ちなみに。
話は変わるが。
3年前に知り合った人。顔を知ったのは4年前。
この人は、同じ話ばかりする。
別に認知症ではないのだが、認知症にありがちな性質をお持ちだ。
老化による認知機能の低下なのか、元々の性質なのか、両方が混ざりドッキングしているのか、定かではないが、、、。
この人の若い頃を知らないので、過去との推移を比較出来ない
地渠。
で、わたしが自分事として捉えることは、、、
家族であろうが、親友であろうが、同じ話は何度も何度もしないようにしよう、、、と肝に銘じている。
が、そのかわりといってはナンだが、自分のブログには同じ話を延々と繰り返し書いている。
幾つものバリエーションがある人生を送っているわけではないので、同じ出来事がベース。
捏造や創作はしないため、ひたすら、書いた時に感じたままを書いている。
ただ、勘違いや思い間違いはある。
自分で時を経てから読むと面白かったりする。
蝶ブログは、自分自身、わたしが最大の読者である。
まさに自分のために書いているのだと、後になって変に腑に落ちる
服務式住宅。
と、それはまあいいとして。
視点を変えると、、、
同じことを手を変え品を変え、何度も何度も言うことは、ある意味、効果がある。
聞かされる側は、脳に染み込む。刻まれる。
良くないのは、一度聞いたらもう十分で、興味が尽きる内容、説明もワンパターンで、わたしのリアクションを全く見ないし聞いていなくて、自分だけが楽しかったシーンを思い浮かべて話している場合。
「はいはい、良かったですね、また同じようにやればいいんじゃないですか」
と紋切り型コメントをわたしはしているが、いつも全く聞いていない。
わたしは、なんのために、この人の話を遮りもせず聞いているのだろう、と自問する。
恩があるわけでも、親しみを感じているわけでも、今後、共に歩むわけでも、同志でもない。
たんなる傾聴ボランティア。
運動の後、一人で喉の渇きを潤し、休息するよりはまあいいか、と、二人で帰りに立ち寄るお店。
わたしも、ペラペラ好きなことを延々と話しているので、お互い、相手は人間の形さえしていれば良いのかも。
カカシ相手でもいい。人間型AIロボットでもいい。
お互いのニーズが一致して、時を共にしていると言える、、、が、どうも虚しい。
とは言え、人生の自分の持ち時間、満ち足りることばかりではない。
電車移動するにも待ち時間が必要なように、コアな時間だけを使えるわけではない。
ご飯を炊くのにも炊飯器がやってくれて手間はかからないが、ある程度、炊けるまで時間はかかる。
洗濯も洗濯機がやってくれるが、干さなければならない。
目的だけを満たすのは難しい。
(コインランドリーなら干さなくてもいいが、わたしは天然日照力で乾かしたい派なので、乾燥機は使いたくない)
何かをしたければ、それに付随する何かをしたり待ったりしなければならない
工料測量。
それがしたくなければ、好きなことを想像だけして過ごせばよい。
実際に行う時間はほんの少しで、前後に準備したり片付けたり、人に手助けしてもらったり、の手間暇、労力、時間がある。
20分間だけの欲求や用事のために、1ヶ月を費やすこともある。
ほんの短時間のために、一生を費やすことも、、、。
細く長く絶やさず続けるパターンもある。
一生の中には、色んなパターンが組み合わされている。
Posted at 2025/03/27 15:57:54 | |
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