• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

伏木悦郎のブログ一覧

2010年09月30日 イイね!

2010モンディアル・ド・ロトモビル(パリショー)

いろいろありますが、やっぱりこういうキャラクターが存在感を示す状況がそこにあるのが嬉しいのは間違いない。どうやって未来につなげるか……まだまだやるべき仕事はあるようだ。



Posted at 2010/10/01 09:56:54 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2010年09月29日 イイね!

再びパリを彷徨う

再びパリを彷徨う2泊した宿を出て、今日は500mほど離れた元プライオリティクラブ系のHIEXに移動する。11時前にチェックアウトして、早朝のエアフラ便でCDG空港に着き、RER~地下鉄と乗り継いでポルト・ベルサイユのEXPO会場に辿り着いたという編集のO君をピックアップに行く。そこから、さっそくO君にドライバーを命じ、まあパリ市内をちょいと巡りしながら、昼飯でも……ということになったわけです。

フレンチナビとはまだ仲よくなってません。方向感覚を鈍らせるパリの似たような街並みに翻弄され、ナビに欺かれ、己の方向感覚とパリの街並みがまったく反りが合わないことを実感しつつ、ひたすら彷徨う。助手席というのは本当に移動している感覚が薄れるものです。

オペラ周辺に行きたいといってるのに、気がつけば新オペラで、そこから周辺をぐ~るぐる。昨日はあまりナビに頼らず一人で何とか辿り着いたヴァンドーム広場のパーキングが、果てしなく遠い。すったもんだの挙げ句、おおっここだここだとなったのはパリショー会場を出て3時間ほど経過してからだった(笑)。

もういっぺん、JCBプラザを訪れ、できればご当地飯を食いたいというO君の要望を容れて、歩いて数分のブラッセリー『カピュイーヌ』外観からは想像し難いなかなか雰囲気のある店内で、昼飯にしては重めの牛肉料理。歯応えはあるけれど旨味のあるメニューは20ユーロを切る"悪くないんじゃない"系。

そこからまた、ポルト・ディタリーの別の宿にチェックイン。昨日のノボテルよりかなり落ちたが、バリューフォアマネー的にはぎりぎりセーフだろう。ここで一服いれた後で、タクシーでアール・フレジネのVWレセプション。ジュネーブの鈴木修スズキ社長に続き、今回はイタルデザインのジョルジョット・ジウジアーロがステージに招かれ、VWコンツェルン傘下にイタルデザインが入ることが公にされた。

999㎏のランボでは炎、シュコダで水幕、0→300㎞/hを14秒台で駆け抜けるブガッティ・ベイロンに356台限定の911スピードスター……様々な趣向を凝らした演出でグループの威容をアリーナの中央周辺をVWのVIPで固めたさながら御前お披露目の様相を呈したショーは開幕し、閉じた。


帰りはVWが用意したプライベートタクシー(英語を話すドイツ人の学生アルバイトが運転)でホテルまで送ってもらい、そのままパタンキュー。
Posted at 2010/10/01 09:27:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2010年09月28日 イイね!

インディアナポリスコーナーに興奮する

インディアナポリスコーナーに興奮するルマンにクルマでやって来たのは30年ぶりのことだ。その時の昔話はここで書いたので、あらためて念を押すのは控えよう。行きのフライトでたまたま観たスティーブ・マックィーンの『栄光のルマン』に触発されて、"そうだ、ルマンに行こう"となった。

といっても、諸々不安も多い。予め準備をして行かないと、アドベンチャーの深みが極まってしまう。ということであれこれ下調べしているとどんどん時間が経っちゃった。ほな出発となっても無事ではない。カードキーで出入りする地下ガレージの出方が分らん。ちょっとしたトラブルをやらかして、なるほどそういうことだったのね。長引くので説明は問われた方だけに。


ホテルの部屋から見えるペリフェリクはご覧の状態。なんとなく勘を頼りにA6aがE50、A10となるオートルートに乗る(乗れた!)。あとはナビ画面を見ながら(まだ設定はできない)、ルマンに向かう。そんなに遠くはなかったような……30年前の記憶を頼る我が身がどうかとも思ったが、そのくらいの楽観は必要だ。結果的にパリ~ルマンは200㎞くらいあって(TGVで1時間だもんな)、往復ともに途中SAで食事や給油をしたので、所要時間は都合往復5時間ほどとなった。

なんとなくルマンの中心に辿り着き、まずはSFCN(フランス国鉄)のルマン駅を目指した。先述の最初のルマン訪問時に泊まったオテル・モデルン(HOTEL MODERNE)を探して、あちこち歩き回ったのだが、見つからない。潰れちゃったのかな。30年前だもんな。赤井先生、ご存じだったら消息を教えてください。


