ユーノス・ロードスターが発売されたのは……1989年9月1日のことだった。年号までは覚えているが、はて何月? 調べてああそうだった、遠い記憶にやっと付箋がついたような気分を味わった。
この年の僕は37歳。その3年前に、未来に向けての投資だとかなんとか生意気なことを言って、メルセデスベンツ190Eを購入していた。今なお続いているFR絶対主義の源流を成す最初の具体的なアクションで、2L直4、5ナンバーに収まるコンパクトサイズのFRセダンという、もう皆さん『耳タコ』になっているスタイルでまとめられていた。
190Eをひとつの理想系と定義したのは、駆動レイアウトはもちろんだが、軽量コンパクトな仕立てによってさほどパワーに頼ることなく(115ps)、三点星のブランド力とそれに見合う当時としては相対的に高いと内外装の質感によってプレミアムを体現する。
冷静に振り返ると、そのままのコンセプトで現在からかなり先の未来まで通用するエッセンスがギュッと詰まっている。その具体的な話はまた折りを見てしようと思うけれど、右肩上がりの考え方に与しない、1983年当時求められていた(メルセデスベンツにとっての)ダウンサイジングに対する要求に応えたトータルデザインは、これからのクルマ(とくにICE搭載モデル)の重要なヒントになるはずだ。
それを購入してまだ3年。すでに次女も生れて6年という頃である。さすがに2座席ライトウェイトスポーツにジャンプするわけにも行かず、泣く泣く手にすることを見送った。あれほどライトウェイトFRスポーツの魅力を喧伝し、その登場を熱望していたのに手が伸ばせない。
その後7年間190Eに乗り続け、1998年にアルテッツァ、99年にS2000が登場すると『公約』通り2台とも購入することを清水の舞台…もので決断したわけだが、MX-5ミアータ:ロードスターを買えなかった境遇は何となく負い目として今も心の奥底にある。
そのマツダ・ロードスターが今年で20th Anniversaryを迎える。そう言えば、軽井沢でオーナーズミーティングがあったよな……ふと思い出してみんカラブログをはじめ、あちこち探索してみると、「おおっ、今週末ぢゃん」即決でプライベートで覗いてみることにした。
20年間、ついにロードスターを所有することはなく、17回目を数えるという軽井沢の名物イベントとして定着したオーナーズミーティングにも縁がなかった。20年前の記憶が蘇える節目の年。これは見ておいた方がいいかな……と。
あいにくの雨だった。会場には10時過ぎに入ったが、参集したロードスターは総勢1000台を超えたという。NA、NB、NC、クーペ、RHTそれぞれの詳細な台数をメモってくるのを忘れたが、史上最高の集まりとなったことは間違いないようだった。なかにはNAと同じ平成元年生れの二十歳のNA乗りが相当数参加していた由。俺も年を取るわけである。
初回の浅間園からずっとミーティングをオーガナイズしている瓦井俊悟さん(写真右)と少し話をしたのだが、ミーティングの運営はすべてボランティアによってなされている。運営側のスタッフも全員参加費を支払ってのエントリーで、ありがちなイベントビジネスではないというのである。
だからこそ続いた……と瓦井さんは言うが、それを聞いて何と言うか(精神的な?)余裕を感じた。会場には、ミスターロードスターという形容が定着した貴島孝雄さん(写真左)も顔を見せていて、久しぶりにあれこれおしゃべりを楽しんだ。NCのデザイナー中牟田さんともしばらく振り。ちょっと大法螺吹きすぎてすまんでした。
頃合いを見て退散しようと思っていたら、進行スタッフがトークショーに出てもらえません? ま、ボランティアに請われて断るような野暮ではない。これも何かのご縁ということで、少しおしゃべりをさせてもらいました。そのトークショーの間だけ雨が上がったのはやや神がかりではあったけど、オーディエンスの食いつき加減から察すると引き受けて正解だったかも…ですね。
NHW20プリウスで行ったので往復400㎞強の道のりでも20L足らず。千円高速を有効に使おうと八王子~中央道~圏央道~関越道~上信越道ルートを初めて走ったので、総額でも5千円は切りました。プライベートだとやっぱり緊縮になるよねぇ。
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2009/06/01 00:57:24