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sh21のブログ一覧

2011年08月30日 イイね!

本当に大事なもの

本当に大事なもの日曜日の朝。。

エリーゼのノーズを背もたれにして、暫く空を見上げてた。
空が気持ち良い位に青くて。。右側の頬にあたる風が心地良い。

 幸せなんだろうな

毎日、こんなに雑多な事に追われているのに・・・まぁ、これは能力不足か。


時間が経つ毎に車が増えてきて、気付かない内に今に戻ってた。



月曜日。。午前中に仕事を終え・・いや、終えてないか・・取敢えず北へ向かう新幹線に乗った。

ウトウトする前に、急ぎの電話が入りパソコンを開くが、バッテリーは20分持たず・・仕方無いので携帯で処理して、工場より打ち直して貰い作業を終えた・・・最近は今まで以上にイライラしてるな。



夕刻、明日の段取りだけして、後は仕方ないとS工場長と会社を後にした。


いつものラーメン屋Sにて約4時間。。最初から凄く楽しくて、こんなに楽しい時間もあるのかと思った位楽しかった。
  皆優しい。。。


いつもの様に大将に「今日のは珍しく美味しかったね」と減らず口を利いて、店を出た。。背中からそっけないけど優しい声が聞こえた。



そんなに呑んでもないのに、酔ってて。。
洗濯を終えたら、いつの間にか寝てた。。。。少しは頑張ってたのかな。






Posted at 2011/08/30 22:00:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月16日 イイね!

走るコンピューター、ニキ・ラウダ。(加筆訂正)

走るコンピューター、ニキ・ラウダ。(加筆訂正)最初に・・以下の話は、当時から現在に架けての書籍や報道を参考にして書き込みました。
当然、原文を読めるわけではないので、真実からは尚かけ離れた話もあるかもしれませんので、極力映像からみた自分の意見を中心にしたつもりです。


1971年 マーチF1より、ロニー・ピーターソンのチームメイトとしてデビューしたが、当初はペイドライバーとしての参戦でした。
資金は、父親の反対により、自国のオーストリアの銀行から、生命保険を担保にしてのもだった様です。

1973年、背水の陣でマルボロBRMより参戦した。この時のチームメイトであったクレイ・レガツォーニ(フェラーリには先に移籍)の推薦もあり、1974年は、フェラーリから参戦し、1975年と1977年のワールドチャンピオンを獲得した。
1976年もチャンピオンに1番近い位置にいたが、同年の西ドイツGPでのクラッシュで瀕死の重傷を負い、一時は死を覚悟。。その間にマクラーレンのジェームス・ハントがポイントを稼ぎ、そのまま、ジェームス・ハントがチャンピオンになると思われたが、西ドイツGPから3戦後のイタリアGPで復活。このGPに、フェラーリは、クレイ・レガツォーニとカルロス・ロイテマンとニキ・ラウダの3台体制で望み、それを不審にも思ったラウダだったが、見事に入賞した(優勝は、1974年以来の勝利を収めたマーチのロニー・ピーターソン。この時はフェラーリからラウダの代わりとして誘われていたが、以前のチームメイトでもあった友人の代わりは出来ないと断った)。
この年のF1インジャパンでは、余りの雨の酷さに「レースより大事なモノがある」と途中棄権し、この時点でポイントで負けていた、マクラーレンのジェームス・ハントが4位に入賞して1点差で逆転チャンピオンとなった。

この棄権を批判したエンツォ・フェラーリとの関係が悪化していき、契約最終年の翌1977年には、チャンピオンを決めたら、シーズン途中にも関わらず、早々にチームを離脱した。この時に入って来たのが、ジル・ヴィルヌーブだった。


1978年 レーシング・ディベロップ・メント(ブラバム・アルファロメオ)チームに移籍。

1976~1977年と、アルファロメオエンジン信頼性などにより、然したる成績も残せていなかったこのチームに移籍したのは、ゴードン・マレーが1978年用にデザインした、フラッシュ。サーフェイスカー(ラジエターを持たない表面冷却の車)BT46を見たからだった。
だが、残念ながらこのマシンの表面冷却は冷却水の冷却が計算通りの結果が得られず、ラジエターの置き場所を確保する為に試行錯誤して、前年までのBT45BのCタイプとして、フロントラジエター(ウイング状になっている)を試した。
アルゼンチンGPとブラジルGPの初戦2戦しか走っていないが、納得行く、効率とダウンフォースがあったのか、BT46はフロントウィングにラジエターを納めて第3戦の南アフリカGPに望んだ(優勝はロータスに条件付で戻ったロニー・ピーターソン)。
この年は、スウェーデンGP(この年が最後の開催)のカールスコーガサーキットで、46Bタイプのファンカー(リアに備えた巨大な回転翼で空気を吸い出し路面に吸い付かせる。。あくまでラジエター冷却が主目的としたが・・・)で優勝し、ロニー・ピーターソンが事故でなくなったイタリアGPのモンツァサーキットでは、初期タイプのフロントラジエター仕様でこの年2回目の優勝を果たした。

