三千院
以下、三千院HPより抜粋。
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三千院は、また梶井門跡と呼ばれ、古くは東坂本に里坊がありましたが、中世以降、大原魚山の来迎院、勝林院、往生極楽院などの寺々を管理するために大原に政所を設けたのが前身です。明治になって三千院と公称するようになりました。
三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まり、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移転しました。その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時仮御殿とされたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。
およそ二六〇〇平方米の境内には往生極楽院をはじめ、本尊薬師如来(秘仏)・救世観音・不動明王(伝・慈覚大師作)を祀る宸殿、明治画壇に活躍した下村観山・鈴木松年・竹内栖鳳・望月玉泉・今尾景年・菊池芳文などの襖絵がある客殿、そして客殿の前には江戸初期の茶人として有名な金森宗和が手がけたと言われる池泉鑑賞式の庭園・聚碧園、宸殿前の庭園・有清園があり、四季折々の景観を楽しむことが出来ます。
宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」と書かれた伝教大師の言葉が掲げられています。「修行僧は紅葉を見、青苔に接して、紅葉と和し、青苔に融け、一枚の散る紅葉を青苔とが一つになって同化し、自分の心にとけ込んでいく心境づくりをするのであります」(小堀光詮門主)。庭は心の修養の道場ということでしょうか。三千院には春の石楠花、初夏の紫陽花、秋の紅葉、冬の積雪がよく似合います。
住所: 京都市左京区大原来迎院町540
電話 : 075-744-2531
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