
深夜のことだった。
「まほろばや、まほろばや」
祖父の声だ。寝室の扉を開けて、呼んでいるようだ。
『おじいちゃん?』
「そうじゃ。そっと、表に出てきぃ」
外に出ると、空は満天の星で満たされていた。
虫の声が意外と大きく聞こえる。
祖父は、なにか細長いものを袋に包んで持っていた。
「まほろばや。本当は昨日渡そうと思っておったのだが、どこへいったかわからなくなってしもうてな。今日一日、家中探し回っておった」
祖父はするすると包みを解き、それを目の高さに掲げた。
「これを、やろう」
―――剣。細い。
『きれい……』
思わず声に出していた。
「そうであろう。」
祖父はうなずいて言った。
「これは異国の剣でな、ずっと昔にローマリアのがらくた市で掘り出したのだ。刀身しか残っておらなんだが、わしが鍛えて、すべてこしらえ直した。刃先は鋭く、よくしなる。」
ここで祖父は、剣の切っ先を夜空の星々に向けた。
「名を、ハヤブサという」
『はやぶさ?』
「この大陸にはおらぬがな。獰猛な空の狩人だ。鷲よりちいさい鳥だが、鷲よりはやい。わしがこの剣を託す意味がわかるか?」
『はい。なんとなく……』
祖父は剣を下ろしてさらに語り始めた。
「オラテガはわしに言わせても強い戦士だったが、この剣は使おうとせなんだ。軽すぎて持っているかどうかもわからぬ剣など性に合わん、と言うてな」
『父上が……』
「あやつは強すぎたのだ。何ものも恐れず、かわさず受け止め、のちにそれ以上の力で返す。そういう流儀だった。しかしだ」
途中で言葉を切って、語気強く言った。
「しかし、それではいかん。それでは、どんな勇者もいつか倒れる。その無謀さも、あやつが消息を絶ったのと関係なくはなかろう」
ここで、祖父は私の目をじろりと見る。
「かわせ」
『え?』
「軽さを生かし、かわすのだ。はやさで戦うのだ。戦士たるもの、腕力だけではいかん。身のこなしと頭も使わねばな。ただし、かわすことと恐れることは違う。逃げずに、見極めるのだ。」
ここまで言いおわると、長く息を吐き、夜空を見上げた。
「技の他に、心配がひとつある。おまえは殺生を好まぬ。ましてや、人を斬ったことはない」
その通りだった。狩りの真似事で、獲物の小動物を殺したことは何度もあったが。
「その優しさはよい。だが、一瞬の遅れも許されんときにためらっておると、仲間を死なせることにもなりかねん。迷うな。迷わず思い切って選んだ道が、いつでも最善なのだ」
今度は、わが家の二階を振りむいて言った。
「あれらはよい仲間だ。仲間は大事にしろ」
『はい。肝に銘じます』
祖父は再び剣――ハヤブサ――を掲げた。
「さあ、受け取れ」
私はそっと、ハヤブサと包みにくるまった鞘を受け取ると、その細く美しい刀身を鞘に収めた。
「おまえは生まれたときからわしが仕込んできた。素直で、強く、優しい子だ。まったく自慢の孫だ。よいか、必ず生きて帰って来い。必ずだ」
『おじいちゃん!』
私は祖父に飛びつき、声をあげて泣いた。
祖父も泣いていた。
周りには、私たちを取り囲むように虫の音が響いていた。
四半時間も経って少し落ち着き家に戻ろうとしたとき、初めて母が木陰から見ていたのに気づいた。
『母上……』
たぶん、剣を受け取る前からずっと見守ってくれていたのだろうと思う。
涙が残っていればまた溢れ出していたのだろうが、涙が枯れたあとに出てきたのは微笑みだった。
母はいつも通りの“すべてお見通し”の顔で、微笑みを返してきた。
二階の寝室に戻ると、女三人衆(言うまでもなく、私・しののめ・どぶろくのこと)の寝室の扉が開いたままになっている。そのすぐ前の廊下で、てつぞうがひっくり返って大の字に倒れ、うめいていた。
「う……うぅ……」
『どうしたの?』
返事がない。(ただのしかばねのようだ。)
寝室で寝ているしののめとどぶろくに何かあったのかと聞くと、
「知らないわよ!」
「オッサン、寝ぼけとるだけやろ」
心配する素振りもない。
仕方がないので、てつぞうの寝室から毛布を持ってきて、きちんとかけてあげた。
『風邪、ひいちゃダメよ』
「うっ、うう……」
てつぞうの閉じた両目の端に光るものがあったが、私がその意味を知ることはなかった。