駅は記憶とはまったく異なるモダンな雰囲気に変わっていたが、駅前の風情はなんとなく既視感のある雰囲気があった。30年の時空はさすがに重いか。

市の中心から、さあサルテサーキットだと勘を頼りに走り出すと、ナビ画面がクルクル矢印の方向を変えて埒があかない。再びフランス語と格闘し、なんとか見覚えのあるブガッティサーキットを捜し当てた。距離は数㎞、思いのほか近かった。しかしサーキットの風貌は30年前とはまるで違っていた。あたりまえの話だが、90年代にプレスツアーで訪れた時の記憶より、あの時のほうが遥かに鮮烈で、印象深く残っている。それとは似ても似つかない。

グランドスタンド(たしかトリビューンと言った)の近くにエントランスがあって…そう、この写真。

トリビューンの背後の飛行場とサーキットの間にクルマ(エンジン縦置きのルノー5のレンタカー)を留めて、そこをベースにレース取材に取り組んだ。

あれから、2回ほど現在に近いこの地を踏んだはずだが、その記憶はほとんど残っていない。やはり初体験というのは鮮烈なイメージとして脳内に留まるようですね。それはともかく、71年にマックィーンの映画を観て以来、ずっと走りたいと思っていたサーキットの公道部分を走ろうじゃないか。今回の訪問のメインテーマだった。

現在のサーキットのメインゲートから時計回りに周辺の道を行くと、D338というミュルサンヌに至る県道(?)に突き当たり、おおっここがテルトル・ルージュかという普段はブロックされているサーキットとの合流点にやってきた。そこからがユノディエール、昔はミュルサンヌストレートと呼んでいたと記憶する。

30年前には存在しなかった2つのシケインをなるほど……と確認しながら行くと、かっくんと右に折れるミュルサンヌコーナー。しかし、D338は普通の生活道路で、制限速度90㎞/hのところをバスもトラックも乗用車もビュンビュン走り抜けて行く。

ミュルサンヌから先に大興奮のスポットが待ち受けていた。インディアナポリスコーナーからアルナージュに至る区間は、サーキットが日常に溶け込んでいる場所。ご覧のアウト側にグラベルベッド、イン側にゼブラゾーンを設えたここだけ見たら完全に気分はサーキットというところを、皆ふつうに走っている。観光バスもね。



他愛もない話ですが、いろんな記憶やら思いやらこれまで生きてきたあれこれやこれからの活力の源になりそうな予感から、本コースは13. 629㎞(栄光のルマンに登場するシーンでは13.469㎞)という外縁部をぐるぐる3周しちゃいました。伝説的なレーシングコースを日常的にあたりまえの感じで接している。かなわんなあ、これじゃ。率直な感想である。

しかし、30年前。海外旅行初体験の28歳の小僧が、新婚の嫁さんを伴ってフランス~スイス~イギリスを股にかけてクルマで5000㎞を走り倒した。本当に我がことながら偉いもんである。ナビもなく、語学力もなく、ただ勢いだけで未踏のシルバーストーンとサルテサーキットを訪れ、ちゃんと取材して記事も書いている(driver参照)。いま、こうして当時よりも技術が進んだ環境で走ってもほとほと手を焼くフランスの状況の中で、俺はいったいどのようにして難局を切り抜けたのだろう。

フランスの道路事情についてはまた折に触れて書きますが、寄る年波か本当にストレスが溜まることが多かったです。過去の自分にあらためて感心することしきりですが、まだこの旅の本題は始まってません(笑)。しかし、旅はつくづく楽しいなあ。



Posted at 2010/09/29 16:11:53 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2010年09月27日 イイね!

巴里の空の下

巴里の空の下セーヌは流れておりました。気を揉ませた(?)かもしれませんが、無事パリに入りました。さすがにのんびり寝ているわけにはいかず、4時に目が覚めてネットで諸々の情報をかき集め、とにかくデルタのカウンターで談判だと6時半からのフリーブレックファストにも目もくれず6時過ぎにチェックアウト。投宿10時間はもったいないけれど背に腹は代えられない。
(ミラーに映る建物はルーブル美術館)

4ポンドのシャトルバスに乗ってT5(第5ターミナル)。そこから空港内循環バスに乗り換えてT4だ。シャトルバスに揺られて空港外縁を走ると、本当に大英帝国の威光いまだの感を禁じ得ない。ホテルから乗り継ぎを含めて30分、延々走ってやっと着いた感じ。LHR(ヒースロー空港)は、実は北海油田で再生したこの30年間の英国復活の象徴に見える。

