“車”と言う字の元は
荷車、であるとの説があり、象ったものである、との説がある。
現代に於いて“荷車”つまりリヤカーが好きな人も中には居るかも知れないが、基本的には
便利さ
自動化(肉体の省力化)
長距離移動
時間短縮
の面に於いて“車好き”と言えば自動車、自動二輪である。
私も、車好きを自称して、はや28年。幼稚園の頃に覚えた“サニー”から始まって、100を越える車種の名を覚えたものだが…
車好きは基本的にゴム製のタイヤがついたものに跨がる(乗る)のが好きだ、という共通項は否めない。異端的に、買い物用カーゴや台車に乗って遊ぶのも、車好きの証明でもある。
動くものが好き、なら電車や汽車、バスや飛行機なども好きな人が出て来て際限が無い。
しかし『乗る(運転する)のが好き』だとなると、自動車やバイクがもっとも一般的なものとなる。
そこで、人生の中で割と身近にあるのに、その存在が疎ましく思われる可能性が高いのが『自転車』である。
ある時はパクられ、
ある時はパンクし、
ある時は錆び付き庭の景色と一体化し、
ある時はゴミ捨て場に捨てられ、
ある時は物干し竿の支えになる。
新品のうちは嬉しそうに乗るが、
サドルが擦り切れ、
ハンドルが錆び付き、
ブレーキから異音を響かせ、
ペダルがひん曲がり、
フォークが歪んでタイヤが振れるようになると、
修理もしないで乗るか、捨てられるのである。
これが昭和年代のママチャリの姿。
平成になると、中国や東南アジアの自転車が増え、安く手に入れられるようになり、
やはり買い替えが進み、乗れる自転車が捨てられるようになった。
交通においても
疎まれている。
ルールも定着しないのに検挙だけが進んでいる。
停めるところが無いのに利用者だけは半端では無い。
全くもって自転車とは、ゴミの一つであり、交通社会の害悪である。
しかし…
私は昔から自転車も好きで、ブリジストンの新製品をチラシで見て買い求めた経験もある。当時3万もしたそれは『ブルゾン』という名を冠した自転車で、フロントチューブがトップ一本のみという斬新極まりないものであった。
トップの延長がハンドルのステムより前方に延び、それを上に湾曲させ、そしてフラットハンドルを取り付けてあった。
今ではそんな奇抜なデザインの国産車は見る事は無いが、違う奇抜さは垣間見える。
あれ以来、自分で自転車を買う、などということは無くなり、その場しのぎのシティサイクルを買うだけだった。
いよいよ、久方ぶりに新車を買う。
車好きには、際限が無いのだな…と自分に思う。