【向羽黒山城】続日本100名城・国指定史跡。
日本最大級の巨大山城ですが、白鳳山公園として整備されています。
山城とはいえ、主要部に駐車場が設けられいてまわりやすかったです。
向羽黒山城は1568年蘆名盛氏によって築城されました。
1589年、蘆名氏は摺上原の戦いで伊達政宗に敗れて滅亡しますが、城は存続し
政宗や蒲生氏郷、上原景勝も詰めの城として使用していた。(パンフレットより)
麓の本郷インフォメーションセンターでパンフレットを入手し、御城印も
購入しました。この場所はGoogleマップでは検索できませんでした。
続100名城スタンプが設置してある向羽黒山城整備資料館に目的地を設定すると
曲がり角に本郷インフォメーションセンターはあります。
本郷インフォメーションセンターの看板
本郷インフォメーションセンター
攻城ルートと所要時間について教えていただきました。
様々なパンフレットが設置してあります。
向羽黒山城整備資料館
開館は土日のみ10時~14時です。100名城スタンプは休館日でも押印可能です。
本丸跡近くの駐車場

山城好きにはたまりません!

キリがないので、させていただきます。。
駐車場を移動します。
お茶屋場跡
蘆名盛氏が客人をもてなしたと伝わります。
磐梯山を望むすばらしい眺望です。
二ノ丸跡
中央の森が会津若松城(天守は確認できませんでした)
向羽黒山城は会津若松城の弱点を強化するために設けられたそうです。
さらに駐車場を移動して
三の丸跡
蘆名氏中興の祖と言われる蘆名盛氏は武田信玄が残した言葉として「丹波の赤井、江北の浅井、会津の盛氏、若年の大将には参河の家康なるべし」と伝わるそうです。武田信玄、北条家康とは同等の盟約を結んでいた。
盛氏が没したとき伊達政宗は14歳の少年でしかなかったが、盛氏と戦わなかったことが幸いであったかもしれないと言われている。
インフォメーションセンターでは1時間30分程度といわれましたが、約1時間の攻城でした。
【会津若松城】日本100名城・国指定史跡
別名・歴代城主、黒川城(蘆名氏・伊達氏)、鶴ヶ城(蒲生氏郷)、上杉景勝、加藤義明、保科正之と錚々たる大名が入城しています。
パンフレットは鶴ヶ城となっています。地元では鶴ヶ城と呼ぶようです。
石垣に上るなとの表示がありません。
登りたい人達。
層塔型5層の天守は加藤義明時代だそうです。
蒲生氏の時代は黒瓦でしたが、釉薬を塗った赤瓦になりました。
赤瓦は釉薬で強化され、寒さにも強いそうです。
3人で記念撮影。
茶室麟閣(天守閣と共通入場券です)
天正19年、千利休は秀吉の怒りにふれ、死を命じられました。蒲生氏郷は利休の子小庵を匿い、現在に至っている。麟閣は氏郷のために小庵が造ったとされています。(パンフレットより)

天守閣へ
アクアファンの記念写真
赤瓦
黒瓦
写真が多いので省略。
天守からの眺望
観光案内所でソフトクリームをいただきクールダウン。
天守を眺めながら駐車場へ戻るところでアクアファンさんが赤い橋を見逃したことに気がつきました。ナイスです!
帯曲輪の石垣を見ながら二ノ丸方面に
赤い廊下橋

廊下橋と石垣
観光案内所のお店でランチ。
喜多方ラーメンとチャーハンのセット。
ラーメンは美味しかったですが、チャーハンは残念です。
滞在時間2時間でした。
鶴ヶ城お見事でした!
この後、移築された三重櫓のある阿弥陀寺へ。
長いので、一旦終了します。
この後は白河小峰城へ向かいます。
Posted at 2025/07/30 17:00:49 | |
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