(司馬遼太郎-「峠」より)
「佐吉、おまえがこの往来ですっぱだかになったら、いくらになる」
と、突如継之助はきいた。
妙な師匠である。
その質問の意味は、いま身につけているものをくず屋に売ればいくらだ、自分で値ぶみをしてみろ、というのである。ただし腰の大小だけは別だ、のぞく、と継之助はいう。
「さあ」
佐吉は、わがふりを見た。上も下も木綿でそれもずいぶんくたびれており、小倉袴などは継ぎが二ヶ所ある。
「これなら二両二分ほどでしょうか」
「大層なことをいえ」
と、継之助は笑った。
「でも、着物は国の母の手織りなのです」
「母君のご苦労と、物の値段は別だ。そんな風体(なり)に二両二分も出したらくず屋はその日でつぶれてしまう」
「では、いくらでしょう」
「せいぜい、二朱だ」
二朱判も金貨の一種だが、一両の八分の一にすぎない。ひどい、と佐吉はおもった。
「不服なら、あのくず屋に値ぶみさせろ」
と、継之助はくず屋をよびとめた。
「ははあ、お姿のまま頂戴できますンで」
と、くず屋は腰をかがめて佐吉の風体をじっと見つめていたが、
「お下着ともで、二朱でいかがでございましょう」
と、すり寄ってきた。佐吉は逃げだし、継之助に追いついた。
「やはり、二朱でございました」
「そうだろう、そういうあんばいだ」
「安すぎます」
「べつに悲観せずともよい。しかし物の値段というのは心得ておいたほうがよい」
「武士たる者が、くず屋の値ぶみにまで通じねばなりませぬか」
「米の値段が諸式(物価)の王座とすれば衣料は諸式の関白職だ。始終心を敏感にしておくがよい」
「でも、私は武士です」
「武士だから、心掛けるのだ。大小をさしてから威張りをしているだけでは、武士は時勢の敗北者になる。いずれそうなる」
「わかりませぬ」
佐吉は、不服だった。武士だから財貨の道を心掛けよ、というのは、あまり耳ざわりのいい思想ではない。
「天下に、武士は多い。しかし一人として越後屋の番頭がつとまる者がいるだろうか」
継之助にいわせれば、越後屋の番頭がつとまるほどの武士でなければこれからの一国一天下を宰領してゆけぬ、という。
「一人だけ、いるらしい」
と、継之助はいった。
備中松山藩の方谷山田安五郎こそそうだと聞く。そこへ留学するためにおれは江戸を去る。おそらく、これが生涯の別れになるかもしれぬ、といった。
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「峠」 | 日記
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2011/06/09 01:11:26