2018年09月19日
もう30年以上昔の話だが、大学4年の頃、1年間だけ実家の車を持ち出していた。と言っても実家から下宿先まで片道800km。これを行ったり来たりしていたわけだから、体力と気力がないとできない。今ではとても無理。エアコンもついていない、バリバリのオヤジ車(昭和48年式コロナ1600DX^^;)で、速度警告音のキンコンに眠気を誘われながら、よく走ったものだ。あの頃はいろいろ若かった。。。
さておき、この往復にいつも高速道路を使っていたが、気分次第で2つのルートを楽しんでいた。中央高速ルートと東名高速ルートである。
中央高速ルートでは、長い恵那山トンネルが、東名高速では海沿いの景色や御殿場あたりの絶景がいつも楽しみだった。
夕方に出発して夜通し走ることが多かったが、長い道のりの友がカセットテープだった。どの道を通るかで聴くテープが決まっていて、たとえば中央高速なら松任谷由美などの都会的な曲。松任谷由美の「中央フリーウエイ」をカセットで聞きながら走る中央高速は、もう歌の世界とリアルがシンクロして、気分は最高だった。東名高速を走る時は当時流行ったウインダムヒルのような心地よい音楽が多かった。
大阪から実家までの間にも、阪神高速~山陽道か中国道かという選択肢があったが、こちらは眠気覚ましのユーロビート系のノリの良い曲が多かった。
AMラジオで放送されていたトラッカーのための深夜放送などもよく聴いた。こちらは演歌系のリクエスト曲が多かったが、それはそれで味があった。途中のSAやPAも楽しみだった。どこで何を食べるか、疲れたらどこで仮眠を取るか、選択肢は多くあった。つい雰囲気に流されて途中のインターから地道に降り、見知らぬ土地でまだ残っていた国道沿いのドライブインでラーメンやカレーを食べるのも面白かった。気分が乗ればそのまま地道を走ることもあったが、ナビのなかった時代はずいぶんとマップルのお世話になったものだ。今でも当時の曲を聴くと、懐かしい思い出が蘇ってくる。
高速道路だけでなく、富士五湖周辺や箱根、ビーナスライン、天城峠なども走り尽くした。走った道をマップルにマーキングしながら、「次はこのあたりを走ろうかな♪」と、わくわくしていた。1年間で走った距離は約50000km。使ったガソリン代はおそらく100万円(^^;お父さん御免なさい)超。なんとも親不孝な一人息子であったなぁ。。。
結婚してからも、しばらくは移動は車がメインだった。岡山~金沢を日帰りしたり、車中泊で和歌山のアドベンチャーワールドに行ったり、山口の秋吉台まで走ったり、そういえば新婚旅行の北海道はレンタカー(赤いインプレッサだった)で走ったし、いやぁ若気の至りというのは恐ろしいものだ。
さすがに中年の域になると、電車や高速バスでの移動にシフトして、車で長距離を走ることがすっかりなくなっていたが、バレーノに乗り換えてから、なぜか若い頃のように走りたい気分が蘇ってきた。週末あたり神戸ぐらいまで走ってみようかな。。。
Posted at 2018/09/19 23:54:25 | |
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