2020年10月08日
僕の脊椎間狭窄症手術の記録を日記からの転載でブログに書いてきたので、とても読みにくい内容になっていたと思います。
団塊の世代も老齢に差し掛かって腰痛、頚椎の痛みなど経年変化も含めれば、将来手術を受ける方々もいらっしゃると思うので何かの参考になればとアップしてきました。
僕の不運な手術とその後の2度めの切開手術と術後の経緯は、まれな例だと思います。
お伝えしたいこと:
通算47日間の入院中の経験では、内視鏡手術で脊椎の痛みが解消したように見えても、4ヶ月後に再手術とか昨年受けたのだが再手術とかの方が比較的多くいます。
僕の場合、まず脊椎の間に3個のスペーサーを内視鏡手術で挿入し、2日後に背中を大きく切開して(お尻のくぼみから背中の肩甲骨の辺りまで)、尾骶骨から脊椎9個をロッドでつなぎそれぞれをネジ止めする、かなりの大手術をしたのですが、
最初に可能性として執刀医が話してくれたそのままに、
1.足の甲まで続く神経の一部を切断したのか、内視鏡手術を下側の左足の甲が上に曲がらなくなり、今日に至るも足の甲のむくみが亡くならない。
2.常時の足のしびれと、直立にて100m歩くと足の裏の感覚がなくなり、それ以上の歩行は危険という状態は無くなりましたが、依然として常時の足の裏のしびれはなくなっていない。
1.は手術の後遺症です。マニュアル車の運転は難しそうです。
私の場合、長期間の入院で、頚椎の痛みが出てきた。
腰の状態が悪い人は頚椎も異常がある場合が多いです。
入院中、頚椎の手術の人がかなり多いという感じでした。
驚いたのは、中年や若い方も手術を受ける方が多く、入院しても、高血圧で手術に至る前に治療という患者さんが幾人かいらっしゃいました。
高血圧、糖尿の方などは、それも手術に関係することを心に留めてください。
手術が終わっても車椅子のままで歩行に至らない方もいらっしゃいました。
僕のように2ヶ月もベットとトイレの往復がほとんどだと、体中の筋肉はメルトダウンしたように、全くなくなってしまって見る影もありません。回復には少々時間がかかりそうです。驚くのは下腹部がパンパンに張って固くお腹が出ていることで、寝るとぺっちゃんこになって、自分でも苦笑してしまいます。
やはり、高齢になってからの手術は、自身の体が思うようにならないので、なるべく早めに受けられたほうがいいだろうという感想です。
私の病院の場合は別階のリハビリ病棟、傘下のリハビリ病院がありますので、しばらく手術後病棟にいても、リハビリが長そうな人は移転していくので、長期になった患者さんのその後の経緯が僕にはわかりません。
3.手術中、手術室内の空気感染で菌が背中に入り、再入院(血液の炎症反応18)退院時,1,2まで落ちた血液中の炎症反応が1週間後の診察のときには4.4まで増えて、熱の出る日もあり、今日に至るも完治していない状態です。
これも手術前に可能性として執刀医から説明を受けていたのですが、
最初の退院の前には血液の炎症反応の検査もなく、コルセットを装着してのリハビリ中に背中が痛いと言っても、コルセットがあっていないのだろうという思い込みで、特に背中を見るとか(切開後の癒着状態はナースや、循環器科の先生は見ていても気がついていない)ので、彼らにとっても予想外のことだったと思います。
可能性として、あり得ることで、不運にも僕が該当したということでしょうか?
1回目の退院をして、家に帰って、ワイフは切開後の傷がピンク色をしていると、素人目にも違和感があると僕の背中の写真(背中なので僕は全くわからない)を撮って見せてくれました。
入院中には毎日ナースが背中の縫い目をチェツクしています。
なにかおかしいと気づくことがなかったのが不運でした。
手術後3週間でまだピンクの手術跡が当たり前でしょうか?
あと2日長く入院していれば、38度以上の熱が出て、その後の再入院のPCR検査、再入院待ちの1週間の苦痛がなかったと思えば、まれな不運でしょう。
僕は20代の後半にスキーで右大腿骨6箇所を折る第事故を経験して、名古屋第一日赤に3ヶ月半入院していました。
その時には脊椎の手術を受けた建築業の社長が下半身不随になり、入院中に奥さんが家を出てしまい、看護婦さんに泣く泣く電話で「よりを戻してくれるよう説得してくれ。」と頼んでいる悲劇を目の当たりにしました。
それに比べれば僕はマシな方と思っています。
ただし、生涯現役と考える僕にとっては、大きなつまずきです。
次回の「脊椎間狭窄症」のブログは完治したときの報告だけになります。
Posted at 2020/10/08 15:03:10 | |
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脊椎間狭窄症手術 | 日記