
【沼田城】
沼田城は、天文元年(1532)に三浦系沼田氏12代万鬼斎顕泰が約3年の歳月を費やして築いた。当時は蔵内(倉内)城と称し、沼田市街地発祥のかなめで、当市の歴史の起点。
築城して48年後の天正8年(1580)に、武田勝頼の武将真田昌幸が入城し城の規模を広げた。天正18年(1590)に昌幸の嫡子信幸が沼田領2万7千石の城主となり、慶長年間に五層の天守閣を建造した。天和元年(1681)に真田氏5代城主伊賀守が徳川幕府に領地を没収され、翌2年1月に沼田城は幕府の命により破却された。
(沼田市のHPより)
沼田城は沼田公園として整備されています。
公園駐車場の前に観光案内所があり、スタンプ押印と御城印を購入しました。
沼田城公園マップもいただき、見所探索です。
ジオラマ展示
信幸の時代に建てられた5層の天守
本丸跡石垣
信之・小松姫の石像

沼田城と言えば、小松姫です。
本多忠勝の娘ですが、徳川家康な養女となって信幸と結婚しました。
エピソードその1
家康が小松姫の夫選びをされるために、大広間に大名を集めました。小松姫さ頭を下げて平伏す大名の髻を掴み顔を見ました。信幸(信之)はこの行いに対して鉄の扇で小松姫の顔を打ったというエピソードがあるそうです。
信幸には正室がいましたが、小松姫が正室となりました。
エピソードその2
信幸は徳川方、昌幸・信繁は石田三成方として戦いましたが、昌幸が別れを告げに沼田城を訪れると、沼田城を守る小松姫は「夫より預かった城に、たとえ父上といえど、みだりに入れることはできませぬ」と刀をとって防戦体制を引いたそえです。小松姫かっこ良すぎです(笑)
鐘楼
鐘は沼田歴史資料館に保存されているので、訪問する予定でしたが、忘れて次の目的地に行ってしまいました😥
櫓台石垣
(図面に無かった石垣が発掘調査で見つかった)
5層の天守閣は復元してほしいです😅
名胡桃城をのぞむ
近くに小川城が行くことに。
上毛高原駅前にあるみなかみ町観光協会で御城印購入。駅前の駐車場に停めて、徒歩で小川城に。

小川城はまさに境目の城です。
小川城は沼田城主・沼田景久が西の備えとして築いたとされています。豊臣秀吉による真田領と後北条領の裁定により、沼田城及び小川城は後北条氏に、名胡桃城は真田氏のものとなります。真田昌幸が沼田の地を北条に渡すことに納得せず、第一次上田合戦に繋がります。
草ぼうぼうです。

国道で分断されています。
この城も本丸が低い方にあります。
方位からしても沼田城主が西の備えとして築城したことがわかります。
三の丸側
この後、TT-romanさんを白井城にご案内して
渋川市のホテルに戻りました。
同じ道を何度も往復(笑)
夕食はホテルのレストランで定食をいただきました。
当日の歩数。
2日目も足はしっかりでした🦶
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2025/05/20 10:35:20