
この記事は、ここに載せるべきかと、何度も逡巡しました。
でも、一つの自分への区切りのために一生懸命正直に書き、たとえお一人でも同感して下さる方がいらっしゃればと思い、決意しました。
毎週、群馬県上野村を通ります。
躊躇というよりも、自分のような者が訪れる資格はないと思い、どうしても足を向けることが叶いませんでした。
去年の夏、そして今年の夏。
元日航キャビンアテンダントの方、お世話になった先輩を亡くされた方が、2冊の本を出版されました。この事故は「事件」との仮定・結論・証明をされていらっしゃいます。
上野村の小学生・中学生の目撃談を収めた学校の文集とその内容、遺体と残骸の化学的調査結果をこれらの著作で知り、震撼しました。
事実は今もって闇の中。今のボクに出来ることは、御巣鷹の尾根を訪れることだけと思い決心、行って参りました。
旧登山口の観音様。
今はもう少し上まで車で行けます。
当時の村長さんの言葉。
特攻隊の生き残りとのことです。
参道入り口。
杖と傘を借りることが出来ます。
ボクは杖1つ。
…。
…。
ボクも、そう思いました。
尾根を挟んだ両側、急峻な二つの谷間を上り下りすると、58歳の運動不足の体は悲鳴を上げました。でも、せせらぎの音以外に何も聞こえぬ此処に立ち、同じ思いに頷きました。
左は昇魂之碑、右はスゲノ沢。
スゲノ沢はブツ切りになった最後尾が、新しい植林の上を滑り到達したところ。
損壊の少ない「完全遺体」が多く発見され、4人の生存者が確認されたところです。
スゲノ沢。
沢山の風車。
奥左は遺品と遺影が展示されています。
道沿いの左側には墓碑が並んでいます。
…どうしても、お名前が刻まれているそれらを、正面から撮れませんでした。
登り切ると「昇魂之碑」。
一礼をして階段を上り、手を合わせました。
足首つかんで、膝のなかに頭を入れる!
全身緊張! 頭を下げて衝撃に備える!
頭を下げて、頭を下げて、全身緊張!
それぞれの客室乗務員が発する大声が、機内に響き渡る。
この時は通常では考えられないほどの大きな声を出して命令口調で叫ぶ。
お願いする口調ではない。
笑顔もない。
サービス要員としての言葉が消えた瞬間であった。
十八時五十六分二十六秒 墜落音 二十八秒 録音終了
(元日航乗務員 青山透子 「日航123便 墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」より)
手を合わせていると、とめどなく涙が溢れ始めました。
横隔膜が痙攣し、低い嗚咽が漏れました。
それが真実ならば、
今後も隠蔽され続けるのなら…
自問自答しながら、下山しました。
でも、
後悔はありませんでした。
たまたま123便に乗っただけで人生を突然断たれた520人の方々が、この尾根で永遠の眠りにつかれていらっしゃいます。
翻って、自分の58年間の生き方と、残された短い今後をどう生きるべきなのかを考えさせられました。
下山途中に雨が降り出し、降りたらビショ濡れでした。
駐車場の車のナンバー。
大阪、神戸、鳥取、広島…。
今もなお、123便は着陸していないと思いました。
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Posted at
2018/10/24 19:42:13