
9/24
血液の炎症反応が,1.2になり退院することになった。
退院して前回退院時と同じように病院からデニーズに直行した。
長期の入院のぶり返しか、食生活の変化によるものか極度の便秘に。体調が不調だ。
体重は入院前74Kgが67.4Kgにと6.4Kg軽くなってしまった。
9/25
便秘はウオッシュレットの助けを借りてなんとか解消したが、腸が働いていないような気がする。
午後、17:00 7.1度
体中の筋肉がほぼ無くなってしまったようだ。ワイフとジョナサンでお昼を食べようと、自転車に乗れるか試してみた。
左足がおばチャリの低いシャーシをまたげず、ペダルも少し上にあると踏めない。
これは最初の脇腹からしたスペーサーを3個いれるための手術の後遺症だ。
左足の神経を切ってしまったらしい。
結局おりからの雨で自転車にまたがるだけで、左で地面を蹴りながらジョナサンに向かう。
ジョナサンでは二人の女性ウエイターからお久しぶりですねと声をかけられた。考えてみればほぼ2ヶ月ぶりだ。
帰ってから疲れて1時間ほど熟睡。
21時が近くなると病院で寝なくてはいけない息苦しさが今でもはじまって来る。何とか習慣を変えないと。
ワイフが左足先の甲が腫れているという。
8/5の1回目の手術での後遺症だ。
かかとを軸としてその先がほとんど上がらない。
まずい。 このままだとマニュアルの車は運転できない
10/2 (金)
14:30~退院後1週間目の診察。
会計が終わったのは17:30 疲れる。
血液検査 炎症反応4:4 その他の数値を検査。
両足先は依然としてしびれがある。
レントゲン検査 腰の下の方にレントゲンで手術で完治していない部分を医師は発見したようだ。
そもそも、左足校が手術後上がらなくなったことも理解していなかったようだ。
あれだけ、毎日その日の担当のナースがベッドに来て、足の状態を聞きファイルにチェックしていた、1回目の入院、2回めの入院の合計は47日間だ。
退院時、1,24だったらしい炎症反応が4.4になっているのは抗生物質があっていないのではと,10分ほど調べたのちに薬を再決定。
医学の知識はないが、胃が痛いので潰瘍があったとして、炎症反応が上がっているのでなければ体内感染のせいだろう。
なんと、コルセットは来年2月までと言う。
簡単に、菌は死なないという。ショックだ。
免許更新事前審査、免許更新、GoTiTravelで予約済みの4日間の別府旅行、アウディTTでのドライブなどのスケジュールはどうなるのだろう。
何より、まともに仕事ができない。 ショックだ。
次回の診察は、10月末なので、それまでは頻繁に体温を測り、チェックして、最悪、その前に診察をお願いしようと決めた。
いつになったら、体内の菌を死滅できるのか? 今日10/7は明け方から動機が激しく、熱を測ったら、35.7度。フラフラして息苦しく、ファミレスになどでかけれる状態ではない。
写真は2回めの入院費。
1回目のリハビリ費用はなく、差額4人部屋ベッド代がある。
左側は保険負担料率3割なら0.3を掛けた支払い。右側は満額支払い。
僕の脊椎間狭窄手術の記録はこれで締めて、菌がなくなったら書きたいと思う。
Posted at 2020/10/07 14:34:42 | |
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脊椎間狭窄症手術 | 日記