羽田に成田に関空に中部国際。あちこちに国際空港を持つ日本だけど、国を代表する空の玄関がローカル空港みたいな成田という現実は、外国との付き合いなしには成立しないのにそれにきちんと対応しようとしないわが国の外交音痴、鎖国以来あいかわらずの島国根性の象徴ではないか。飛んで"戻った"CDG(シャルルドゴール空港)もそのスケールでは負けていない。中国に抜かれてもまだ世界第3位の経済大国といわれる日本が、この辺からも疑わしく感じられてしまうのは僕だけか。

早朝5時15分から開いているというデルタのカウンターに行って事情を述べると、「いいわよ」しばしキーボードを叩いた後で「152.80"ドル"になるわ、大丈夫?」イギリスでドルという言葉に違和感を覚えたので念を押すと、そうだという。こういうときに円高ドル安は嬉しいね。必要最小限で難局をクリアした安堵感で少し力が抜けた。ユーロスターやらロンドン~パリの往復航空券の算段やら、想定した最悪の事態を避けられたという達成感は諭吉先生3枚ぐらいなんのその……気を大きくしていい境遇ではないが、結果オーライなのだ。

CDGに着いて、さあクルマのピックアップ。サントゥアンのシトロエン本社は初めて訪れる地だ。これも初の試みとなる鉄道で行こうかと駅に向かうも、自動販売機に慣れない旅行者の列。ケチケチしないでとっととタクシーで行けよ……自分をどやしつけてシトロエンC3ピカソのタクシー。無事に着いて、広報車担当のルチアナ・バレッティさんからDS3を受け取ったらこっちのもんである。

ペリフェリク(パリ環状線)に乗って昨夜"明日の午前中には行くので"と予約取り消しにならないよう手を打ったポルト・ディタリーのホテルに向かう……も、しっかり途中てミスコース。分岐点で右に流れて環状線からどんどん離れるわ、降りるインターはないわの最悪パターン。おまけに、確認して装備に胸を撫で下ろしたGPSナビがフランス語表示で、操作もままならない。

危うく高速道路の有料ゲートに進入しそうになったところで、しばし腰を据えて路肩であれこれフランス語と格闘しているとパトカーが……。何してる? と問われた(フランス語)ので、道に迷った、ポルト・ディタリーのホテルに行きたい!英語で喚くと、にこやかについておいで。ラッキー。もう一度迷ったけれど、何とかなるもんです。チェックインは13時過ぎになっちゃって、レセプションで若干、ン?みたいな感じもあったけれど、約17時間遅れでオンタイムに乗せることに成功した。


こうなったら、もうパリを走るでしょう。ルマンは明日だと、市内に繰り出した。まずは明後日VWがレセプションを行なうアール・フレッシネ(Halle Freyssinet)のロケーションを確認。パリ市内を走り回るのは初めて渡欧した1980年以来なので、街のスケールが身体感覚で把握できるまでにけっこうな時間を要した。

過去のパリショー取材で徒歩で訪れ、多少土地勘のあるオペラ周辺に行き、まずはこういう時の情報収集には何かと便利なJCBのラウンジ(カルティエ本店の真ん前)に足を運び、さすがに空腹を覚えたので金太郎に向かうも、途中のサッポロ前で頭が味噌ラーメンになって店内に吸い込まれてしまった。パリで?……という人もあろうかと思いますが、海外でいろいろ食べてきているので、いまさらご当地にこだわることもなくなっている。


空腹が解消した後は、ルーブルにシャンゼリゼに凱旋門にエッフェル塔…いかにものパリを巡り、最後はスーパーで飲み物、食い物を調達。こんなに買ってたったの13.6ユーロ?不思議な思いで部屋にもどるとバタンキュー。ベッドの上で気絶していて、おっとぉ……という感じで起きて、これを書いている。いかん、早く寝治そう。旅はやっぱり楽しいな。

Posted at 2010/09/28 09:51:40 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2010年09月26日 イイね!

彷徨っている!!

長くて厳しい一日でした。予定の時刻にチェックアウトしてフリーシャトルで渡橋。出発ロビーに足を踏み入れると、おろっ? 激混み? チェックインカウンターでは衝撃の事実が発覚。今回はオリジナルプランではマイレージのレートが同じ関空(KIX)~パリ・シャルル・ドゴール(CDG)~ロンドン・ヒースロー(LHR)~CDG~KIXとして、ロンドンで3日間こっち向けに開発された日本車を試し、パリの3日はモーターショー取材中心という美しいプランを立てていたわけです。

ところが、関係各媒体の長は関心薄。一人で冷や汗かくのも限界があるということで、早めに完了させていたフライトの予約はそのままに、旅程をパリ滞在だけに変えることにした。パリからのロンドン往復は、できるならキープして何かの時に、それが駄目なら使わないで捨ててもいいと軽く考えていた。

