
みんカラには2週間ぶりの投稿です。<後編>
前編に続き、宮城県の祖母の葬儀についての後編になります。
通夜が終わり、実家に戻り父親と弟と3人でいただいてきた弁当をつまみにビールを飲みながら、昔話に花が咲き深夜まで話題が尽きません。
父親が高校生だったころのやんちゃ談話には非常に興味が湧きました。
今まで聞いたことのなかった父親の武勇伝が逆に新鮮に感じたのです。
翌日は9時に葬儀場集合なので、1時には睡眠をとりました。
父親は眠れないのか3時には起きてリビングの椅子に座って寝ていたようです。
よくよく考えてみたらつい最近まで認知症の母親の介護でずっと付き添いしてたので夜中はトイレで起こされたり習慣になっていたのでしょう。
朝は簡単なお茶漬けをささっと3人で済ませ、礼服に着替えて葬儀場に出発しました。すでに霊柩車が止まっていて、マイクロバスが後ろに待機しています。
葬儀場の式場にはまだ身内しかおらず、わずかな時間でしたが近況等の話し程度は出来ました。徐々に人が集まってきたので、火葬場に行く前に式場での最後のお別れの献花で祖母の周りに花を添えました。叔父の孫が「●●ばーちゃん、ありがとう」を何度も繰り返し叫んでいたのが印象的でした。
牧師さんのメッセージを聞いたあとで、火葬場へ出発です。
霊柩車を先頭くにマイクロバスとクルマ10台程度で後を追い、約20分程度で火葬場に到着しました。
気温は30℃を超える猛暑であり、喪服や礼服ではたまらない暑さです。
長袖に黒ネクタイなので余計に体感温度が上がってきています。
そういえば式場から霊柩車に棺を乗せるのだけは手作業でしたので、弟とほか2名の手を借りて担ぎ上げました。
火葬場は今日は一組だけでしたのでゆったりとしていましたが、4つある焼却炉の1つの前には祖母の写真が飾られていました。
係員がこれから火葬は約1時間半かかるということで、別室に移動し終わるまで待機という流れになります。火葬参列者は40人程度ですが、11時という時間からお昼ご飯の時間です。この待ち時間がものすごく長い時間のような気がしました。
ちょうど1時間半後に火葬が終わり、骨拾いを2名一組での実施です。
大きい骨から拾っていくのですが、全員が2巡したあたりから、小さい骨や崩れた骨など欠片まで拾い上げるのですが、私と弟はきれいになるまで拾い上げたせいか暑くてたまりませんでした。
まだまだ焼場のベースが高熱の状態だからですね。
最後の骨粉は係員がブラシで掃きながら綺麗にすくっていました。
煙や臭いがまったくない強制集塵型の焼場ベースは最新式でしょうか。
祖母を収穫した骨壺は、白い箱を被せられました。
火葬場はここまでで、これから葬儀場まで戻り、14時からの告別式の準備です。
私と弟は前日同様に早めに受付があるので、葬儀場に着きすぐに受付の準備をしました。
13時半頃から続々と告別式に参列される方にお越しいただきました、受付のやり方は前日の実戦で慣れていたのでスムーズに対応が出来ました。
香典袋の中が空っぽというケースはありませんでしたが、キリスト教式の焼香のあるハイブリッド式だったので、香典袋もお花代、ご霊前が半々でした。
告別式には14時以降は誰も受付する参列者が来なかったので、香典袋と管理帳を一旦締め、他の2名と交代し式場に入りました。
中ではちょうど牧師さんが説教中でしたが、賛美歌を歌うタイミングでは3曲歌いましたね。
最後に親族から順番に線香を1本ずつ立てて、遺骨前でのお別れの儀式です。
私と弟の番が終わり、受付の2名と交代しました。
親族以外の参列者から先に退席し、親族だけが最後に式場から出てきました。
約1時間の式でした。
さてこれから納骨です。
一般的には初七日で納骨とされるケースが多いのですがキリスト教式は1日で済ませるのが特徴だそうです。
ここから墓までマイクロバスとクルマで火葬場に行った40人で移動です。牧師さんも移動です。
父親と弟と私はクルマで移動しました。現地解散になるからです。
約20分で墓のある場所まで到着しましたが、驚くほど狭く急な坂道を上ります。
マイクロバスが1台とクルマ10台ギリギリ止められるスペースに駐車し、歩いて墓まで向かいます。
墓にはすぐに辿り着きましたが、東日本大震災で倒れた墓や壁もそのままあったり、誰が管理しているんだろうと聞いたら市が管理しているという。
祖母が入る墓は、祖父が入っているところなので、これからは一緒に居られるんだね。外はまだまだ陽射しが強く気温も32℃まで上昇しています。墓の上には簡易テントが張られていて、係員が納骨準備に取り掛かろうとしています。
骨壺から骨を墓穴の中に入れたあと、牧師さんのお説教が始まりました。賛美歌を歌い、最後に参列者全員が順番に線香を上げて納骨式は無事終了しました。
喪主である叔父には励ましの声を掛け、親族には挨拶をして墓を後にしました。
とにかく暑いので上着とネクタイをクルマの中で外し汗を引かせましたね。
全然水分を取っていなかったので熱中症にならないか心配していましたが、大丈夫のようです。
実家に戻り、着替えた後、弟は新幹線で帰るようで最寄り駅まで送りました。
私は父親が帰りに持って帰ってほしいと言われた米と玉ねぎをトランクに積んでから帰ることにしました。
実は弟を送っていく前に、父親には母親のことも自分のことも考えておく必要があることで話をしておきました。
急な対応の場合の親族の連絡先、病院、施設、葬儀場などなど、いつまでも若くはないので、残された家族が困らないように事前に理解しておく必要があります。
母親は認知症が進行し要介護2段階から4段階に一気に変化したこともそうですが、父親の体調も年々悪化してきているため弟とも色々相談しています。
今回の祖母の葬儀ではあらためて身内のことで真剣に考えさせられました。
東京に戻る際に休憩を取りながら安全運転で帰りました。
途中、那須高原PAで急な大雨で走行注意が発令されたので1時間程度様子を見ていましたが、少し小ぶりになったタイミングで再始動しました。
休憩もあったので約6時間もかけて東京に戻りました。
翌日は仕事、翌々日からは社外研修に参加のため2日間缶詰状態、その次も仕事が詰まっています。
本来は特別休暇を2日取得できるのですが、土日にまたがりタイミングが合わず断念。
とにかく多忙な日々が続いていたのでみんカラ投稿が出来ませんでした。
積み残した仕事も片付けて何とか今度の週末には洗車も出来そうです。
しかし・・・この猛暑の中、早朝でも気温が高く、何とか短時間で仕上げることにします。
前編に引き続き写真少なめ、文字多めにお付き合いいただきありがとうございました。
洗車後ブログ、画像アップデートを次回より復帰しますので、今後ともよろしくお願いいたします。
ではまた・・