
最寄駅の駐車場に停めて現地ツアーに行ってきました。駅ビルの駐車場とは思えない1時間100円。『若き信長・・』は地元文化センターの歴史講座です。現地ツアーは座学と交互にあります。
先月の講座を仕事で休んだため、本日のメニューがわかっていませんでした。
桶狭間古戦場は名古屋市緑区にあります。
今日の現地ツアーは鳴海駅から信長勢が出陣した中島砦から桶狭間古戦場を目指します。新説の信長ろーとです。
桶狭間の戦いは、信長の正面攻撃説のほかに奇襲説など諸説あります。
講師は水野誠志朗氏で、新説を唱えるグループの歴史ライターです。
NHKの歴史探偵に、桶狭間の戦いの回で現地取材を受けています。水野さんの著書が、12月25日に発行されました。現地を歩くと新説に納得できます👏

名古屋鉄道の鳴海駅にある文化センターを出発して
中島砦に向かいます。信長の進軍ルートで桶狭間を目指します。
青い線のルートを歩きます。
左側の川が扇川右側の川が手越川。
その間が中島砦です。
2,000の信長兵が集結した砦です。
こんなところに中島砦跡。
民家の敷地内でした。
門を開ける入ると、敷地の奥に中島城跡の碑があります。

中島砦から出陣した信長勢は、手越川沿いに鎌研(橋の名前にあるようにかまとぎと読みます)まで進みます。
今川義元が高根山に本陣を置き、前軍が山の裾野に展開していれば、戦闘になりますが、何もなかったので、吉川勢はすでに高根山に撤退していたとの説明でした。
江戸時代の建物が並ぶ東海道と長坂道の分岐点に来ました。長坂道は高根山と幕山の間を通って桶狭間へ通じる道です。
信長は当初、長坂道を攻め上る予定だったが、暴風雨のため、間道に向きを変えた。

木が生い茂るあたりが高根山です。
かなりの急坂で、攻めるのは厳しいとのご意見でした。(ゼイゼイ言いながら登ります)

高根山からは信長勢が集結した中島砦を見渡せます。

現地では名古屋駅のビル群も見えました。

今川方から暴風雨で見えなくなっているので、信長勢は高根山の麓を東に迂回したという説です。
確かに正面攻撃説より説得力があります。
桶狭間古戦場は、以前は隣接の豊明市とされていましたが、現在では豊明市は桶狭間古戦場伝説地となって、名古屋市緑区が桶狭間古戦場となっています。
戦前に陸軍が豊明市が桶狭間古戦場と認定したそうです。当時の文部省は名古屋市緑区の桶狭間古戦場に戻せなかったそうです。
おけはざまやまの近くに豊明市と名古屋市の市堺ががあります。
桶狭間の合戦を描いた豊明市のマンホール。

角を曲がると名古屋市のマンホール。
おけはざまやまの今川本陣跡。
実際には、もっと高い場所だったでしょうが、山を削って住宅地になっています。
道を下ると桶狭間古戦場です。
古戦場のあたりは湿地で折からの暴風雨で足を取られたのでしょう。

近くにある瀬名陣所跡付近が唯一当時の桶狭間の景色が残っています。

桶狭間古戦場公園です。
今川義元の首塚。

信長像と義元像。

公園は桶狭間古戦場周辺のジオラマになっています。

熱田とあるので、信長塀ですね。
近くの桶狭間観光案内所まで歩いて解散となりました。有松行きのバス停が近くにあります。
『どうする家康』では、どこまで描かれるかわかりませんが、桶狭間合戦の雰囲気は満点でした🙆♂️
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2023/01/07 20:09:47