1979年。。この年から加入した、ネルソン・ピケの速さと走らないブラバム初のウィングカーBT48に以前の情熱は薄れ、フォードエンジンに切り替えたBT49のデビュー戦のカナダGPの予選を最後に1度目の引退をし、副業で始めたラウダエアーに全精力を注ぐ事になった。既に、旅客機の操縦はしていたが、この後、ジャンボ機の機長もした。

1982年シーズン  新たにマクラーレンの代表となったロン・デニスに乞われて復帰。。自身3戦目までに優勝出来なかったら再び引退する気持ちで望んだが、見事にウィングカーMP4で優勝し、1984年に自身三度目のワールド・チャンピンになって、翌1985年をF1ドライバーとして最後のシーズンとした。
ラウダエアーは、この時にはオーストリアの航空会社として国営のオーストリア航空に肩を並べる位に大きな航空会社となった。
その後、例のタイ国内での墜落事故の影響もあったのか、先のライバル会社でもあった国営のオーストリア航空に売却し、現在は格安航空会社のニキエアーを立ち上げている。


ラウダと言えば、自分の年代的にはフェラーリとなるのだが、今ほどではないにしろ、チャンピオンチームを離れ、当時1流半に落ちていたブラバムに移籍しての最初のレースに”試験カー”に乗ってるこの写真が好きである。。「大丈夫かラウダ?」と心底思っていた。

「走るコンピューター」との呼び名も70年代らしいが、正しくその呼び名がピッタリだったと思う。ニキ・ラウダ選手は、誰かとクラッシュしたという記憶がなく、いつも沈着冷静に判断してレースを戦ってた気がする。。こう書くと、バトルが苦手だと思われがちだけど、競った時は必ずといって良いほど、気持ち良い位に”スパッ”と抜いていた。

同郷の天才レーサー、ヨッヘン・リントが亡くなった華奢なロータスの車には興味を示さなかったラウダ。。F1への入り方から浮ついた処がなく、自身で判断して、冷静に自分のキャリアを見てたのがよく判る。

70年代中盤、エマーソン・フィッティパルディ、ロニー・ピーターソン、クレイ・レガッツォーニ、マリオ・アンドレッティ、ジェームス・ハント・・・カリスマ性のある”レーサー”がひしめき合っていたが、ニキ・ラウダはその中でも図抜けたカリスマ性があったと思う。


<写真はtameo kits newsより>
Posted at 2011/08/16 00:25:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月14日 イイね!

濡れたTシャツとSティの日

濡れたTシャツとSティの日目が覚めても、隣にN澤まさみ嬢は…居ない。。。アタリマエカ。

いつもの休みより遅くはあっても目が覚めたのが6時。。「さぁ出かけますか。」
1週間前はM島とはいえ、何だかやっと休めるって感じなんだが、いつもの公園の木陰が最適な定位置は一足先に取られてる。。久々の第2日曜日だし、揚げニンニクを買いにMヶ瀬に行きますか。って。来ました・・いや行きましたか。
先月はM橋に行けなかったので、ダムまで続く道も久々。。好きな道も調整しながらで快適に走行できて着いたが。。。誰も居ない!7時20分…位?
お店は9時に開くので、それまでには誰かくるだろうかと思ってプラプラしてたら、ミカン色の新型エリが来ましたが、初めて声を掛けられた人(確かプラド?)と話しているうちに帰られました。。ちょxとじっくり見たかったな。。
その内、東次郎ツーリングから帰ってきたNiwasakiさん達と話してるうちに遅番のあっちゃん♪さんが間違って早く来まして、その後K-Exigeさん含めどんどんと。。。皆、変態ですね。。このくそ暑いのにオープンで。。(…)

そして、初めて外で見る白い新型エリ。。同色のハードトップもあってか洗練されてて良いですねぇ~。。。1番羨ましかったのは、リアタイヤの溝・・・じゃ無かった。。エンジン/トランクフードオープナーです。。”スーパー”カーには必需品ですね。。欲しい。

この姿をみて思ったのは、写真も女性週刊誌的な噂話と一緒って事。。媒体(撮影者)を通して見る物って、その人を通して見るので、素では無いのかなと。。だから、本当の素を見ないと安易に判断してはいけないなとも思いました。
そう考えると、写真も面白いですね。。パソコンの後、真面目に考えよう。。ただコンデジですら、未だに買ってないけど(汗)

いつもより、ほんの少し・・10時前に、本来の目的?の揚げニンニクを買い、此処を後にして本来の業務へ(笑)

前回此処の来たのは、数ヶ月前のM師匠とお会いした時だったが次はいつだろう?9月は無理だから・・・涼しくなった頃かなと、Sティに行く道すがら思った。

スーパーに着いて、ウィンドーに映った我が姿。。。C首が透けてる。。。。あぁ…N澤まさみサマ~。。
Posted at 2011/08/14 23:04:31 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月13日 イイね!