チェックインカウンターで、ロンドン行きはキャンセルしてパリで降りたい……希望を述べると。できません…つれない返事が返ってきた。今回はデルタで貯めたマイルをスカイチームアライアンスのエールフランスで使うプラン。この場合予約はすべてデルタのハンドリングで、エールフランスは指定の通り発券するだけ。予約の変更はデルタを通さないとできない由。もしも、予約通りのフライトができないのなら、新たに航空券を買って貰う必要があリます。可愛い顔してばっさりだった。

もちろん正規の運賃でチケットを買い直す余裕なんてあるわけない。とにかく飛ばないと始まらないのでロンドンまで飛ぶことにして、途中パリでも談判しながらなんとか打開の道を模索することにした。パリもケンモホロロ。最後の望みを託したヒースローは入国審査に1時間もかかり、エールフランスの受け付け時間を滑り込みアウトでオーバー。明日となりのデルタが朝5時から開いてるから、そこで掛け合うしかないわね……ときたもんだ。ここで万事休す、ロンドン泊というかヒースロー泊が決定した。

パリで予約してあったホテルに電話して、諸々あって今日はチェックインできない、明日の午前中には行くので、予約を破棄しないでね。くれぐれもよろしく頼んます……平身低頭するしかなかった。

しかし、なんでこうなっちゃうかね。アドベンチャーにするつもりなんて微塵もないんだけど、自分で動くとまあ知らないことが多すぎて、ほとんどオートマチックに難局をこしらえてしまっている。それをパズルや謎解きのようにこなして行くわけですが、さすがに寄る年波的に辛くなってきました。

慌てない、焦らない、諦めない……俺的三ない運動方針に揺るぎはない。諦めるのは死ぬ瞬間でよろしいという主義にも変わりはないけれど、さすがに今回の無知さ加減には我ながらげんなりしたなあ。空港のホテル案内で予約したほうがいい? ちょっと考えたつもりが、定宿のホリデーイン(エクスプレスを含む)は直にwebかレセプションで料金を支払わないとポイントはつきません。なるほど。

感心している場合ではなくて、ちょっといつものパターンから外れると、たちまち応用の効かない世間知らずが大きな顔をして己を窮地に陥れる。自分内抗争の激しいこと、とめどない。明朝どうなってるか……予断を許さないとほほな気分で午前零時を迎えようとしているわけです。東京・ロンドンの時差は8時間だ。

そんなアドベンチャー旅行にも一服の清涼剤が。機内エンターテインメントの映画にスティーブ・マックィーンの『ル・マン=邦題は栄光のルマン』があったのだな。1970年の製作で、翌71年が日本での公開だったはず。そのころ、国内でこの映画のスポンサーをやっていた”アートコーヒー”系のスナックでバイトのマスターをしていた僕は、たしか映画の切符をスポンサー筋からもらって見に行った。

その後レースにのめり込むきっかけのひとつになった栄光のルマン。そのオープニングのポルシェ911がルマンの街の中を巡り回想が明けたところでタイトルバックとなるのですが、あの時の911の色は何だったっけ?その後2、3回TVのオンエアで観たけれど、色は完全に頭から抜けていた。

改めてじっくり何度も再生してみると、今のラインアップでいうメテオシルバーメタリックに近い。なかなか渋い、おとなの味わいのするもの。今度ポルシェ公式サイトのコンフィギュレーションで試してみるか。しかしあの頃の911のコンパクトだけど、存在感とオーラをじんわり漂わせる風格は現行以上かもしれない。あれからもう40年も経つんだな。1980年には新婚旅行を兼ねたヨーロッパ初取材で念願のルマン24時間レースを生で観た。

そうだ!!ルマンに行ってみることによう。
Posted at 2010/09/27 08:17:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「撤収!! http://cvw.jp/b/286692/42651196/
何シテル?   03/24 18:25
運転免許取得は1970年4月。レースデビューは1975年10月富士スピードウェイ。ジャーナリスト(フリーライター)専業は1978年9月から。クルマ歴は45年目、...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2010/9 >>

    1 2 34
567891011
12 13 14 15 161718
192021 22 23 24 25
26 27 28 29 30  

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

64回目の終戦記念日 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/08/15 15:36:17
水素でいいと思う 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/16 08:18:46
変わるかな。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2013/01/01 22:53:46

愛車一覧

トヨタ プリウス トヨタ プリウス
しばらく耐える秋なのだ。
その他 その他 その他 その他
2009年3月3、4日に行われた第79回ジュネーブショーの画像です。

過去のブログ

ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation