さて、前回からの続きです。私が最初に訪れた時のアンボンは、実にのどかで、海も豊かでした。ルアーを投げればいくらでも魚が釣れ、カツオ、サワラ、バラクーダなど幾らでも釣れました。純朴な海の男たちの暮らす漁村、そこはまさに「時の流れが止まっている場所」と私は言っていましたね。海とともに暮らし、その日の生活の糧だけを求めて、必要以上の物を求めず、人間らしくスローライフ、これがマルクの海人でした。その漁村から一日船を借りて、今日はのんびり釣りをするぞ、ということになり、その船に積み込んだのが何と私の見ている目の前で木から採り始めた沢山の椰子の実。喉が渇いたと言えば、ナタで硬い椰子の実をたたき切り、ホイと私に勧めてそれをゴクゴクと飲む。昼飯は漁村の飯屋が用意してくれた海人が海の上で食べるような紙包みの弁当。魚の素揚げ、野菜炒め、サンバルという激辛調味料、それをスプーンなんてないからローカルの人間を真似て自分も手で食べた。まあ、美味かったです。そういや、アンボンはEs kacang Hijau=緑豆かき氷が有名なんですが、これほぼ毎日食っていましたね。今食べたら間違いなくお腹を壊すと思いますが。
急がず、焦らず、必要以上の物を求めず、のんびりと今を楽しむ、その時の自分はマルク人はおそらく世界でもかなり天国に近い場所に住んでいるのだろうなと感じました。そしてあの忌まわしい911事件から間もなくして、アンボンが大変なことになっていることを知りました。宗教対立の激化により街は内戦か空襲にあったように滅茶苦茶となり、血なまぐさくて正視できない惨状が写されていました。いつかまた行きたいと思っていたが、もうこの島には行けないのか、そんな思いを長年抱き続けていましたが、2010年に情報を集めてみるともう治安状態も回復したとのことなので、思い切って行くことしたのです。そして2010年の年末、到着した初日にサメを釣り上げたその日にホテルが紹介してくれたBlue Rose Diversというダイビンガガイドサービスに向かいました。そして最初は案の定、わたくしを案内してくれた運転手さんと明日からガイドをするトニーという男性が現地語で会話していたので私は全く理解できない。おそらく色々と事情を話していたと思います。そして挨拶もそこそこにトニーが「出船は朝6時、昼飯と飲み水は自分で用意してきて欲しい。GTのポッピングと聞いているが、疲れたらトローリングもやろう。」そして砂浜に係留してある船を見てさらにビックリ。こんな笹船みたいなので海に出るのかよ!と。そして期待に胸を膨らませてその晩はグッスリ寝た。そして翌日、南国でも早朝は肌寒いのですが、薄暗い中を昨日のビーチまで行き、膝まで海に浸かって船に乗り込む。

さあ、どこのポイントに案内してくれるのだろうと思ったら出船してから10分足らずでエンジンサウンドのトーンが低くなり始めた。えっ、もうポイント着くの? そこは目の前が砂浜の、なんの変哲もないただの海面。「あっちだ。」とトニーが指さす方向へルアーを投げる。一発目は確かブルポップ200だったと記憶している。5~6投げたげ反応がない。するとトニーは直ぐに船外機を始動した。そして今度は5分足らずでポイント到着。ところがここは海岸が完全に岩場で、いきなりドンと深くなっているような場所。水の色は透明感のある群青色。「ここでむかしオレは70キロ釣っているからな。」とトニーが言う。

ガイドのトニー、その視線から物凄いプロ意識が感じられた。
これは出る。そしてルアーを投げ続けるが、何も反応がない。そうこうしているうちに私は大ドジを踏んだ。GTのキャスティングでやっかいなのはキャスト時にラインがガイドに絡みつくこと。私はそれをやり、揺れる小舟の上でFGノットを組みなおすはめになった。そしてまた別なポイント、また次のポイントと移動するが何も反応がない。おかしい。そうこうしているうちに日も登り始め、気温が上昇してくる。寒い日本からいきなり暑くて日差しの強い炎天下で延々とキャスティングを繰り返しているとばて始めた。実はマルク諸島はインドネシアでもかなり気温が高く、日差しも強い。それを見たトニーは「ちょいと戻って休もう。」椰子の木陰で、かすかにそよ風が吹く東屋の下で、小一時間ほど寝ると体力も回復した。そして今度は先ほどとは反対方向へ船を走らせる。だいたい15分ほど走らせたろうか。海岸から500メートルほど沖合の何の範哲もない場所でボートは止まった。トニーは船首から一時の方向へ指をさす。「えっ、ここ?」そういうと「ここいるぞ。」「なんでわかる?」「ここでダイビングしてGTがたくさん泳いでいるの見ているよ。」そして期待に胸を膨らませてルアーを投げ続けるが、何も反応がない。そして次に案内されたのがPintu Kota,日本語に訳すと街の門とでも言えばよいのだろうか。

たしかに見ようによっては門に見えなくもない。私はその入り口ギリギリにルアーを落とした。が、そこで出てきたのはミニサイズのGT。とうぜんフッキングなどできない。

こんな場所や、

こんな場所など、ほかにも色々と投げ続けたが何も反応はなかった。おかしい。
昔のマルクはもっと海が豊かだったはずだ。そうこうしているうちに日も暮れ始めたので、その日はビーチに戻り、夜はホテルでシャワーを浴びてステーキを腹に収めてさっさと寝た。

焼き加減も何もない、ガチガチのウェルダンで出されたが、こんなとこに来てミディムレアなど食って腹を壊したくもないので、これはこれで正解だったと思う。そういえば、別れ際にトニーが「あのサメはどこで釣れた?」「Batu Kapalだよ。」「よし、明日はPulau Tigaに行くぞ。波を被るけど大丈夫か?」「そんなのへっちゃらだよ。」寝床に入ると、運転手が車の中で流していたAngin baratという曲が耳に蘇ってきて、そのまま眠りに入った。
(続く)
Posted at 2023/06/14 10:38:32 | |
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