
私はR35 GT-R(MY14)を所有していたので、生産終了には感慨深いものがあります。
MY14は開発責任者が水野氏から田村氏に変わり、ラグジュアリーさを身に纏った最初のモデルだと記憶しています。
ヘッドライトの「イナズマ」はこのモデルから採用されました。
以下、BUSINESS INSIDER JAPANから引用、加筆。
2025年8月、日産GT-Rは、ついに18年の歴史に幕を下ろしました。

R35 GT-R 生産オフライン式
2007年に登場したR35型GT-R NISMOは、2013年にはニュルブルクリンク北コースにて量産車最速となる7分8秒679を叩き出し、世界中で話題になりました。
また、一度もフルモデルチェンジすることなく、性能を磨き上げながら成長していった異端児でもあります。通常なら6〜7年ごとに世代交代する自動車業界において、18年という長い期間同じモデルを維持し、年次改良を続けたことは極めて珍しいことです。しかし、そこには偶然ではない「経営判断」がありました。
もともとスカイラインの派生モデルとして存在していたGT-Rはなぜ独立したモデルとなり、なぜ姿を変えずに走り続けたのでしょうか。これは、カルロス・ゴーン氏が率いた日産の戦略でした。
1. ゴーン氏の賭け、危機の象徴を旗艦に変える
1999年、経営危機に陥った日産の「黒船」としてやってきたカルロス・ゴーン氏は、徹底したコスト削減と効率化で会社を立て直しました。ルノー時代には「コストキラー」と呼ばれたその手腕は、数字を優先する冷徹な合理主義者としてのイメージを関係者に植付けました。
同時に、彼が打ち出したのは「象徴的な1台」への投資であり、それが「GT-Rの復活」でした。一見すると、この判断は彼の経営哲学と矛盾しているように見えます。なぜなら、GT-Rのようなハイパフォーマンス・スポーツカーのビジネスは、極めて成立が難しいからです。
第一に、顧客層が極めて限定的であることです。高価格、実用性の低い2ドアクーペという形態、そして高性能を維持するための高額な維持費を許容できるのは、ごく一部の富裕層や熱狂的な自動車ファンに限られます。一般的なファミリーカーのように、幅広い層に「数」を売って利益を出すビジネスモデルが成り立ちません。
第二に、その限定的な市場には、「ブランド」という名の鉄壁を築いた競合がひしめき合っています。ハイパフォーマンスカーを買えるだけの経済力がある顧客は、当然ポルシェやフェラーリが選択肢に入ります。彼らが求めるのは単なる速さや性能だけではなく、「ポルシェ911を所有する」というステータス、レースの歴史が紡いできた物語、そしてそのブランドが持つ世界観そのものです。
日産のような大衆車メーカーが、いくら高性能なクルマを開発しても、「なぜポルシェではなく日産を選ぶの?」という問いに答えなくてはなりません。性能で上回ることはできても、数十年かけて築かれたブランド価値を覆すのは至難の業なのです。

ポルシェ911カレラ
第三に、莫大な開発・生産コストがかかること。企業の技術の粋を集めるため、エンジンからシャシーに至るまで多くが専用設計となり、開発には巨額の投資が必要となります。販売台数が少ないため、このコストを一台あたりの価格に転嫁せざるを得ず、結果としてさらに高価格化し、顧客層を狭めるという悪循環に陥りやすくなります。倒産寸前だった日産にこれに耐えうる体力はありませんでした。
なぜ、ゴーン氏はハイパフォーマンス・スポーツカーのビジネスに切り込んだのでしょうか?
ゴーン氏は就任当初からハイパフォーマンスな旗艦車を出すことによる、ブランド全体への波及効果を狙っていました。ブランドの頂点に立つ旗艦車を世に出すことで、日産全体の存在感を押し上げるという戦略です。この発想は、アウディが採算度外視で投入したR8も同じです。R8そのものは大量に売れるクルマではありませんでしたが、「ル・マンを制した技術を搭載したスーパーカー」という存在が、アウディの全モデルの価値を底上げしました。

アウディR8
同じようにゴーン氏は、「日産の象徴を再び立ち上げろ!」と号令をかけたのです。これは、合理主義の枠を越えた決断でもありました。若き日のゴーン氏はミシュラン在籍時にフェアレディZ(Z32型)を愛車にしていたというエピソードは有名です。

フェアレディZ(Z32)
経営者としては数字を重んじる冷徹な側面を持ちながら、同時に一人のスポーツカーファンでもありました。その情熱と経営戦略が結合し、日産の旗艦車「GT-R」の開発が再び走り出しました。
2. 9カ月で試作車、現地主義と筋肉デザイン
カルロス・ゴーン氏が2001年の東京モーターショーでGT-R復活を宣言したとき、会場はどよめきました。その裏で、日産社内には冷ややかな空気も漂っていました。1999年での日産の自動車関連負債は2兆円以上にのぼり、46車種中利益を出していたのはわずか3車種という壊滅的な状況だったからです。さらにスポーツカー市場は縮小している状況下で、旗艦スポーツカーの再生は、現実には採算の合わないものに見えました。
GT-R復活の大役を託されたのが、今や自動車業界のレジェンドの一人でもある、エンジニアの水野和敏氏です。彼はプリメーラやスカイラインといったセダン系を担当しつつ、NISMOに出向、卓越したリーダーシップで衰退したチームを、連勝チームに押し上げた実績を持つエンジニアでした。机上で図面を引くこともできれば、ピットでドライバーと同じ言葉で会話することもできる、つまり量産設計とモータースポーツという両極端の文法を理解していました。ゴーン氏が彼を「ミスターGT-R」に指名した理由は、まさにその二面性にありました。
だが与えられた条件は過酷でした。

