
8/24 ~8/26(水)
一昨日から寝不足も解消して、テープタイプの薬のせいで、相変わらず血圧が低く、呼吸が充分では無いが、体力は回復してきている。
脊椎手術後にはリハビリがセットになっている。
手術後のリハビリはかなりきつく、つかまって、なんとか立ち上がる程度だったのをリハビリで、歩行器、歩行できる状態までして、最後は階段歩行ができればリハビリとしては隊員へのスケジュールが終わる。
最初気に触った80すぎの方は緊急入院から8日ほど待たされて手術できた。
僕とはアメリカの大統領選挙、首相選挙などの話を廊下の談話スペースで長時間話したりしていて理解できたのだが、突然の自転車転倒、救急車、手術入院と環境の急変と不安が起因していたようだ。
パーキンソンの方は姉夫婦が来院して病院側と話したようで、この病院の系列のリハビリ病院に転院できることになった。
隣の4人部屋を専有している車椅子のアルツハイマー気味の人とは、廊下の談話スペースで何度も話したが、気のいいおじいさんだ。
依然として、消灯次官になるとアルツハイマーのスイッチが入り、夜中の3時でも大きな声で看護師を呼び続けていた。 よく体力がもつとおもう。
車椅子に安全ベルトだけの人だと思ったら、リハビリ室では介助で歩行していたので、びっくり。
明後日で術後3週間になる。
今日の午後に医師が僕の意思を聞きに来た。
退院してリハビリに来るか、リハビリ病院でリハビリを続けるか?
もちろん、通院をお願いした。
上の階のリハビリ病棟や、系列のリハビリ病院に転院、再入院する人は、その後はいつ退院できるのだろうか?
8/27(木)
今朝は初めて、爽やかに感じた朝だった。あすで2回目の手術から2週間がたつ日。
爽やかと言っても、21:15に眠剤5mgを飲んで22:40分に起き、以降、23:10~01:30 2.5mg, 01:40~02:50 2.5mg, 03:00~04:10 2.5mg, 04:30~05:40 2.5mg
と細切れの睡眠だ。
消灯から朝6時までに睡眠時間を確保するために、眠剤を伸びた爪で割って分割することで、なんとか睡眠時間を確保している。
睡眠薬を必要とすること自体が異常で、こんな飲み方は異常だ。
家では時々寝る前に5mgを服用するだけなのだが、家での眠剤と病院の眠剤は違って、口に含んだ途端に溶け始めるし、今回の入院で増えた服用を家では眠剤なしに持っていくのに1ヶ月以上かかるだろう。
4人部屋で僕が最初の1人だったが、翌日から僕の隊員までにに6人が入室、5人が退院していった。
うち3人は1泊または日帰りの入院前検査のような人たち。
リハビリは毎日1時間ずつ2回、ないしは3回。極めてハードだ。
リハビリ病棟もあるので、超高齢者もいる。
前から買いたいと言っていた杖をリハビリ室で購入して歩いてみたら、これが極めて皇朝で、歩行器無しでかなり歩けた。
どうも足底板の経年変化で左右の足のバランスが悪かったようだ。
8/28(金) 術後3週間目の採血や、MRIなどが今日はあるらしい。
運命の日だ。
今日は昨日と違って、夜中は眠れなかった。それでも基礎的な体力は維持している。
良い検査結果を望む。
巡回の先生が退院は近いねとおっしゃるので、「明日はどうでしょうか?大安だし。」とアピールしたら、明日退院OKとなった。
実はナースから退院の日取りを暦を見て選ぶ患者さんもいると聞いていたので、チャレンジしてみたのだ。
8/29(土)
退院 、入院中から考えていた、病院近くの寿司屋をやめて自宅に行く途中にあるデニーズへワイフと直行。
鉄火丼と、うどんのセットを注文したのだが、オーダーミスででお茶漬けがでてきた。店長が謝りに来てつくり直したのだが、直行した僕としては釈然としなかった。
今回の入院は流れが悪かったと改めて思う。
Posted at 2020/10/01 14:05:57 | |
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脊椎間狭窄症手術 | 日記