2002年10月14日
木住野佳子さんをご存じですか?今回の帰省で一番聞いたのが彼女のアルバム「fairy tail」でした。特にこの中の「The Island」がすばらしい。ピアノ独特のさわやかさを存分に感じさせてくれます。
私は夜の10時頃、大分と別府を結ぶシーサイドロードをオープンで走りながらこの曲を聴いていました。そうすると身震いするような快感が襲ってきました。オープンカーを乗られる方、ジャズピアノを体験してみたい方、この曲はおすすめですよ!
Posted at 2002/10/15 23:25:27 | |
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2002年10月12日
福岡から大分への帰路は高速を使わず、ゆっくりと一般道を通ることにしました。ルートは学生時代を過ごした飯塚という町を経由することにしました。
飯塚での学生生活は私の「人生の夏休み」といえるほど自由でエキサイティングな毎日でした。1年目はとにかく遊びに没頭し、自宅の電話に教授からの留守録が入っているほどでした。塾の講師で稼ぎ、そのほとんどをドライブとデートに費やしていました。2年目はとにかく研究に没頭し、ファーストネームで論文をだすことができました。悔いのない学生生活を送り、その充実感が今でも私を支えています。
バイトをしていた喫茶店も、まわりにいろんな競合店が進出しているにもかかわらず、依然立派に営業していました。私が住んでいたアパートも、よく利用したスーパーも健在でした。驚くほど進化しているのに、学生時代の思い出はそのまま残っていました。
そんなふうに町中を車で流しているととてもセンチメンタルになってきました。そうすると思い出すのは当時つきあっていた彼女のことです。彼女は地元の子で、中心街からそう離れていないところに実家がありました。家族ぐるみのつきあいで、ご両親からも大変お世話になっていました。お母さんはロードスターを購入し(もしかして私のため?!)、そのおかげでドライブに使わせてもらったりしていました。本当に感謝しきれないほどです。
そこでご両親に会うために勇気を出して、彼女の実家に行くことにしました。そこまでの道のりは今まで以上にときめきの連続でした。
「あっ、まだあの美容院は健在なんだ。」
「そうそう、ここにクリーニングだしてたっけ。」
強烈な思い出と共にいろんな風景が目に飛び込んできます。そうしていると、思わず道を間違えてしまいました。どうやら私は完全に動揺していたようです。
なんだかんだでようやく彼女宅にたどり着きました。ちらっと横目で見ると巨大なランドクルーザーが止まっています。
「そういえばお母さんはランクルを買ったんだよね」
お母さんがいるんだなと思いながら、表に回りました。すると車が3台止まっているのがわかりました。一つ一つ見ていくと、驚くことにその中に彼女の車もありました。彼女はすでに結婚しているため、実家にはいないと思っていましたが、それがいたのです。
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実は2年前一度彼女に家に行きました。そのときは自宅にお父さんがいらっしゃって、私の顔見るなり「早く会いに行ってください。きっと喜びますよ。」といってくれました。私の顔を覚えていてくれただけで私はうれしかったのに、そのうえ会いに行くことを勧めてくれたときの感動を思い出しました。
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ご両親に会いたい一心でしたが、彼女がいた分、ドアをノックすることにとまどいました。何年もたって、しかも結婚した彼女に元彼が会いに来ることはなんか変です。心臓がどきどきしながらもじっくり考え、結局今回は遠慮することにしました。前回は会えなかったお母さんに会うチャンスだったのですがしょうがありません。
けど、次回訪れたとき、もしそのとき彼女の車が止まっていても今度はノックしてみようと思います。そんな偶然を想像しながら帰途についたのでした。
Posted at 2002/10/14 13:44:30 | |
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2002年10月11日
私が担当しているプロジェクトが10月1日より開始し、マイルストーンを迎えることができました。この2、3週間はかなり緊張感が高く、このプロジェクト以外のことを考えることができませんでした。
私はそのプロジェクトの開発を担当していますが、私にとってのサービスインは新たな試練の始まりでもあります。ですから、10月に入ってからも気を抜くことなくがんばってきました。
しかし、とうとうオーバーフローしてしまったようです。なにもかも手につかなくなってしまったのです。こうなると開発や業務に集中することができなくなり、ミスを連発するようになります。これはやばいと思い、東京を脱出、今福岡にいます。
