同世代だけに、他人事とは思えない出来事でした。
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笑顔、介護の苦労漏らさず…清水由貴子さん自殺から1週間
2009年4月27日(月)16:32
いつも元気で笑顔が絶えない。そんなイメージで親しまれたタレントの清水由貴子さん(49)が静岡県小山町の父親の墓前で自殺してから、27日で1週間がたった。
関係者の証言から浮かび上がるのは、体が不自由な母親(79)の介護の苦労を周囲には一切漏らさず、明るく振る舞い続けた清水さんの姿だ。
◆親子3人の暮らし支え続け◆
今月上旬。東京都武蔵野市にある青果店の女性店員は、近くに住む清水さんが珍しく疲労の色を浮かべるのを見て「どうしたの」と声をかけた。「肩で息をしていて疲れた様子でした」だが、清水さんは「ううん、大丈夫よ」と明るい口調で答えたという。
清水さんは、母親、妹(41)との3人暮らし。父親は清水さんが8歳の時に病死した。母親も病気がちで、清水さんが17歳で歌手デビューして間もなく糖尿病や腎臓病を発病。清水さんが親子3人の暮らしを支え続けてきた。30年近くマネジャーを務めていた富士原光男さん(56)は、ロケ先から母親に「ごはん食べた?」とよく電話をかけていたことを覚えている。
「親子で一緒に暮らせる家がほしい」。口癖のように語っていた清水さんは1994年5月、武蔵野市に今の一軒家を新築した。
◆最も重い「要介護5」に◆
「看病で芸能活動に専念できない」と所属事務所をやめたのは2006年3月。母親が転倒し、腰の骨を折って歩行困難になったのをきっかけに、武蔵野市に要介護認定を申請したのは同年10月だ。07年9月には芸能界から完全に身を引き、自宅近くの衣料品会社で通信販売の電話オペレーターのパートを始めた。
昨年8月、母親は自宅で再び転倒して 肋骨 ( ろっこつ ) を折った。視力をほとんど失い、認知症の症状も出るようになったという。介護保険法に基づく要介護度は、比較的軽い「要支援2」から、最も重い「要介護5」に。清水さんは、母親が週5回の介護支援サービスを受ける間に、パート勤めをしていた。
◆悩み抱え込み◆
それでも自宅周辺では母親に寄り添う清水さんの姿が頻繁に見られている。毎日2人で外出し、車いすを押しながら「お母ちゃん」と話しかけていた。
自殺する4日前の16日、清水さんは、ケアマネジャーらと今後の方針を話し合った。「今まで通りのサービスを継続してほしい」。そう訴える清水さんに、担当者は「自分ができる限りのことをしたい、という強い意志を感じた」と語る。
「姉は私に『家は私が守るからあなたは好きなことをして』と、よく言ってくれました」。妹は明かした。
富士原さんは言う。「悩みを一人で抱え込む性格。自分で自分を追い詰めてしまったのではないか」
厚生労働省の研究班が05年に実施した調査では、在宅介護者の4人に1人がうつ状態だった。NPO法人「杉並介護者応援団」の北原理良子代表は、在宅介護者について「疲れ果てても肉親だから手を抜くことができず、さらにストレスをためるという悪循環に陥りやすい」と指摘、「同じ悩みを抱く人との情報交換や、第三者に悩みを打ち明けやすい環境に身を置くことが大切」と話す。
◆妹に「お母さんと2人で行きます」◆
富士原さんによると、自宅には「お母さんと2人で行きます。さようなら」と無理心中を決意したかのような妹あてのメモがあった。清水さんは、霊園の父親の墓前で、硫化水素を発生させた袋をかぶって自殺したが、車いすに座ったまま意識不明で見つかった母親に硫化水素を吸った形跡はなく、御殿場署は清水さんだけが自殺を図ったとみる。
「最後まで心の中で格闘して、やっぱりお母さんを死なせてはならないと思ったんでしょう」。富士原さんはそう話している。
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どうぞ、安らかに永眠下さい。