モータースポーツの世界において、女性のチーム監督は現在でも少なく、チームをチャンピオンに導いた者となると、その数はさらに少なくなる。現在スーパーGTでYogibo Drago CORSEを率いる芳賀美里はその数少ないひとりである。
芳賀は15年前、スーパーGTのGT300クラスでディレクシブというチームを率い、途中まで選手権をリードしながらも、シーズン終了を待たずに撤退を余儀なくされた。2008年にMOLAの監督としてGT300のタイトルを獲得したが、その後10年以上もモータースポーツの表舞台からは姿を消していた。
しかし今季、芳賀は新たにYogiboをタイトルスポンサーに迎えたDrago CORSEの監督としてスーパーGTに復帰。チームの指揮を執っている。
26歳という若さでディレクシブの運営を任された芳賀の経歴は非常に興味深い。ディレクシブはスーパーGTに留まらず、GP2(現FIA F2)参戦ドライバーへのスポンサードも行ない、マクラーレンの支援を受けてのF1参戦目前まで迫っていた。
しかしながら、F1チームを運営するという芳賀の野望は儚くも崩れ落ちた。ディレクシブが狙っていた2008年シーズンからのF1参戦枠をプロドライブに奪われたのだ。その結果、ディレクシブのスーパーGTプロジェクトも早々に終了となってしまった。
その時経験した無念や悔しさが、15年経った今でも芳賀の原動力となっているのは間違いない。
「スポンサーが撤退したことにより、(スーパーGTの)選手権をリードしながらも、2006年シーズンの途中でディレクシブは活動を終了しなければいけませんでした」
芳賀はmotorsport.comのインタビューでそう振り返った。
「本当に悔しかったですし、その悔しさは今でも忘れられません。いつかリベンジのために戻ってくると心に決めていました」
芳賀はレースクイーンとしてモータースポーツ界でのキャリアをスタートさせた。そんな中、スポンサーを募るために自らの会社を立ち上げた彼女は、2004年にモータースポーツ参入の名目で設立された企業『ディレクシブ』を取り巻く謎多き投資家たちと接触することになる。
そして2005年にはディレクシブ・モータースポーツが芳賀を中心として発足し、オリビエ・プラ、クリビオ・ピッチオーネ、吉本大樹という3名のGP2ドライバーのスポンサーとなった。そして同年にはスーパーGTのGT300クラスへの参戦もスタートし、R&D Sportと共同でVemac 320Rを走らせた。

Haga (left) with Direxiv drivers Yasuo Miyagawa and Shogo Mitsuyama in 2005
Photo by: Hiroshi Yamamura
スーパーGTでの1年目は密山祥吾と宮川やすお、そして吉本を起用したものの、上位入賞は果たせず。しかし密山のチームメイトに谷口信輝を迎えた2006年シーズンは成績が飛躍的に向上し、第2戦岡山で優勝するとタイトル争いに加わった。
それと同時に、ディレクシブのヨーロッパでの活動も急速に拡大していった。2005年のGP2ではそれぞれチームが異なる3人のドライバーを支援していたが、2006年からはデビッド・プライス・レーシング(DPR)との提携を本格化させて『DPR・ディレクシブ』として参戦。元F1ドライバーのジャン・アレジをエグゼクティブ・ディレクターに迎え、当時現役ドライバーだったアレクサンダー・ブルツを若手ドライバープログラムの責任者に任命するなど、豪華な布陣となった。
しかしそれ以上に重要だったのが、ディレクシブがマクラーレンの若手ドライバープログラムの一翼を担うという契約が結ばれたことだった。その契約はGP2にステップアップしてきたルイス・ハミルトンを支援するというもので、最終的にはDPRがディレクシブの名の下でマクラーレンのBチームとしてF1に参戦し、アレジをチーム代表として、ウォーキングにある古いファクトリーを使用するという計画まであった。


