2011年06月11日
どうして静岡や神奈川が茶の検査を拒んでいるのか知らないが、そんなことではこちらの産地の茶葉は絶対に買えない。その後静岡は工場単位での検査を行う事にしたようだが、新茶の第一陣は無検査のまま市場に流れてしまった。これにより、市場に出ているお茶が規正値以下である保証はなくなってしまったわけだ。
にもかかわらず新茶の出荷祝いと称してニコニコ顔で祝杯をあげていた関係者達は一体どういう神経なのだろう。自分たちの利益確保の為なら消費者が犠牲になっても仕方が無いと思っているのだろうか。だとしたらあまりにも醜悪なニコニコ顔だ。
湯にさして飲めば放射性物質濃度は数十分の一になるから問題ないとうそぶく者もいる。ならばなおさら検査して堂々と数値を公表すればいい。検査はしないが安全だなどという寝言は寝てから言え。
そんなわけで少なくとも今年一杯、我が家ではこれらの産地の茶を買う事は絶対にないだろう。と、ここでふと気がついたことがある。うちの娘は茶道部だった(汗。抹茶は茶葉そのものを体内に摂取するので、より高い濃度の放射性物質を摂取してしまう事になる。
早速学校側に確認したところ、数日してから「部活の抹茶はすべて京都産なので安全」というお知らせが回って来た。本当かどうか一応お店側にも確認している最中だが、とりあえずこれで一安心。
それにしても原発事故とその対応に関しては、日本人の最も見たくない、最も悪い部分ばかりが出てしまっているように思う。予想される危機に対する十分な事前対応ができず、「事故が起きたらそんときゃそんとき」式のサボタージュ。そして実際に事故が起きてもだれ一人責任を取らないシステム。眼前でリアルタイムに展開される壊滅的な被害を直視できずに、なお原発にすがりつこうとする自治体と利権関係者。そして消費者の健康を害してでも自分たちの食い扶持を確保しようとする農村エゴ。
日本人として、あまりにも日本的な醜悪さを次々に見続けなければならないのは辛い。いいところももちろんあるが、国の将来設計に関わる局面で良さが発揮されないのが残念。
Posted at 2011/06/11 10:27:26 | |
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2011年06月01日
この記事は、
通過交通の闇。について書いています。
以前から薄々感じていたが、ゼロクラッシュジャパンには自転車に対する視線が決定的に欠けていると思う。好むと好まざるとに関わらず、日本は車社会である以上に自転車社会でもある。自転車はどこをどう走るべきかという問題に取り組まずして公道の安全は有り得ない。その認識があれば大田区・闇坂の問題に自転車が大きく絡んでいる事は即座に理解できたはずだ。
自転車が歩道を走っても良いとされたのは1970年の事。それは高度成長に伴う事故の急増に対する、あくまで暫定的な措置に過ぎなかった。しかし以後40年、その暫定措置が既成事実化され、自転車は歩道を走る事が当たり前になってしまった。その瞬間、道路づくりの現場から自転車は姿を消したのである。
闇坂のガーレドーレルも同じ発想で作られている。こんな狭い空間の中で自転車と歩行者がうまく共存できるわけが無い。なのにそれをゴリ押しするから事故が減らない。抜け道というのは、たまそこが抜け道だったというだけで、問題の本質ではないのだ。そこを見抜かなければ解決は遠いだろう。
Posted at 2011/06/01 12:12:01 | |
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