2018年06月15日
私の初めての愛車。ヴィヴィオビストロ。
私の初めてのマイカーはスバルのヴィヴィオビストロでした。
色は緑色でした。
姉が買ったものでしたが、車を買い換えることになり、大学1年生だった私が貰うことになりました。
当時は免許を取って半年くらいで、とにかく自分の車が欲しくてたまらず、貰った時は天にも昇る気持ちでした。
今とは違い、軽自動車の車体はまだまだ小さく、185cmの私が乗るのは完全にミスマッチで、よく友人たちに笑われていましたが、それでも私にとって大切な車でした。
大学3年生の夏休み、当時住んでいた福岡市から彼女を大分市の実家まで送って行きました。
運転にはもう慣れていましたが、高速道路は初めての経験でした。
太宰府インターから、逆走しないよう慎重に九州自動車道に乗りました。
九州自動車道と大分自動車道、長崎自動車道に分岐する最大の難関、鳥栖ジャンクションも標識に沿ってクリアし、無事大分自動車道に乗ることができました。
あとは一路、大分市を目指すだけでした。
私は最大の難関を突破したことで、緊張の糸は切れてしまいましたが、本当の地獄はそこから始まりました。
当時、大分自動車道は対面の片側一車線の区間ばかりでしたが、何も知らず私は走っていました。
ふとルームミラーを見ると、数台の車が私の後を走っていました。
ちょっと気になったので、スピードを上げようとアクセルを踏みましたが、緩やかな上り坂のせいか、70kmほどしか出ません。
私は焦りました。
譲りたくても譲る場所ががなく、真夏でしたが、苦肉の策で、エアコンを切ってみましたが、5kmくらいしか上がりません。
うしろは更に数珠繋ぎになっており、私がざっと数えると10台以上連なっていました。
その頃には彼女も渋滞の原因が私の車であることに気付き、「大丈夫?」と連呼してました。
しかし、焦ったところでスピードが出るわけでもなく、二車線になるまで後ろは見ないようにして、運転しました。
大分インターの手前で二車線になると、30台近くの車に一気に抜かれました。
非常に気まずく、辛い運転となったので、帰りは下道で時間をかけてのんびり帰ったのは言うまでもありません。
その2年後に、ビストロはエンジンが壊れてしまい、新車に乗り換えることになりました。
今でも時々、高速動車道を走ることがあります。
今の車はエアコンを切らずにスイスイ走りますし、高速自動車道は二車線あります。
それでもビストロで気まずい思いをしながら、走った時のことを昨日のことのように思い出してしまいます。
そんなビストロですが、私にとって、とても思い出深い車です。
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Posted at
2019/06/04 00:16:08
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