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2021年04月19日 イイね!

トーハツ ツインアロー の思い出。

トーハツ ツインアロー の思い出。
トーハツツインアローの思い出。
所有期間 1965ー1966

クラスメートが1964年に会社更生法を申請してバイクの生産を止めた東京発動機(株)トーハツのバイクが安く買えると誘ってきたのは高校2年の時。

東京発動機(株)は一時期は日本最大のバイクメーカーで50ccランペットの名声は僕でも知っていた。

ツインアロー:空冷2シリンダー2キャブ●123cc●12HPS/5000rpm●Max115Km バンキング角度50度●130kg●12万9000円
1年半の所有期間は壊れることもなく、自身も高校生ゆえメンテとしては愛情を持っての清掃程度しかしていない。

東京の大学に行っていなかったら長く使っていたと思う。
上京の日に父の取引先の方にもらわれていった。


父に相談するも、「バイクは危険」と固く禁止されたてまった。

そこで、小学校時代から趣味で集めていた記念切手を、切手ショップに売りに行って7万円に。

当時は郵政省の記念切手発行数が現在に比べると遥かに少なく、切手収集をしている人は多かった。
小学校を半休して、中央郵便局の大きなビルを半周する皇太子殿下ご成婚記念切手をシート買いしたことも。

思い出の多い記念切手収集だったが、メインの切手を売ってしまったので徐々に先細りとなりました。

バイク屋に現金を持って「これが全てだけど・・・」とお願いしたら「OK。」と言うので、父母に黙って即決。
本当はランペットがほしかったのだが、それはすでに在庫が無いとか・・・。

友人ともども、125ccのトーハツツインアローを購入した。


保管は近くの”自転車預かり”に保管してもらうことに。
当時は今のようなオープンスペースの駐輪場などは無く、貸主が自宅で専業として自転車等を預かっていた。

ほどなく、僕がトーハツを預けた時の領収書が学生服のポケットに入っているのを母に見つかり、父から大目玉を食らったのだが、「買ってしまったものはしょうがない。」ということに・・・。


高校はバイク通学禁止だったのだが、どこ吹く風で毎日バイク通学をすることにした。
ある時、帰ろうとしていたら、指導部の教諭が「OO、ちょっと来て手伝ってくれ。」と言うのでついて行くと、校舎裏に駐めた僕のバイクのところに。

一緒に教員室裏に移動したのだが、急いでバイクで下校。
その後は、学校敷地外に駐車したのだが、何事もなく1年が過ぎた。

当時は大都市でもバイクはノーヘルで乗ることができた。
毎日の通学は学生服に学生帽で方からバッグを下げてトーハツツインアローで通学したが、運良く転倒事故もなく過ごした。

当時はバイクに乗るときは、車が突っ込んできても交差点で逃げれるように、絶対にニュートラルにはしないのが鉄則だった。

舗装してある道路でも路肩近くは砂がかぶっている。
当時の名古屋では青信号が黄色になる前に、青の点滅があった。
黄色になる前急いでに加速してくる自動車もあって交差点では気が抜けない。

ふらふらと荷物を積んだマツダの三輪トラックが道を曲がってくるときには、注意を要する時代だった。

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奈良公園にて。

クラスメートとは大学入学が決まった時に、同じツインアロー2台にもう一人のクラスメートを乗せて3人で京都・奈良へツーリングに出かけた。

さすがに名神高速道路ではヘルメット着用が義務付けられていたのだが、125ccの高速道路での2人乗りは許されていた。

小学校修学旅行以来の京都は先斗町に泊まって楽しかった。
ツインアローで嵐山でも猿を横目に見ながらグイグイと登っていく。


帰路、後もう少しで帰り着くという高速道路上で友人のツインアローがガス欠。
当時はガソリンとは別に混合オイルを燃料に入れるのだが、少し焼き付いたか?

分解してなんとか走るようになった。

原付き2種とはいえ、パワーが有って、とても乗りやすい楽しいバイクで、オープンカーに憧れる基をつくった愛車でした。

1年数ヶ月の間、浅間やマン島レースの詳細は知らなかったが、モーターサイクルの醍醐味を味わった。

カーグラ連載の「北緯40度線探検隊」には心を踊らせた。
読み直そうと調べたら、筆者は逝去していて、著書はAmazonでは5,800円!


