
題みて車かとおもわれたでしょうね~
車ネタではなくてごめんなさい。恋のお話(^_^;)
毎月愛読している月刊雑誌に、「恋する乙女」と題して
こんなことが書かれていた。
私はいくたびか人と別れてきた。泣いて別れたこともある。
でも、時がたてば、耐え難いと思った痛みもいつかは薄れる。
新しい人を好きになると、もう前の人のことは、遠い背景になる。
たとえば街角ですれ違うようなことがあったとしても(そういうことが無いでもなかった)
毛筋ほども気持ちは乱れない。
その人と過ごした素晴らしい瞬間のいくつかは、頭の中にイメージとして残っている。
でも、それを思い出したとしても、感情は揺るがない。
忘れてしまうのだ。きれいさっぱり。
男の人はどうやらそうではないらしい。
一度好きになった人のことは、
思い出の小箱に入れて、大事にとってあるようだ。
そして時々取り出して、悦に入っているらしい。羨ましいと思う。
過去がいつでも取り出せる場所にあるなんて。
しかも、さらに羨ましいことには、嫌な印象は消え去って美しい印象ばかりが
優先的に記憶されているらしい。
女の場合、そうはいかない。少なくとも私の場合は。
つきあっている時には
「愛の力」によって美化され、大きく見えていた
その像が、別れた後には、欠点ごと一緒に思い出される。
別れたからには、今の人と比べて…とすら、思うようになる。
「ある男を好きでいる間は、なぜ自分以外の女がその男を好きにならないのか、
不思議に思える。その男を好きでなくなると、なぜ自分がその男を好きだったのかが
不思議になる」
これもまた、その通りだ!
こんな経験を繰り返すうちに、私は、恋している切なさの最中に、こう思うようになった。
「
ああ、この切ない気持は今だけなんだな。いつかは消えてしまうんだな」
だからこそ、今を大事にしよう。
好きでいる今の気持ちを、と。片思いだってかまわないのだ。
人に好かれることよりも、自分が好きになることのほうが、ずっと有り難い、奇跡のようなことなのだから。
人を好きになると心の揺れ幅が大きくなり毎日が豊かになる。
たとえ等量のきもちで好かれなくてもいい。
「好き」と言う気持ちを、好きでいられる間だけ、充分に楽しもう。
それでも、そんなふうに相手への期待値を少なくしてつつましく考えていても、
人間の関係は刻々と変わっていき、愛は時を経て終わってしまう。
ドラマの出てくるような、涙ながらの華々しい別れは実際にはめずらしい。
愛があれば、向かいあっている二人の人間の心は、そよ風になびく穂のように一緒に揺れているものだ。ふいに、その風が凪いでいることに、相手を目の前にして、気がついてしまう。
自分の気持ちが、もうそよいでないことを感じてしまう。
「
この人とは、あと何度かは会うかもしれない。でも、たぶん、もう終わりだな」
そんなふうに思ってしまった時は、とてもせつなくて寂しい。
そしてたいがい、その予感はあたるのだ。
恋の終わりを決めるのは、いつだって自分自身だ。
去っていく人の足音というのは、自分の心の中からその人が消えていく時にたてる足音だ。
長く生きていると、足音が聞こえ始めた時に、その人が心の中で小さくなって、
足音が聞こえなくなった時のことも想像が出来るようになる。
ああ、きっと私は、平気になってしまうんだなと思う。
それが寂しい。
でも、それが恋。それが人生だ。
恋を失った身に出来るのは、生きていれば何度か訪れるその瞬間を、大切に、
しみじみと噛みしめることなのだろう。
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と、読んでて久々、同感している自分。
この間、偶然にも昔大好きだった彼と会った。
この人との何年も過ごして嬉しいこととをたくさんわかちあってきたのに
この人しかいないって思うぐらい、きっと二度とこんなに人を好きにならないと…
思えるぐらい大好きだったのに…
時は残酷にも私の心はセピア色でした(^_^;)
昨日、誰かのブログ拝見してて、女って今を生きてるなぁ~
って思いました。
「この人しかいない。この人についていく…のろけちゃいます」なんて書いてた。
そこまで思えるあなたが素敵と・・・(^_^;)←いつかは終わると思う私…あぁ~寂し
でも、懲りずに誰かをまた好きになる。出会いと別れを繰り返す。
もう二度とこんなに好きになる人がいないだろうと思っててもちゃんとでてくる。
何が言いたいのかわからなくなった ┐('~`;)┌ ヤレヤレ~(笑)
Posted at 2009/04/04 05:19:56 | |
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