■既に皆さんご存知のように、アップルのスティーブ・ジョブズが56歳という若さで他界しました、アップルファンとしてご冥福をお祈り致します。さて、話を戻してまず驚きだったのは56歳、という年齢を聞いた時の違和感。あれほど凄いことを数多く成し遂げてきたのにまだ56歳だった驚き、といった方が良いでしょうか。実際問題、見た目としては病気もあったでしょうから何ともいえませんが、ジョブズより若く見える56歳って今の日本には相当多くいる。けれど、え!あれだけの偉業を達成してこの年…と思える人はそう多くないように思う。もっとも僕なんてもう40なわけで、まぁ比べたら失礼でしょうが、ほんとノホホンとした人生よ、と痛感したのでした。
■話はそれましたが、ジョブズの死以降、実に様々な記事が生まれたのですが、中でも林信行さんが日経デジタルに書いた「
「世界を変えたくないかい?」 ジョブズはどうやって変え続けたのか」には強く感銘を受けました。おそらく皆さんの中にも感銘を受けた方は多いのではないでしょうか?
■僕が感じているのは、現状に対して物想い、憂う、というのは、今の時代を生きていればほぼ当たり前に突き当たる感情だろうということです。が、そこから先に”踏み出すか否か”。ここが分水嶺になっています。まぁブログですからぶっちゃけて記せば、”想う憂う考える”は息をしてるのと同レベルだと僕は思ってます。ようはそれをきっかけに動けるのか否か? が大切ではないかと。そして実は動けてからがスタートラインで、その先に成功するか失敗するかという最大の分かれ道があると考えてます。しかもそのさらに先に、本質に正直でいられるか否か、が待っている。そう考えると、つまり”想う憂う考える”はスタート以前。その先に勇気を持って踏み出してまだスタートライン、かと。ま、ここまで来ると元のソースの林さんが伝えたかったこととは少し違うのですが、そう感じたのでそれを引き続き記します。
■そうした見方からすれば、僕自身まだまだ動き足りてないし、メディアとしての岐路に立つこの時をして想いは複雑です。何もジョブズになろうとは思ってません。しかしあの高見から見たら我々はスタートラインにすら立っていないよ、と思えてしまうわけです。なんとも歯がゆいですね。もちろん僕は歯がゆいままにしておこうとも思ってはいないのですが。
■先日、すごくお世話になっている大先輩から、ちと空回りしてるのでは? と言っていただきました。確かに! と思う一方で、空回りもまた1mmでも前へ進む気持ち、とも思えて…これまた複雑であります。ただ、さっきの話ではないですが、歯がゆいままでいるくらいなら、空回りもまた致し方なし、とも思っています。
■また話がズレましたが、ジョブズに寄せた林信行さんの記事を読み、当然ながら日本の自動車メーカーを思わずにいられませんでした。仕事柄いろんな立場の自動車メーカーの方と接します。ひとりひとりは実に素晴らしい方ばかりで尊敬と感謝の念を常に抱いています。が、ここ最近は日本の自動車メーカーが世を動かしている感じがあまりしないのは気のせいでしょうか。本質を見事に提示してくれているでしょうか。
■そんなことを思っていた矢先に、アップルはiOS5を発表しました。iPhoneやiPad向けの新たなOSです。そしてこの中にiCloudという、いわゆるクラウドコンピューティングがサービスとして提供されています。僕は昨晩、これを使って震えました。時代が確実に変わったと。そして時代を変えたのはやはりアップルでありジョブズだったのか、と。今はまだ目新しいサービス、というくらいのものでしょうが、このサービスはおそらく今後革命的なものになるはずです。アップルがこの先どう動くかは判りませんが。
■どうしてそこまで震えたのか? それはiCloudというサービスが、これまでアップルが作っていたPCすら、不要としてしまうほどのサービスであり、さらに進化すれば今のiPhoneやiPadのような成り立ちのデバイスは要らずに、極端にいえばタッチスクリーンを備えたモニターと通信機器さえ備えたデバイスであればOKとなるサービスだということです。
■アプリケーションとメモリは文字通り雲の上。そこにあるものにアクセスできればデバイスは何でも良い…これはある意味、自らが築いてきた歴史を全て捨てるほどの革命、ともいえるわけです。
■そしてこれをクルマに置き換えるとどうでしょう? もちろん全く同じように考えることはできませんが、パワートレーンや燃料という最もコアなものは必要とせず、ただ乗れて今より便利にどこへでも動ける(そのかわり、それらがなくなったことで飛躍的に革新できる)空間とか箱が用意される…ということ(極端にいえば)になります。しかもそれが楽しく気持ち良かったら…本質的にはそれで歓迎されるはずです。
■もちろん、僕もそんなもの想像が付きません。しかし今、アップルが属す世界ではそのくらいの極端な変化が起きているし、起こしているわけです。そう考えると自動車の世界で、果たしてそこまでの飛躍した概念(と同等レベルの革新)を持って何かが進行しているでしょうか? 僕には思い当たらないのです。もちろん全く同列に見る事はできないことは判っています。それにどこまで行っても自動車は自動車のカタチをしているだろう…ということもぼんやりとはあります。が、それだからこそ、あえて極端に行かなければならない部分もあるのではないかと。
■もちろん今、日本の自動車産業はそれどころではないことも承知の上です。長らく続く円高や最近ではタイの洪水被害など、あらゆる心配があります。が、そんな時代だからこそ強い何かが求められているように思えるのです。日本には世界から見たら信じられないほど、狭い場所にたくさんの自動車メーカーがある。ならば皆同じ、はおかしい。そういう意味でも僕は期待をしています。
■そしてもちろん、期待するからにはそれを受けて伝える我々もまたiCloudの持つ感覚を知っておく必要がある、と思えるのです。
Posted at 2011/10/13 22:56:36 | |
トラックバック(0) |
視点 | 日記