2013年06月22日
この曲のリリースは1995年
Jリーグが誕生してから2年後の事
鹿島アントラーズが黄金期へと向かう成長段階でもあった
そんなアントラーズに魅力が無いはずが無かった
そもそもサポーターとファンの定義など存在しないと私は考える
あくまで自称
アウェイでの名古屋グランパス戦で私はサポーターになった気がする
初めて購入したユニフォームを着てスタンドに立った・・いや正確には
座って観戦をしていた、そこへ試合前にいわゆるアントラーズのサポーターの一部から
「おい!ユニフォーム着て座ってられるのか?!」と言われた
周りは味方なのか?敵なのか?小心者の自分が来る場所ではないのに
なぜか自分はそこにいた・・・鹿もユニフォームを着て・・・
それからアウェイの広島戦や長崎でのガンバ大阪との天皇杯そして
アウェイ中のアウェイ、マレーシアへの海外遠征へと足を運んだ
すでにサポーターという分類に居たのかもしれない
アントラーズの成長と共に私はもうひとつ切っても切れないものがある
それはインターネットだ私がアントラーズを愛するようになった頃
当時はインターネットの走りの時代
携帯電話でEメールさえ受信できない時代の話だ
レンタルからいよいよ販売という時代でもある・・・
スタジアムの周りできた新しい公衆電話はグレー
そう、ISDN対応の公衆電話が世の中に溢れ始まった時期
スタジアムという日本の中でも近未来な場所の一つ
次々にネットの環境が整っていったISDNにPHSそして携帯電話での低速ネット接続
そんなか始めたのがスタンドからの試合ならぬスタンドの風景中継
当時はツイッターもフェイスブックも存在しない、有名なホームページといえば
当時JリーグのスポンサーでもあったDNP、大日本プリントのホームページくらいの時代
リアルタイムにはムリだったがISDNの公衆電話からモデムを接続してインターネットへ
アップロードを行ったのが始まりだった気がする。携帯電話でネット接続ができるようになり
私のスタンドからのリアルタイム中継の歴史が始まる・・・
まさに鹿島アントラーズ再絶頂期、雨の日もスタンドからPCをカッパで覆い全国の
誰ともしれぬ人へ発信を続けた・・・実は自力ではなかった、自力といっても回線の話
当時はパケットでの課金ではない接続時間だ、90分の試合をフルに中継しようものなら
万単位で課金される恐れもあるレベルだった、当然私が支払うのはムリ
当時ホームページを開設することが一つのブームとなりつつあるとき、アントラーズの
サポーター集団のINFIGHTさんのホームページ作成にも携わる事となる・・・
そう、INFIGHでのライブ中継を行なっていたのが私をはじめとするネット集団(笑
今思えば、アントラーズオフィシャルのHPさえ無い時代に行なっていた事・・・
当時の通信環境から言えば世界的にも日本は進んでいたはず
ともなれば個人でスタンドからサッカーいやスポーツの中継を行ったのは
もしかすると世界で私達が初めてなのではないか?そう思うくらいだ
見る人も限られていた・・・ベッコウアメなんていうプロバイダーでお~!と思う時代の話だ
ともあれ、アントラーズの黄金期をインターネットで支える事ができた
これは私にとっての誇りだ、アントラーズ優勝の瞬間を
サポーターの最後列からインターネット中継をした・・・
選手を舞妓するサポーター達の勇姿を世界へと発信した
最後の「リターンキー」の瞬間を今でも鮮明に覚えている
なにか演奏を終えた指揮者のような気分で入力を終えた・・・
では、最初の音楽の話へと戻ろう・・・
試合後4時間かかる鹿島⇒自宅時に聴きまくっていた曲だ
クールダウンするにはちょうどよいリズム、
サポーターという行動は誰のためでもない、自分の為だ
当時働いていた会社には申し訳無いが、平日仕事中はクールダウンwの時間
そして土日はおもいっきりJリーグだった
今こうしてヘッドフォンで聞くだけで車の振動までもが自分の中で蘇ってくる
過ぎゆく風景、台風の日も、大雨の日も、大好きなアントラーズの為に通った道を
この曲とともに思い出す・・・
(次は私とマスコット編・・・えっ?興味ない?)
Posted at 2013/06/23 00:13:51 | |
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2013年06月22日

ライカくん!
ヴァンくんのが上だから!謎

Posted at 2013/06/22 18:09:34 | |
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2013年06月22日

ふりまるくん♪
サインはだれのかしら?
自分のだたり、、、orz

Posted at 2013/06/22 18:07:57 | |
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