2009年06月28日
このままで済むとは思っていません。時が過ぎれば景気が回復して、いつかのような活況が戻ってくる。それは多分ないでしょう。バブルが弾け、10年かけてやっとこ戻ったかと思ったら、今度は頼みの綱のアメリカのバブルが盛大に弾け、世界同時不況というおまけもついて、行って来いの倍付けで元の木阿弥以下に落っこっちゃった。
バブルでパンパンに膨らんだ規模にアメリカのマーケットが戻ることは、新たなバブルが生み出されないかぎり絶対にない。次なる有望マーケットとして期待される中国を中心とするブリックスの国々も、そろそろ高度経済成長の副産物である環境汚染の深刻化が表面に浮上し、水不足や土地制度に根ざした農業崩壊などもあって、一時の勢いが期待できなくなっている。
中国では、依然としてクルマの生産と販売がプラス成長していると伝えられ、09年の販売台数が世界一となることは確実とされている。クルマの販売台数の伸びに対するインフラや経験則から生み出される効率的なクルマの走らせ方などシステムの遅れは、そう遠くない将来、社会的な問題として噴出することになるだろう。
私は、1970年に自動車免許を取得し、晴れて自動車人の仲間入りを果たしました。当時の時代背景は高度経済成長のピークで、モータリゼーション元年(66年)から4年が経過し、GC10GT-RやらフェァレディZやらトヨタ2000GTやらホンダS800最終型やら、現在まで連綿と続くパワー競争のひな型が生み出された、そんな勢いのある時代でした。
一方で、排気ガスによる大気汚染(公害)や交通事故死の急増という安全問題が、負の遺産として急浮上。73年の第一次石油危機の勃発によって、環境/資源問題という経済成長を足元からすくう事態に人類が初めて直面することになりました。
80年代に入る頃に、技術開発により環境問題は一応の解決を見、省エネの推進によって石油価格の安定化が実現。それをテコにした世界経済の拡大がやがて急速な円高から金余り不動産投機ときてパチンと弾けたわけですが、中国は日本が60年代の終わり頃から90年代初頭までのおよそ30年掛かって経験した栄枯盛衰を、ドッグイヤーで経験しようとしているように見えます。
中国が急速に拡大している有望な市場であることは間違いないところですが、同時に急成長であるがゆえの脆さも頭に入れておかないと、さらに抉られるような痛手を被る可能性があります。再び原油が高騰したときに、マインド的にアメリカ型の豊かさに憧れを持つクルマの消費者(富裕層)を中心とする中国経済がパニックを起こさないか。年内にその可能性はあると思います。
物凄い勢いで変化している北京、上海、広州といった大都市を見、農村の実態の記述を読んだりすると、大変なのはこれから……という思いが募ってきます。
ハイブリッドなどのエコカーを草食系などと揶揄し、20世紀型のノスタルジーにポジションを得ようとするのは自由だけれど、これからを考えるなら発想を根本から変える必要があります。どんどんHVやEVなどの次世代エネルギー車の普及を推進し、大幅な省エネを実現したところで、余った石油エネルギーを有効に使う21世紀型のICE(内燃機関)車の再構築を考える。
サッカーでいえば、センターフォワードがサイドに展開することで生れるスペースを勝負どころにする感覚。ここに小型FRを押し込むというのが、今から25年前に着想したFR絶対主義のまあ現代流解釈であるわけです。
小さくて非力でも楽しいというクルマにするためには、そしてエコカーに匹敵する魅力を賦与するためには、ダイナミックな動きとそのコントロールに価値のあるFRでなければなりません。レベルではなく、面白さを問う。
エコにある程度目処が立ったら、やるべきはこっちでしょう? 上手くすれば、そういうライブスポーツで育った若い世代が、未来のGT-RやNS-Xを作るスキルとセンスを身につけるでしょう? 夢のような過去を断ち切って、心震わせながら希望が持てる未来のクルマの創造に向けて歩き出す。今はそういう時代の分かれ目だと思うんですよ。
理屈っぽいって感じますか? こういうの。俺はかなり天然なつもりなんだけどな。
Posted at 2009/06/28 22:54:22 | |
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