さっき仲間と話してて話題になった。
車にとって幸せって?
人それぞれ車の乗り方って色々あると思う。
毎日の通勤、通学の為
車以外の趣味の為
パートナーとのデート
日々の仕事の為などなど。
みんカラをやってる方にはいないと思うけど、車をただの足、道具としか思ってない人もいるでしょう。
俺とその仲間(以下Tとします)は、車を家族と思ってます。
ただ、俺はT程の愛車への情熱は強くないかも知れません。
Tは免許取得から約十年間、とある三菱車に乗り続けてる。
T自身が新車で買った車じゃないけど、Tの兄貴が新車で購入し、Tが免許取得を期にTの元に来た車だ。
それから約十年間、ずっと乗り続けて来たその車が、走行13万kmを前に細々と故障が増え、外装にもサビによる穴があきそうになっていたり、今年車検だし、増税前に乗り換えか?
という考えになっているらしい。
だが、そこで俺とTの意見が一致したのがこれ。
「故障が増えたからって乗り換えるのは可哀想じゃないのか?」
エンジンに問題がある訳じゃない。
走る曲がる止まるに関しての致命的な故障がある訳でもない。
だけど、ディマースイッチの不調、ブレーキローターの交換時期、外装のサビ穴の修理、足回りの異音、デフオイル漏れ等、各所にガタが出て来てる。
距離的にも直してもまた次々壊れるんじゃないか?
それなら直せばまだまだ乗れるじゃん。
でもそこで思った事。
直して、別の場所が壊れて、また直して壊れて。でもその車が好きだから直す。
でもさ?
それが車にとって幸せなのか?
って。
人間で言う所、余命数ヶ月に機械を繋いでまで延命治療をして、
副作用だらけの薬を飲ませられてまで限りある命を無理矢理繋いでもいつかは逝く。
車もそう。
いくらイタチゴッコになろうと直して乗り続ける。
もしかしたらそれがその車にとっては幸せなのかも知れない。
「俺はまだまだお前と一緒にいたいんだ。
お前を乗せてあちこち走り回り、楽しい思い出、辛い思い出、どんな事も分かち合って行きたいんだ。故障ばっかでごめんな?」
そう思ってるかもしれない。
でももしかしたら、
「俺はもう充分走ったんさ。だからここら辺で休ませてくれないかな?
お前ともっと一緒にいたいけど、お前がおれのせいで苦労する姿を見たくないんだ。だから、そろそろ眠らせてくれないか?」
各所の故障がそういった車の気持ちの表れだったとしたら?
車は基本的なフレーム以外は金さえかければ直せる。
だが、結局の所そこまで金かけるなら同じ車種が買えるだろう。
だが、Tにとってはその車は凄く思い入れが深い車。
同じ車種ではダメ。
この車じゃなきゃダメ。
そんな事を言っていた。
「あの娘と行った楽しい思い出の場所。
今は辛い思い出になってしまったあの公園。
俺の中で何時間も2人で語り合ってたな。
いきなり言い合いになった時は驚いたけど、ちゃんと仲直り出来たみたいで良かったな。
そう、どんな時も俺はお前と一緒に過ごしてきたよな。
お前の喜怒哀楽全てを見てきた。
お前は俺を全身全霊で愛してくれた。
時に俺を嫌になった時もあったよな?
でもそれでもお前は、今は変わらず俺を愛してくれている。
本当にありがとう。
お前の車になれて良かった。」
車が言葉を話せたら良いのにな?
って、Tと話してました。
今日この話をして、俺はもっともっと自分の車を大切にしたいと思いました。
皆さんは、車にとっての幸せってどんな事だと思いますか?
まとまりの無い文章に最後までお付き合いありがとうございました。
Posted at 2014/02/21 01:09:29 | |
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