福岡は未来的な町です。建物も近未来的ですが、特に人々の考え方がポジティブで、とにかく人生を楽しもうとする意欲を感じます。人情味があり、それでいて都会的。そんな人々に支えられた町、福岡はとてもすてきな町です。ここは私にとって最もリフレッシュできる空間かもしれません。
そんな福岡を歩いていると、目の前で突然サーカスが始まりました。そのサーカスがあまりにもおもしろくて、思いっきり大声をだして笑っちゃいました。それが涙が出るくらいうれしかったです。今、本当に福岡に感謝しています。
Posted at 2002/10/11 19:32:15 | |
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2002年10月05日
初めに結論を言うと、コミュニケーションコストは組織の大きさには関係ないみたいですね。たぶん信頼関係だと思います。疑ったり、駆け引きしたりすること。これらがコストを増加させるケースが多いようです。またそれによる精神的なストレスも見逃せない問題点です。
最近企業で事業部別に決算報告を行い、競争心をあおるといった手法がとられているのを目にします。確かに緊張感は出て、コスト意識は高まるのですが、このルールでは事業部を越えたりソースの貸し借りにもコストがかかります。つまり、隣の事業部のあるメンバーに助けを求めても交渉が必要になります。もしそこにも駆け引きがあるのなら、コミュニケーションコストが発生します。
さらにエスカレートすると、社内でマッチポンプが始まります。例えば、事業部Aが事業部Bの悪口を言って、事業を横取りしようとするケースです。これは結果的にクライアントからの信頼を失い、社として失注するという最悪のシナリオを生みかねません。ですから、私は事業部別採算制度があまり好きではありません。
組織は、競争することよりも助け合うことの方がメリットが多いように思います。過剰な競争は足を引っ張り合うという最悪なパターンを引き起こすこともありますし。
相手を信じることは難しいのですが、まず自分が信じなければ相手は信じてくれないようです。そして、一緒に仕事をしていくうえでは、たとえだまされても信じ続けなければだめなようです。でないと、いつまでも信頼関係が構築できず、コミュニケーションコストが増大し、結局自分の足を引っ張ってしまうからです。
Posted at 2002/10/05 16:44:28 | |
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2002年10月05日
ソフトウェア開発も建築と同様で、要件定義や基本設計、製造、試験といった一連の工程があり、それに沿って開発するのが一般的です。まずは要件を聞き、それを設計に含め、作成した設計書に従って製造します。もし要件が変更になったときはまたその部分の設計をやり直して、同様の工程を踏むことになり、その分工数がかかってしまうことになります。設計書から工数を見積り、人件費とのかけ算がソフトウェア開発の対価となります。
このプロセスの場合、要件の変更がすべてを狂わす諸悪の根元になります。締切が遅れるか、他の要件を削るか、人を追加投入して(追加でお金を投入して)間に合わせるという選択肢から選ぶことになります。したがって、変化に弱いプロセスといってもよいと思います。
ところで、私の関わるプロジェクトはあまりに変化が多く、上記のプロセスは現実的でないと感じています。私も時間がたてば変化するのは当然であり、むしろ変化を当たり前とする開発プロセスのほうが顧客にとって満足いただけるものに仕上がる可能性が高いと思います。
こういった事例が多いためか、事実このようなプロセスを開発する取り組みが盛んに行われています。この日記の表題はその手法の一つである「エクストリームプログラミング」の基本姿勢をあらわしています。
ただ、いろんな手法を見てきましたが、一番大切なものは「変化を受け入れるという気持ち」だと思います。例えば、クライアントがこうしてくれ、ああしてくれ、という無理難題にまずは前向き(その通りにしようという)に受け止めるという姿勢が重要だと思います。そして、そのようにして開発して失敗しても、後から取り返しがつくように開発する習慣をつける必要があります。こうしたスタンスで開発していると、自ずと基本設計はもちろん詳細設計やワークフローさえも、今までの考え方を変えなければならないことがわかってきます。
このような開発手法を総称して「アジャイル開発」や「lightweightプロセス」と呼ばれています。これからも注目していきたいですね。
Posted at 2002/10/04 01:44:21 | |
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