
拝借物ですが、プロフィール画像とヘッダー画像を差し替えました。ヘッダー画像は一部欠けているが14系客車時代の急行「宗谷」で、プロフィール画像はキハ400系気動車時代のイラストヘッドマークにしました。
急行「宗谷」は1981(昭和56)年9月までは青函連絡船に接続して、函館~稚内間を倶知安・小樽経由で12時間かけて走行するまさしく北海道縦貫急行列車でした。当時の編成もキハ56系気動車8~10両編成でかなりの長大編成でした。
自分は亡くなった母の実家が八雲町に在るので、幼い頃に母の実家へ帰省の際に南稚内~八雲間で乗車した記憶が残っています。
小学校での修学旅行の往路(復路は急行「天北」)では南稚内~旭川間で乗車したし、中学生時代に帯広へ行く際には往復で南稚内~滝川間で乗車して、滝川~帯広間は急行「狩勝」に乗車しました。(画像は拝借物です)
「宗谷」は1981(昭和56)年10月から札幌~稚内間に運行区間が短縮され、1985(昭和60)年3月にはDD51型ディーゼル機関車を牽引機として14系客車での運行となりました。(画像は拝借物です)
「宗谷」「天北」が14系客車に変わった頃は高校生になっていました。東京への大学受験旅行の際に乗車しましたが、大学生となり最後に上京する時は天北線経由で運行される「天北」に乗車して故郷である稚内を去る格好となりました。
その後JRへ移行後の1988(昭和63)年11月から「宗谷」「天北」がキハ400系気動車が運行することになり、1991(平成3)年3月には「利尻」も後追いで置き換えとなりました。
「宗谷・2往復」「天北」「利尻」がキハ400系気動車に変わった頃は東京で大学生でした。大学生時代は殆ど帰省できなかったので乗る機会が少なかったです。既に「天北」は廃止されて「宗谷」に編入されました。(画像は拝借物です)
卒業して札幌で社会人となってからは、冬季の正月の帰省で乗車したが1995(平成7)年以降は乗車する機会を失いました。
全盛期は10両編成で、14系客車時代でも6両編成だったが、キハ400系では増結する日が多いとは言えども4両編成にまで減少しました。更に名寄で1両減らして名寄~稚内間は3両編成という寂しい編成となってしまいました。また「宗谷」の1往復は「サロベツ」に改称されました。
2000(平成12)年3月に宗谷本線の急行「宗谷」「サロベツ」「利尻」「礼文・旭川~稚内」が当時の特急「スーパー宗谷・2往復」「サロベツ」「利尻」に格上げ廃止されるまで運行されました。
稚内で生まれ育った自分にとっては何かと思い入れのある急行列車でした。
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2022/06/20 15:39:32