演劇「クレージーハニー」プロローグ・・・??

演劇「クレージーハニー」プロローグ・・・??8月13日(土)PM・・・H列21番。

発売1ヶ月前の新聞広告を見て「行きたい!」「N澤まさみ嬢と新たな生活を始めるチャンスだ!!」
と思い。。。チケットをそろそろと思えば、発売から早1か月。。。。全てソールドアウト。
おまけに追加公演の告知をみてあれやこれや手続きして、「さぁ…」と思えば時間切れ(苦笑)
で、用事で寄った銀座。。途中にあったチケットセンターでこれを発見!そんなに高くないし「縁」だなと10分悩んで(一応)購入。

午後、問題多き仕事を途中で切り上げ、会社を後にした。
9F(8F)のPARCO劇場へは初めて来た。。。
渋谷駅から歩いてると、暑さと初めて見る演劇(勿論目当ては女優です。はい。)に気持ちが高揚してか、先程までの憂鬱さが薄まってきた。

歌手のライブとか映画とかとは又違うワクワク感があって、座席に座ると、待ち遠しさと始まって欲しくない不思議な気持ちになった。


時間丁度の開演。。「わっ、生N澤まさみ嬢だ!…愛してます。。。ポッ」


2時間と少し。。途中、先程の仕事の揉め事が頭を過ぎったり、座り直したりしてた。
感性が鈍いのかなぁ。。。終演後、混雑を避ける為、ロビーに座っていたら
周りの皆が一生懸命アンケート用紙に書き込んでいたので、自分も取り出して書いていったが、感想欄でしばし停滞。。
ドシロウトながら、いろいろと思う事もあったが、正直よく理解出来なかったので、その通りに「1回観ただけでは理解できません」と書き込んだ。。まぁ二回観ても同じかな。。。
それにしても、周りの方達の書き込みって凄いのね。、みなさん、評論家ですか?

渋谷駅までの人を掻き分けながらの道程で、「もしかしたら、オレの感性のが勝ってんじゃないの?天才だしね。」なんてね、考えてはみたが、そんな事はないな…ナイナイ。。

それにしても、演劇にしてもなんにしても演じる側の方が観る側より面白そうだな。勿論、感性と共にそんな能力はないけど。。受ける側より差し出す側の方が絶対に面白いと思う。

よく理解できなかった割に、パンフレットや写真集を買ったなんて人には言えないけど、演劇も又機会を見付けて観ようと思った。。


・・・ 生はイイね(笑)



<写真はPARCOHPより)
Posted at 2011/08/13 23:10:31 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2011年08月06日 イイね!

近代のF1は此処から始まった。1968年ロータス49B(加筆)

近代のF1は此処から始まった。1968年ロータス49B(加筆)1967年にデビューしたロータスT49は画期的なマシンだった。
コーリン・チャップマンが、フォードと交渉してコスワースに作らせたDFV・V8。。。軽量化を主目的にエンジンを主要ストレスメンバーとして、シャシーの1部とした。。

この年のオランダGP。ジム・クラークが、この49に初優勝をプレゼントして、ロータスを代表する名車のの第一歩を記した。


翌年、’68年シーズンに向けてのロータスの発表会は、世界の人々に衝撃を与えた。。そこにあったのは、ブリティシュレーシンググリーンにレモンイエローを乗せたロータスカラーでは無くて、赤と白を金で切り裂いたスポンサーカラーに塗られてた。ブリティシュアメリカンタバコ社のゴールドリーフカラー。

この年、グラハム・ヒルが自身二度目のワールドチャンピオンに輝いた。。
発表会にも同席していたロータスのエース、ジム・クラークは、このゴールドリーフ49には乗っていない。。いや、乗れなかった。直前のF2での事故で亡くなったのだった。。クラークはスポンサーには塗れなかった。


マンションの居間に張っている唯一のポスターが、緑色と黄色に塗られたジム・クラークが駆るロータス49.。ゼッケン”21”・・・偶然か、21が身近に多いと気付いてきた頃。。これもその一つだった。
79+ロニー・ピーターソンのポスターもあるのだけど、何故か張り替えられない・・・もう10年以上経つな・・・。

個人的には、T79が一番好きなんだけど、ロータスF1で1台選べといわれるとT49となってしまう。ライブで見た訳ではないんだけど。。


<写真はtameo kits newsより>
Posted at 2011/08/06 01:58:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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何シテル?   11/16 11:15
高校1年の頃よりロータスF1とヨーロッパに憧れ やっと手にする事が出来ました(といっても7年ローンで所有者はローン会社ですが)。 目標:生きてりゃいいさ...
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