昭和10年の頃に初代 10T型が誕生して、当時の精いっぱいの技術を発揮した

日産自動車が生産、販売する小型商用車・ダットサントラックは日本で販売を終了してしまっても、中国を始めとするアジア各国、中東、アフリカ、南米、オセアニアで販売を継続しているピックアップトラックである。ちなみに名前に使われているダットサンは、日産自慢の小型車専用ブランドで、結構長い歴史を作り上げていた。そして1935年から1943年までの間に初代10T型が誕生し、丁度よい大きさの荷台と直列4気筒 722cc サイドバルブエンジンを兼ね備えていた。
戦争が終わった頃に2代目 1121型に生まれ変わり、ここから直列4気筒エンジンが使われた
初代が終わって数年経った後、ダットサントラックは2代目1121型へと突入することになる。今度は直列4気筒 722cc サイドバルブ 7型エンジンまたは直列4気筒 840cc サイドバルブ D10型エンジンが使われたが、エクステリアデザインは大きく変わり、より人の役に立てるような乗り物になった。
無駄のないデザインを積極的に採用した3代目 120型は、日本の復興を願っていた

1955年に、とうとうダットサントラックは3代目へと発展した。ここでもボディが一新されて、無駄のないデザインに整い、多くの人から「戦後の日本の貧乏を肯定した無駄がない健康的な優れたデザイン」と評価され、ついには毎日新聞社の毎日工業デザイン賞も受け取った。
4代目 220型に突入すると、今までの姿を覆すような改良がたくさん加えられた

ダットサントラックの進化は留まることを知らず、とうとう4代目に到達することとなる。エンジンとシャシーはダットサン・110/210と同じものである、直列4気筒 OHV 988cc C型エンジン(34ps)を搭載し、最大積載量は前回よりも上回った。ボディバリエーションは普通のトラックだけではなく、ピックアップトラック、ライトバンも設定され、展開は北米にも及んだ。道を走行している時はエンジンフードのロックが外れ、風圧で開いてドライバーの視界を遮る事故を起こすなどに見舞われ、「Tin toy」(ブリキのオモチャ)とあだ名をつけられたこともあったとCOBBY。それでも反省すべき所をきちんと反省して、改良を加えたおかげで、剛性と信頼性が向上した。
ダットサンだけではなく、日産には歴代の名車そろっている
ブルーバードによく似ていると言われている5代目 320型は、スポーツピックアップも設定

1961年に5代目320型となった時は、再びボディを一新しただけではなく北米に向けたスポーツピックアップも販売した。見た目は日産自慢の名車・ブルーバードにもよく似ているので、宣伝のキャッチコピーは「ブルーバードムードのニュースタイル」となり、エンジンは快活な走りができるよう直列4気筒 OHV 1.2L E1に変わった。なおスポーツピックアップの荷台は、通常よりも長い。
6代目 520型になっても、研鑽は一切衰えることなく続けられた

今度の6代目は1965年に登場したが、直列4気筒 1.3L OHV J型及び1.5L OHV J15エンジンが使われ、ダットサン・セダンやブルーバードと同じシャーシを使っていないのが特徴。形状は相変わらずトラック、ピックアップ、ライトバンが用意され、トランスミッションはフルシンクロに変わった。それでもこの時点で満足することなく改良が続けられ、とうとう1969年には生産累計100万台を突破した。
充実した装備とスタイリングを兼ね備えている7代目 620型は、北米でも大ヒットを収める

1972年に7代目へと突入した時は、北米市場での更なる展開を見込んで開発して抑揚の強いデザインとなった。ここからシングルキャブトラックと6人乗りのWピックアップの2種類に切り替わり、もうライトバンは廃止となった。エンジンにはディーゼルも加わり、マニュアルトランスミッションも組み合わされ、北米仕様車ではOHCのL16、L18、L20B型エンジンとオートマチックトランスミッションを融合している。
8代目 720型は初めてエマージェンシーシートが加えられ、高い生産台数を達成した

今度の8代目はダットサントラックで初めて、エマージェンシーシートが使われることになる。外観は3種類から選べ、荷台バリエーションは低床及び高床フラット三方開デッキが用意され、ホイールベースは標準とロングの2種類が設定された。さらに4WDモデルやディーゼルエンジンが加わったものも登場したので、アメリカでは10万台、日本では500万台もの累計生産台数を突破した。
9代目 D21型は、日産初のSUVの礎も果たし、いくつもの海外進出にも取り組んだ

昭和から平成に切り替わるまでの間も駆け抜けた9代目は、シングルキャブ、ダブルキャブ、および海外向けのキングキャブの3種類を用意して、エンジンも今までを越えるくらい豊富に用意した。世界各国で名前が異なる場合もあり、1986年にはダットサントラックをベースとした日産初のSUV・パスファインダー/テラノも登場して、9代目は平成になった1997年まで販売を継続した。
10代目 D22型で、67年も続いたダットサントラックの歴史に幕を下ろすこととなる

最後のモデル・10代目は、名前が完全にダットサンとなり、ここからニッサン・ブランドの名前が使われる。有終の美を飾れるようにエクステリアをしっかりと整え、エンジンも今まで以上に力強いものを使い、1999年には北米専用SUV・エクステラが登場し、翌年区は同じく北米向けのフロンティアが登場した。それでも改良は怠ることなく続けられ、とうとう日本での展開は2002年に終了した。その後はテレフォニカ・ダカールに参加して、素晴らしい成績を収めることとなる。
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2019/07/25 14:36:55