中国地震について書きましたが今日こんなメールをいただきました。
以下メールより抜粋。
ご苦労様です。
今日、2回目のメールで恐縮ですが・・・。
今、
「不良な大人の日記」の中での
「中国地震に思うこと」を見させていただきました。
私は、新潟県###市にある「###市消防本部」に勤務しておりまして、「中越大震災」及び「中越沖地震」と2度の地震に遭いました。(私の家も被災し、中越大震災時に嫁は予定日の近い妊婦で、地震の恐怖感から破水してしまいました。)
震源地が多発したことと震源地が近いため、縦揺れ横揺れが何十回も起き、その度に建物や道路は悲鳴をあげていました。
地震の被害で道路はでこぼこ状態で、保坂さんから見れば、こんな道路の段差なんて・・・と思うくらいの道路を何キロもかけて迂回し、また輸送をあきらめて引き返す事があったそうです。
被災者やケガ人、支援物資を運ぶ手段がなく、徒歩で避難する人やバイク等で支援物資を運ぶ人が目に付きました。
また、道路の寸断により、山古志村(現在、長岡市)に村民がとり残され、村の村民は夜中の明かりのない状態で、道路を歩いて山から下り避難をしてきたそうです。(4駆があれば、ピストン輸送ができたかもしれません)
その時期に被災地に必要と思ったのが、乗用タイプ(ランクル等)の4輪駆動車です。
現場まで赴き、被災者やケガ人を搬送でき、支援物資も運べると思ったのです。
しかし、現状は厳しく、よく街中で見かける乗用タイプの4輪駆動車は被災地には見かけることはありませんでした。しかし、避難所では良く見かけ、避難場所の1部となって寝泊りする場所になっていました。
もし、地域、県及び国中の男気のある「ランクル大好きオーナー」が自己責任の元、被災地での統括的な活動が出来れば、とても効率良く多様な支援が出来ると思います。(NPO系の組織が組めれば、国等からの補助、保険等得られると思いますが)
私事ですが、発足するようでしたら喜んで参加させていただきますし、また、何か手伝えられる事がありましたら、許す限り手伝います。
具体的な意見ではありませんが、改めてメールします。
以上が いただいたメールからの抜粋です。
実は僕の母親も父親も新潟県出身でして、母親の親戚は十日町市に住んでいまして震災の時に被災し近くの小学校で避難生活を送ってました。
親戚の所の子供は一時帰宅が可能になっても怖がって家に帰れなかったそうです。
今思えば当然なんですが、震災のあった当日は携帯にいくら連絡してもつながりません。
神戸の震災の時もマスターピースさんやモトレージさんも連絡が付かず心配してたのを記憶してます。
暫くして少ないながらも支援物資を持って神戸に行きましたが、神戸の町に入って絶句でした。
自然災害ですからどうする事も出来ないのですが、人間の無力さを感じて帰ってきたことを思い出しました。
無力だからこそ力をあわせて何か出来ないもんでしょうか?
現場では僕らが想像している以上に悲惨な状況なんでしょうけど、だからこそ何か助けになれるような事が出来るのもまた人間だけです。
時間がたって頭の中から薄れていきかけてましたが、今年こそ何かアクションを起こさないといけませんね。
Posted at 2009/02/23 23:13:28 | |
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