(安岡正篤-「人物を創る」より)
「小人間居して不善を為す。至らざる所なし。君子を見て、而る后厭然(えんぜん)として其の不善を揜(おお)いて、其の善を著(あらわ)す。」
小人閒居為不善、無所不至。見君子而后厭然、揜其不善、而著其善。
人間というものは、ひまで他人の目が及ばないと(間居)、ろくなことを考えず、どんな善からぬことでもやりかねない。
厭然は自分が自分でうんざりすること。「あんぜん」と読む場合は、沈没する、沈溺するという意味になる。この場合は嫌になる意味だから「えんぜん」と読むべきである。
小人は平生はいい気になっているから、勝手放題なことをやっておるが、一度本当の人、即ち君子に出会うというと、小人もやはり人間であるから、その内に蔵されている良心が働いて、そのために自分が嫌になって、思わず自分の不善をおおうて、自分に潜在する善を出すようになる。
行年五十にして四十九年の非を知る
「論語」衛霊公編に、孔子が誉めている衛の賢大夫の遽(きょ)伯玉、その遽伯玉は「行年五十にして四十九年の非を知る」(淮南子)と言われている。
人間というのは、孔子も「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」と言われたように、だいたい五十歳ぐらいになると固定する。早い人は二十くらいで固定してしまう。これを若朽(じゃくきゅう)と称するのであるが、案外早く固まってしまうものである。
「命を知る」ということは、消極的には「もう俺はこれだけの人間だ」と諦めてしまうことである。それがさらに達してくると、人生というもの、したがって自己というものは、どういうものでなければならぬかという本質・本領をはっきり知って、造化の法則である「道」というものに完全に自己を合致せしめる。
即ち真の自由を得る。だから知命といっても種々あるが、どちらにしても、だいたい五十くらいになると、自分と言うものを大なり小なり、高かれ低かれ、分に応じておのずから自己を掴む。したがってだいたい五十くらいになると消極的意味において諦める。
「じたばたしてもどうにもならぬ、定年も何年かのうちにやってくる、だから俺もこの辺で止まりか」ということで、自分をそこで固定してしまう。造化・変化がきかなくなる。
したがってその頃から過去を顧みて、俺の若い時はということになって、いかなる人間でも自分の到達した極点において過去を顧みて、過去を抹殺することはしのびない。自惚れと瘡気(かさけ)とのない者はないというくらい、どんな人間だって相当に偉いので、「俺もここまで来て、さて自分の一生も満更ではなかった」くらいの、どうしても自分の過去というものにできるだけの意味を付与して、価値をおいて、なんとか自ら慰めたい。愚かな人間ほど自分の過去に意味を付けたい。であるから、その頃になって自叙伝を書いたり、あるいは他人に自分の伝記を書いてもらったりする。記念碑を建てるとか、情けない人になると墓に戒名まで朱で入れておくとかいったように、なにかやってみたくなる。これが人情である。現在の名士といわれる人の中にも、苦笑いするような自分の伝記を人に書かせて喜んだり、立派な銅像や記念碑を建てたりすることに夢中になっている人がずいぶんとある。
ところが遽伯玉という人は、五十になっても、四十九年の過去をすべて否定して、四十九年の非を知る。自分のやってきた道はうまくなかった、と感ずることのできる人だというのである。これはなかなかできないことである。遽伯玉がそういうことのできる人であるということは、やり直しのきく人であるということである。
これは「淮南子(えなんじ)」という老荘系の書物の中にある。シナの社会思想を知るエンサイクロペディアのような意味で、秦の呂不韋(りょふい)が作らせたという「呂氏春秋」、一名「呂覧」というものがあるが、これはどちらかというと、儒教的思想が根底になっている社会思想エンサイクロペディアである。老荘系でよくこれに対するものがこの「淮南子」である。ところが「荘子」の雑編・則陽編の中にやはり遽伯玉のことを語って、もう一句加えておる。
それは、「遽伯玉は行年六十にして六十化す」というのである。私はちょうど六十一だからこの言葉を非常に愛するのだが、しかし世の中には同じような気持ちの人が居ると見えて、名前は忘れてしまったが、徳川時代の学者で「六十化語」という本を書いている人がいる。その志の存するところがよくわかるのである。
「六十にして六十化する」ということは、「六十になっても六十になっただけの変化をする」という意味で、これは非常に面白い。私などは、そんなに生きられるかどうか分からぬが、六十にして五十九年の非を知り、七十にして七十化そうと考えている。生きておる限りは化する。死ねばもちろん化するが、これは自慢にならない。この「化する」ということは、換言すれば「新にする」ということである。
そういう意味から考えて、政治も道徳と同様に常に国民を新たにして、旧来の陋習を破って、繁栄向上させなければならぬ。それが停滞し腐敗し堕落すると、いろいろな意味で革命が起きてくる。良い革命ならばよいが、悪い革命もある。今日までの革命研究家の率直な結論によると、革命の歴史は悪質なものの方が多いという。つまり善化しないで悪化することが多いのである。
ブリントンというアメリカの有名な学者が「革命の解剖」という本を書いている。あるいは先だって亡くなったが、かつて共産主義の学者でベルジャエフという人は、共産主義に愛想をつかしてだんだん宗教に入り、戦後有名になった人であるが、学者として卓抜な人で、日本にも「愛と実存」など彼の著書がたくさん翻訳されている。その他いろいろと革命研究家がいる。
名高いフランス革命については、ガクソットという新進の学者がおるが、この人の「フランス革命」二冊の翻訳もある。従来の歴史家は、フランス革命というものに対して、なにか人類史上の非常な進歩的現象のような先入主があって、学者はその先入主に従ってこの革命を美しく書き立てるのであるが、彼は実に厳正な科学的探求、動かすことのできない史実・記録に基づいてありのままを描いている、実体を暴露している。そういう書物は共通して革命は多く人間の美事よりむしろ醜悪の暴露であることを、それこそ暴露している。その点からは、明治維新は実に立派である。世界革命史上実に尊敬すべき見事な革命である。
シナ事変のときに、日本から出かけていった連中が北京に新民会というのを組織して、しきりに活動をやっておった。私も北京に参ったときに迎えられて一席の話をしたのだが、その際「願わくばこの“新民会”は古本大学の“親民会”であって欲しい。日本人がシナの事をよく分からずに、勢いに乗じてシナに乗り込んできて、ああしてやろう、こうしてやろう、という意気込みで民を新たにしようと思っても、これはやり損なう危険が多い。まず“新民”の前に“親民”でなければならない。どうか“親民会”であって欲しい」ということを切に論じて聞いてもらったことがある。
今日の日本の状況を見ても、何でも新たにしようと騒いでいる、争っている。そしてその根底に「親」の一字がない。人を見たら批評し非難する。これでは世の中平和にゆかない。民に親しむことによって、新たにできることを忘れてはいけない。
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Posted at 2010/10/18 15:37:52 | |
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