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オリムペン#0のブログ一覧

2015年03月11日 イイね!

201503111446、黙祷。

201503111446、黙祷。20110311から早くも4年。
各地で追悼行事が行われています。
わたしは自宅から午後のその時間に合わせて黙祷の予定。

(-人-)









☆2015年ブルーインパルス卓上カレンダー
☆ブルーインパルス的グッズ☆



本日の松島基地近郊は強風の晴れたり曇ったり。


Posted at 2015/03/11 12:43:15 | コメント(1) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2014年03月11日 イイね!

■今日で3年です。

■今日で3年です。早いもので、20110311に発生した東日本大震災から本日で3年となります。

個人的には、あの日を忘れないためにも『記念日』にするのには賛成です。
・・・休みにするかどうかは各自が決めれば良いことですけどね。

とりあえず1446には、黙祷を捧げます。


↑↓201103220832 行方不明者の捜索活動中の自衛隊員の方々。






あの時も、現在も、ありがとうございます。



本日の松島基地近郊は雪。



☆ブルーインパルス的グッズ☆


Posted at 2014/03/11 10:00:44 | コメント(4) | トラックバック(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年07月01日 イイね!

★炊き出しありがとう♪(^^

自宅前の公園で3月24日から毎週炊き出しと物資の提供等をしてくれている団体があります。

それは、仙台市泉区の泉福音チャペルを中心にした国籍をこえたボランティアチームの皆さんです。

ここ柳区の住民にとって炊き出しや物資提供だけではなく、震災ゴミの片付けや泥のかき出し、さらに心のケアまでも気を配っていただいて、みんな大変感謝しています。



わたしの母も床下の泥のかき出し等をしてくれたことを心から嬉しく思っています。

こんな震災後の環境の中、笑顔で接してくれたボランティアの方々へ『ありがとうございます』の言葉を住民として贈りたいと思います。


他にも名も無いボランティアの方々も多く来てくれていました。


いつかわたし達からも何かできることがあれば協力させていただきたいと思います。




Posted at 2011/07/01 19:32:29 | コメント(1) | 東日本大震災 | 日記
2011年06月24日 イイね!

20110311~記憶の記録-008

三人で再度水へ入る。

自宅の敷地を出て向かいの家との間の道路へ出た。

彼ら二人ともここでお別れだ。

『気をつけて~!』の言葉を互いにかけ、東へ向かう学生さんとOさんを見送る。
彼らが向かう方向は少しずつ浅くなっているとあとで聞いた。
10mほど進んで行くの見届けながら何事もないことを祈った。

道路をはさんだ隣の家の二階から声がする。

午前中、同じように物干し竿の旗を振っていた家の二階のベランダからだ。

『大丈夫ですか?』

『とりあえず大丈夫です』

少しの間色々話し、これから母親がいる矢二中へ避難することを使えると、高齢の方が避難しているが心臓病の薬が必要だとのことだ。
さっそくメモを取り、矢二中に着いたらそれを伝えることを約束しAさんのアパートへ向かう。

来る途中よりもさらに慎重に公園を乗り越えてゆくが、水の底は多くの瓦礫があるので時間はかかった。

やっとAさんのアパートの下へ来た。
水の流れはないものの浮いているゴミが一階の階段下にたまっている。

階段を二階へ上がる。
待機していたAさんに忘れ物は無いかと確認し、荷物を一つ持ってあげて階段を下った。

わたしはさっきまで水に入っていたので少しは慣れてきていたが、Aさんは足を浸すとたん『冷たい・・』と震える。
ここは水位がまだ膝上くらいだが道路に向かえば徐々に深くなっていくだろう。
Oさんの水没した車を右に見ながら、慎重に足元を探り二人で丸太やゴミの間を進んでゆく。

あたりは妙に静かで我々の水をかき分ける音だけしか聞こえない・・・

やはり道路まで来ると腿の半分までの水位だった。
Aさんは股下まで水に浸かっている。

母親と避難させたSさんの家の入り口まで来た。
少し敷地は高くなっているのでSさんの庭を通って行くことにする。
Aさんのアパートからは見えなかったが、Sさんの庭には長い丸太が何本も浮いていた。
家の中に入っている丸太も数本確認できる。

建物正面から見て左の庭の奥の生垣まで来たが、この先は急に深くなっている・・・・・

・・・考えが甘かったようだ・・・

残念だが引き返す。

そのときだった。
自分の携帯電話が鳴り響く!!!

