロードスターを手に入れ、初めて運転したあの日。笑うことをあまり好まない固く結ばれたその口からいとも簡単にそして軽やかに、笑顔を引き出しこころを奪ってくれた、怪盗。それがぼくの初めての愛車です。
いつまでも運転していたい。そんな衝動がただどこまでもぼくと車を推し進めたのです。
速さに切り離せない要素。それはご存知、軽量化です。軽量化によるメリットは数多くあると思いますがその弊害は街乗りでは顕著です。風を切りながら音楽を楽しむことも軽量化という一際重要な要素の前では意味をなさないでしょう。ひとは速さを求めるあまり利便性を捨てたのです。女の子を横に乗せる憧れのシュチュエーションさえも。
(ぼくが軽量化したくないのはまだ見ぬ彼女のためです笑)
速さと運動性能を求める上で一番必要ない要素はなんだろうと考えていました。パワステ、エアコン、内装に助手席の撤去。必要としない人は勿論それでいいでしょう。しかし、ぼくの持論は違います。
自動運転技術が日進月歩の昨今の世の中で一番必要ないもの、それはドライバー自身です。ですが機械は万能ではありません。それに愉しくもありませんね。こんな事を唱え続ければやがてライセンスの廃止が待っているでしょう。人間による運転禁止法も。
話を戻しましょう。ぼく個人の主観では削れるものを削るという軽量化には漏れ無くドライバー自身の軽量化が不可欠です。車にだけハードな(力学的)運動を強いて乗っている本人はまったくそれに貢献していないのであれば、それは車に対して失礼な行いであると思ってしまうのです。注釈:豆腐店の親子とプロレーサーは省く(あくまで主観です。不快な方申し訳ありません)そこでぼくなりの理論を突き詰めて行きたどり着いたのがドライバー自身の軽量化でした。車のためになにができるのか、与えてくれたものに見合ったものは何なのか。それはきっと車に対する情熱、努力です。車にはひとを動かす力があるはずです。それ故、危険を冒してでもひとは走ります。走る喜びを何度でも感じたいのです。
この醜いお腹の脂肪が落ち身軽になった身体は車だけでなく私生活にも良い影響を与えるはずです。大好きな愛車とともに自身すらも身軽になりましょう。それがぼくの『公道最速理論(笑)』なんです。
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2018/04/30 00:14:58