GT-Rコンセプト
2007年秋の発表をマイルストーンに据え、そこから逆算すると開発期間はわずか3年あまりしか残されておらず、通常なら6〜7年を要する新型車開発、しかも予算も通常のスカイラインの半分です。これらを実現するために常識を覆す手法が必要でした。水野氏はプロジェクト始動から1年半を組織作りに当てました。それからわずか9カ月で試作車を立ち上げ、ニュルブルクリンクに持ち込むという開発を行いました。

R35 GT-R(初期型)
背後にあったのは、設計より先に動く試作車を作り、現地で走らせて評価するというプロトタイプ手法でした。数年かかるはずのプロセスを圧縮し、ニュルブルクリンクで計測と改良を繰り返す、しかも現場には設計部門や実験部門だけでなく、生産、サービス、営部門の担当者まで呼び込み「あなたの部品が命を左右する」と責任を共有させたのです。組織全体を一台の試作車に集中させるこのやり方は、従来の縦割り体制を打破するものでした。
開発はメカ部分だけでは終わらません。GT-Rのデザイン造形もまた、従来のスーパーカー文法を意図的に外したものでした。デザインを統括した中村史郎氏は「GT-Rはタイムレスなデザインを目指した」と語っています。フェラーリやマクラーレンが官能的な曲線で魅せるのに対し、GT-Rはあえて直線と面を強調しました。ボディ全体は塊感に富み、各部は鍛えられた筋肉のように段階的に張り出しています。特にボンネット上に配置された二つのエアインテークの盛り上がりは、まるで血管が浮き上がったマッチョな筋肉のような迫力を持ちます。「力の可視化」を意識した、美しさよりも強さを体現する造形です。中村氏はいすゞ在籍時代にSUV「ビークロス」のデザインに関わっており、あの塊感の強いフォルムはR35に通ずるものがありそうです。

いすゞ ビークロス
欧州のコピーを避け、日本の美意識を投影するという姿勢は、中村氏の著書『ニホンのクルマのカタチの話』でも繰り返し語られています。日本的な静かな力を、世界に通用する機能美として結晶させたのがR35だったそうです。異形だが突き詰められたデザインは今なお風化しない存在感を放っています。
3. モデルチェンジしない合理性。18年走り続けた理由
日産GT-R(R35型)が2007年の登場から約18年もの間、フルモデルチェンジを行わなかった理由は、単なる「放置」ではなく、「イヤーモデル制」という独自の進化哲学と、巨額の開発コスト・法規制の壁という現実的な要因が組み合わさった結果です。
①「イヤーモデル制」による完成度の追求
開発責任者(当時)の水野氏が掲げた方針で、「毎年進化させ、その時点での最高を届ける」という考え方がありました。
通常の車は数年に一度大きく形を変えますが、GT-Rは中身を毎年アップデートし続けました。エンジン出力は当初の480馬力から、最終的には600馬力まで向上。足回りや空力も常に刷新されていたため、「見た目は同じでも中身は別物」と言われるほど深化を続けました。

GT-R NISMO
②世界最高峰のプラットフォーム(PMパッケージ)
R35型は、エンジンをフロントに、トランスミッションをリアに配置する「独立型トランスアクスル4WD」を採用しました。
この構造は極めて理想的な重量配分を実現しており、登場から10年以上経過しても、世界のスーパーカーと対等以上に渡り合えるポテンシャルを持っていました。この基礎体力の高さが、長期にわたって現役を続けられた大きな理由です。

独立型トランスアクスル4WD
③スポーツカー特有のビジネス的な難しさ
GT-Rのような超高性能車をゼロから作り直すには、数百億〜数千億円規模の投資が必要ですが、世界的なSUVブームや電動化へのシフトにより、ガソリン車のスポーツカーにそれだけの投資を回収できる見込みを立てるのが非常に困難でした。

BMW X6
4. 規制の壁と「終わりの決断」
18年という歳月が、最終的には限界をもたらしました。
近年、騒音規制(フェーズ3)や排ガス規制、衝突被害軽減ブレーキの義務化など、設計の古いR35の基本骨格では対応しきれない法規制が次々と登場しました。
2025年をもって生産終了となる大きな要因の一つに、「将来的に部品の安定供給が難しくなること」が挙げられています。
R35 GT-Rは、「最初から完成度が極めて高く、毎年進化させることで古さを克服してきた」一方で、「厳格化する現代の法規制という物理的な限界に達した」ため、フルモデルチェンジではなく生産終了という道を選んだといえます。