両手に抱えていた荷物を片手に持ち替え、上着の内ポケットからやっと携帯を取り出す。

『兄貴大丈夫か!?!?!?』

電話の向こうは埼玉に住んでいる下の弟だ。

『おおーー!大丈夫だ!!!心配ないぞ!!!』

『お母さんは??????』

『大丈夫、中学校に避難してるよ』

『ほんとに良かった!安心した!』

関東も大きな揺れだったが復旧は早かったようで、昨夜からのテレビの報道でこちらの状況を知り夜も眠れず心配していたそうだ。
昨日から何回かけても携帯電話はつながらないし、家の電話も応答がない。
今日になって公衆電話からなら携帯につながるということを聞き、行列に並んでやっとかけることができたのだそうだ。

一緒にいた弟の奥さんも電話に出て泣きながら『良かった!』を繰り返していた。

わたしも弟たちの声を聞いて安心した。
あとでなんとか連絡すると言って携帯を閉じた。

この後電波の状態は悪くなる一方だった・・・


Aさんを待たせたままなので再度矢二中へ向かう。

Sさんの庭を出ると水位は股下すれすれまであった。
水の底を足で探りながら進むが、徐々に深くなってきている。
歩道の縁石に乗りながら上がっては下がるの繰り返しで前に進む。
Aさんはすぐ後ろをついてくるので頻繁に後ろを確認し励ましながらの強行だった。

踏み切りの前の道路まで来るとすでに水位は腰まで達している。
Aさんも同じでつま先立ちで歩いているとのことだ。
たいした距離でもないのだが転ばないように注意しながら二人でやっとここまで来た。
踏み切りの手前はこのあたりでも低い土地だというのがこの時わかった。

一旦高くなっている踏み切りの線路まで来て休憩する。
線路は水がかぶっているがくるぶしくらいなのでやや一息つけたようだ。
天気は良いのでそう寒くは感じない。

そう長く時間もかけてはいられないので、すぐそこに見える矢二中の校舎を目指す。
踏切からは股下5cmくらいだろうか・・・
さっきよりはましだ・・・

距離としては100mも無いがここでもやはり丸太等の浮遊物をかき分け進む。
水没した車が2台道路をほぼふさいでいる・・・

その間を通り抜けなんとか矢二中の東の武道館の前に来た。
矢二中の浸水は2mほどだろうか・・・
悲惨な光景だった。

どこかで見たことのある船が武道館の入り口にある。

昨日目の前を通過していった小型のクルーザーだった・・・・・
どうやって撤去するのだろう?などと思いながら、それの対面にある校舎の入り口へ向かった。
水位はここで膝くらいまである。

『もう少しだ!!!』

Aさんと扉の前に来る。

重いドアは水と泥の抵抗で非常に開きにくい状態になっている。
少しずつ開き中へ入ることができる隙間ができた。
足の下は段差があるのでAさんに注意を促しながら校舎に入る。

一階の状況は惨たんたるものだった。

色んな学校の備品が泥に沈んでいる・・・・・


とりあえずここまで来れば安心だ。

冷えた足と体を持ち上げて二階への階段をAさんと進む・・・・・

『母とSさんはどこにいるのだろうか・・・?』


・・・・・階段は泥であふれていた。。。。。













Posted at 2011/06/24 20:12:25 | コメント(0) | 東日本大震災 | 日記
2011年06月21日 イイね!