ディレクシブは2008年シーズンからのF1新規参戦枠を巡る争いに加わり、FIAに申請を出していた。しかし、結果的にその枠に収まったのはデビッド・リチャーズ率いるプロドライブ(最終的に参戦は実現せず)。それと同時に、ディレクシブのモータースポーツへの関わりも終焉の時を迎えることになるのだ。
芳賀は当時のことをこう語る。
「F1に出られないということが明らかになると、投資家たちはスーパーGTも含めて関心を失ってしまいました。そして全てがあっという間に終わってしまったんです」
「(マクラーレンとの提携は)全てが決まっていたので私たちは申請したのですが、FIAから却下されてしまい、その理由すら教えてもらえませんでした。もしこの計画が成功していれば、ジャンがチーム代表になり、私はおそらく副代表的なポジションに就いていたでしょう」
「一生に一度の特別なチャンスだったと思います。今でもあの世界に戻りたいと思いますが、あの時の悔しさが今の挑戦の原動力になっているので、いい経験だったと思っています」
ディレクシブは2006年第6戦鈴鹿1000kmを最後に、スーパーGTからも撤退。密山&谷口組は引き続きR&D SPORTとして残りのレースにエントリーしたが、終盤2レースで無得点となったことが響き、最終的にランキング3位でシーズンを終えた。
翌2007年、芳賀はAVANZZA×BOMEXの監督に就任して引き続きGT300を戦った。そして2008年はMOLAの監督となり、星野一樹と安田裕信を擁してGT300のタイトルを勝ち取った。

Haga celebrates MOLA's GT300 title success alongside TOM'S team director Masanori Sekiya in 2006
「チャンピオンになるという目標を達成したので、しばらくモータースポーツから離れることにしました」
芳賀はそう振り返る。
「私は美容に関心があったので、化粧品会社を立ち上げました。12年間、モータースポーツとは基本的に何の関わりも持っていませんでした」
しかしアメリカのソファ・クッションメーカーとして知られるYogibo社の日本代理店、ウェブシャーク社の広報を担当したことが、彼女を再びスーパーGTの世界へと引き戻すきっかけとなった。
「会社の代表がモータースポーツ業界への参入に関心があり、そこでの経験があった私に、何か良い方法はないかと尋ねてきたんです」と芳賀は言う。
「私は、日本で最も観客動員数が多く人気があるスーパーGTを勧めました」
「(それ以前にも)復帰のオファーはありました。しかしモータースポーツの世界では、途中で頓挫してしまうプロジェクトが数多くあります。GT300クラスでさえ非常にプロフェッショナルな世界になっているので、スポンサー企業がそこに入り込むのはかなり難しく、全力を尽くす必要があります」
「しかし、ウェブシャークとYogiboに関しては、全力でスーパーGTに臨んでくれるだろうと感じましたし、突然やめるようなこともないと思ったので、彼らと共にモータースポーツ界に戻ってきたんです」
ウェブシャークのスーパーGT参入は、ホンダNSX GT3でのGT300継続参戦に向け新たなスポンサーを必要としていたDrago CORSEにとって好都合だったはずだ。こうして2021年に誕生したYogibo Drago CORSEは、芳賀がチーム監督に就任し、ドライバーにはエントラント代表でもある道上龍に加え、かつてディレクシブで走った密山が久々の復帰。これまでModuloカラーだった34号車NSXは鮮やかなスカイブルーに生まれ変わった。
しかしながら、ここまでの34号車は決して順風満帆とは言えない状況だ。3レースを終えて未だ入賞できておらず、開幕戦岡山の16位が最高位となっている。芳賀が語るように、GT300のレベルは以前に比べて格段に上がっているのだ。

「かつては、シャシー、エンジン、タイヤなど、それぞれを選ぶことができました」
「しかし今では既にパッケージ化されたものを走らせないといけないので、ピットストップの速さや戦略が差をつける要素になります」
「NSXに関しては、過去のデータに頼らずにアグレッシブなセットアップをしていこうと考えています。チームのエンジニアやメカニックは若い人たちが多いので、新しいことにチャレンジしていきたいです」
芳賀の現在の立ち位置は、ディレクシブ時代のそれとは異なっている。かつては日本とヨーロッパを行き来しながら、ディレクシブの顔となるべく幅広い役割を担っていた彼女だが、現在は既に確立されたアプローチを持つチームの舵取りを任されている。

Misato Haga, Drago Corse Director
Photo by: Sho Tamura
「かつては私がチーム代表と監督を兼務していたので、何でも自分の思うやり方で仕事をすることができました」と芳賀は語る。
「今ではDrago CORSEと共に仕事をしています。彼らはNSXで何シーズンも戦っている一方で、私は10年以上ぶりにパドックに戻ってきているので、乗り越えないといけない課題がたくさんあります」
「ただそれをネガティブなことだとは思っていません。勉強しなければいけないことは多いですが、それが自分のためになっていると思います。私がここに戻って来たのは数合わせになるためではなく、再びチャンピオンになるためですし、チームの全員がその目標に向かって努力しています」
ウェブシャークが今後もDrago CORSEとの提携を続けるのかは明らかでは無い。しかしディレクシブ時代に成し遂げられなかったことを達成しようとする芳賀の意志は確かであり、スカイブルーのマシンがGT300の先頭を走る日もそう遠くはないかもしれない。