ここまでは話を面白くするために、アウディ好きの方面から作文しておりますので、ポルシェ寄りでない書き方も多々有りますし、正確性に欠ける内容も少しは有りますがご容赦下さい。
あと2、3話で終わりにしたいと思っております。
楽しく読んで頂けたら幸いです。
それでは行ってみたいと思います。
ポルシェを助けたメーカーはと言うと。。。。。。。
そうです!
日本を代表する自動車メーカーのトヨタ自動車です!
1990年代にポルシェは150億円もの赤字を出して倒産の危機に瀕します。
それでもレースでは絶大な強さを発揮していましたが、レースで勝てても利益を出せない会社は必要ない。
と、、どうやらピエヒは、レースへの参戦機会を減らす様に圧力をかけていたみたいです。
そしてアウディを前面に押し出して行きます。
その為、アウディが勝ち続けられたのはポルシェが出なかったから、、などとも言われた時期もありました。
追い詰められたポルシェ、遂に本気になります。
1992年に社長に就任したヴィーデキングと言う人は利益を上げる会社を作るために世界のトヨタに頭を下げます。
頑固な職人を連れてトヨタの工場に出向き、無駄の削減方法を研究させます。
共有パーツの研究から、工程の削減の仕方、ありとあらゆるトヨタ生産方式を学ばせます。
しかも優しいトヨタは15人も管理者を派遣してポルシェを再生する手助けまで行っています。
よくこんな事を実行出来ましたね!
凄いですね、ヴィーデキングさん。
因みにWikipediaでヴィーデキングさんを検索すると、実業家と書かれているので、
その辺の能力に長けた人だったのでしょう。
またこの時期に北米でトヨタハリヤーなどのSUVに人気がある事を知ったみたいです。
この辺りから、カイエンやマカンなどを製造する発想が思いついたのでしょう。
結果はと言うと、、、
カイエンの販売が世界的なヒットを呼び、財政もV字回復を遂げる事が出来ました。
そして、あろう事か、フォルクスワーゲンを買収する提案を当時の経営者でフェリーポルシェの4男ヴォルフガングに切り出してしまいます。
当時のポルシェは元々フォルクスワーゲンの部品などを使って生産されていたため、フォルクスワーゲンが買収されたら、ポルシェは経営が成り立たないなどと言われておりました。
本当の所は分かりませんが(笑)
しかし手元の資金だけではいくらなんでも買収は不可能なため、
アメリカにあるメリルリンチと言う金融機関を頼ってフォルクスワーゲンの買収を画策します。
ヴィーデキングさんの入れ知恵凄いですね!
これによって、本国のドイツ政府や、フォルクスワーゲンのピエヒに知られる事なくコツコツと株を買い漁る事になるのですが、資金はメリルリンチから借りたお金で賄っていた為、フォルクスワーゲンの株を70%ぐらいまで買う事は出来たのですが、、、、、
そこで、リーマンショックがやって来ます。
そうですね、ご存知の方はいるはずですが、メリルリンチはリーマンショックで当時破綻した金融機関です。
破綻したメリルリンチを引き受けた管財機関は、次にポルシェに貸したお金の返済を迫ったのです。。
俗に言う貸し剥がしってやつですね。。。
ポルシェはメリルリンチへの借金と当時の赤字経営で合計100億ユーロもの負債を抱えてしまっておりました。
当時は1ユーロ=130円ぐらいだったので、単純計算で1兆3000億円でしょうから、日産が経営破綻したときの2兆円に迫る勢いですね。
日産より規模が小さい会社が、こんな規模の借金良く借りられましたが、ポルシェ家の資産を背景にメリルリンチが融資したのでしょうね!
当時フォルクスワーゲンの会長であったピエヒはポルシェ一族がどうなろうと知った事ではなかったでしょうが、大切なお爺さんの名前を冠した会社が中国企業などに渡る事だけは避けたいと思ったのでしょうか、ポルシェの救済を決意します。
なんとかポルシェは他国の会社に買収されずにすみました。
ポルシェはフォルクスワーゲンの傘下となり助かる事は出来ましたが、ポルシェの社長でポルシェの孫のヴォルフガングは同じポルシェの孫でフォルクスワーゲン会長のピエヒに頭が上がらなくなってしまいました。^_^
気持ち良かったでしょうねピエヒさん。
ですが、その喜びもつかぬま程なくしてピエヒ本人も燃費改ざん事件によって人生を転落していく事になって行きます。。
続く。。。
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2020/08/29 12:45:48