20110311~記憶の記録-007

最初は一時Aさんをアパートに残し、男性三人で途中のわたしの家に向かうことにした。

わたしはAさんと矢二中へ向かう前に自宅から必要な物を持ち出そうと考えたからだ。
持参していたバックにはたいしたものは入っていないので・・・

それぞれ荷物を持って階段をくだる。
学生さんの自転車は一階の踊り場で泥をかぶっている。
階段の下から一段目くらいまで水位は下がっているが、一階の部屋のドアの半分より上に最大水位の痕跡がくっきりと残っている。
道路から計れば1.6mぐらいはあったのかもしれない・・・

恐る恐る水に足を踏み入れる。

『冷たい・・・』

当然のことだが雪が降った翌日の海水だ。
昼とはいえ身にしみる低温で体が震えた・・・

水の底に泥が沈殿している。
くるぶしくらいまであるので、探りながら進むのは苦労する。

一階の踊り場の水位は膝下約20cm。
木屑やゴミが浮かんでいるので慎重にアパートの外へ出た。

今度は丸太やタイヤ等の浮遊物がいっぱいだ。
それらをかわしながら三人で進む。
二階のAさんに学生さんとOさんは別れを告げ、わたしはすぐに戻ることを伝え、少しずつ傾斜していく足元に感覚を集中させる。

公園の手前の道路に来ると水位は膝より上になった。
目の前の公園は高くなっているので足元に気をつけながら進む。
やっと公園に入った・・・と言うか、上がった。
水位は膝下約10cmで、泥はやはり多く沈殿している。
金網は無残にも破壊され水中に倒れている箇所が多い。

三人でわたしの家をめざす。

公園の上を進み自宅の門の前に来ると、直系50cm~1mくらいの丸太が数本浮いている。
長さは10mもあるだろうか・・・
しかしながら、こんな長い丸太が水に乗って器用に流れてくるもんだと思った。
すれすれで自宅の塀は壊されていなかったのには安心した。
そばにはプレハブの倉庫もある。

水中の泥で重かったがなんとか門を開け三人でポーチへ上がる。
ポーチ自体高くなっているので水はひいていたが泥が10cmほど堆積していた。
一時的にだが水から開放されたのでやや落ち着く。

玄関のドアの半分くらいまで水が来た跡が残っている。
中は床上80センチ以上はあるのかなと思いながら鍵を開ける。

堆積した泥の抵抗を感じながらドアを開き二人を玄関の中へ通した。

『いらっしゃいー』

『おじゃましますー』

家の中もポーチと同じ状態で、泥が堆積している。
約5センチほどだろうか、廊下にも台所にも・・・・・
地震で倒れた家具は水に浮いて移動している物もある。
下に落ちたいろんな物が泥にまみれていた。

『これはひどい・・・』

二人を玄関で待たせ、靴だけ脱いで二階へ行く。
階段には靴下の泥で足跡がつく。

当然二階は前日の地震直後のままだった。
自分の部屋のドアは開くが倒れた家具が邪魔で少ししか進めない。
時間をかけてもいられないので断念する。
正確には覚えていないが、廊下にあるクローゼットからタオルを数枚とジャージの下を数着取り出す。

残り二つの部屋の様子を確認し一階に降りて台所へ向かう。

何かないかと思い移動した冷蔵庫と壁の間を抜けて中に入ってみる。
するとテーブルの上の団子のパックが目に入った。
たしかあんことゴマの二本だったはずだ。
一本の串に三個ずつのよくあるものだ。
それを持って玄関の二人のところへ戻り、一人二個ずつ食べた。

美味かった。そして笑った。

冷蔵庫のドアは開けるのが困難だったので他にも食料があったのだろうが、甘い団子だけでもその時は充分だったと思う。

ほんのちょっとの腹ごしらえと休憩の後、学生さんは近くなのでタオルを、Oさんには長い道のりなのでジャージを渡して出発することにする。






Posted at 2011/06/21 19:45:52 | コメント(0) | 東日本大震災 | 日記

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オリムペン#0 プロフィール [写真家・写真機家] 使用カメラ Nikon D2x/D300s/D700/F2/F3/F5 使用レンズ N...
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