原付き2種の運転免許は後の免許改定で自動的に大型2輪免許に更新され、大きなバイクにも乗れることになった。
43年後に台湾製 KYMCO 250ccスクーターまで乗ることはなかった。

今でも車の脇を走る大きなモーターサイクルを見ると、時として羨ましくなるのは歳になって乗れなくなったせいだろうか・・・。

KYMCOスクーターは国産スクーターが大きなボディで加速が悪い中、軽量ボディで抜群の加速をしてくれ、年甲斐もなく対バイクでもギアチェンジの間に追い越すことができる俊足車だった。

Posted at 2021/04/19 13:03:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月18日 イイね!

ジャガーMk2とEVERGREENS。

ジャガーMk2とEVERGREENS。ジャガーMk2とEVERGREENS。

いつも思うのだが、趣味の車を持った時にできること、感じることはメンテ、ヒストリー調べ、自己満足のツーリング、所有した達成感・・・。なのだが、自動車クラブに入って同じ趣味の人達とクルマ談義も楽しい。

日本のジャガークラブはなんだか高尚すぎて恐れ多くて庶民の僕には・・・。
イギリスでも、ジャガークラブに対抗して新参の(当時の話)ジャガーエンスージアストクラブが出来ていた。
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派手な性格ではないので、見せびらかそうという考えは無いし、僕が旧車に興味を持つのは歴史、背景、メカだ。
当時はSAABクラブにも入っていたのだが、日本の車クラブの多くは必ずしも古い車に興味のある人達ではない。

部品を集め、レストアする苦労を自動車クラブの人達と心底分かち合えるかといえば、「そうだ」とは言い切れない。
キャブも何回もばらして組み上げたりしたが、インジェクションや車載コンピューターはからっきし知識がない。
古いものが好きなのだから、勉強しようという気が起きないし、車の減点は歴史でメーカーの旧車に目が行ってしまう。

古い車に造詣の深い自動車クラブが本当の自動車クラブだと思ってしまう。


孤独な時に、情報源になり、気軽にパーツを購入できるショップがあるのはとても心強い。
市ヶ谷にあるB.R.Gを訪れた時に、オーナーが「OOさん。紹介したい人がいる。」とEVERGREENSの会長を紹介してくれた。
B.R.Gは今もあるお店だが、未だにホームページも持っていない玄人のオーナーの店だ。

会長とお話してみると、60年代の英国ライトウエイト車のクラブだとのこと。
僕に入会してみないかとおっしゃる。
僕の車は重戦闘機だが、「クラブの趣旨に問題はないか?」と聞くと、ローバー2000などの僕の好きな英国車の人もいるという。
英国車・60年代をメインとするクラブだ。

入会してみると、すごいクラブで、どの車も非の打ち所がないレベルのレストアがされている。
何台ものクラシックカーとメカニックを抱えている有名な姓の方などがいらっしゃる。

ロータス・エリートをFRPから剥がして、フルレストアした方のロータス・エリートは、後にクラシックカーファスティバルで優勝してた。

このクラブに入って、本当のレストアがどういうことかと。
レストアへの遠い道のりを諦めることになった。


明治記念館でのクラブOO周年の式典では、小林彰太郎氏やジャガージャパンの社長などが演壇に立って祝辞を述べた。
演壇では、小林彰太郎氏がジャガージャパンの社長に気を使ってか「新しいジャガーもいいですよ。」

クラシックカーに造詣の深い小林彰太郎氏の言葉に、思わず、皆は苦笑。

1992年のクラブ主催のジョイントツーリング(Lalacatのタイトルに有るステッカー)では湘南のヒルクライムからの山道下りコーナーであまりのハイスピードライトウエイトスポーツカーの速度と身のこなしに、重戦闘機のMk2の両輪が浮いてヒヤッとした。
直後につけていた会長もびっくりしたらしく、「Mk2。よくついてきた。さすが。」と感心していたが、事故にならなくてよかった・・。ということかも。。

この時ばかりは、以前クラスメイトから購入した「ロータスエランS4・フィックスヘッドクーペだったら、もっと攻めれたのに。」とライトウエイトスポーツカーとの違いを理解した。
Posted at 2021/04/18 14:46:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月17日 イイね!

Jaguar Mk2 3.8 MT

Jaguar Mk2 3.8 MTジャガーMK2 3.8L 右ハン、マニュアルオーバードライブ付き、ワイヤーホイール。

SAABは仕事のときにも使うメインカーだったが、その時々で工面して乗りたい車を所有してきた。


英国という国にとても興味がある。車は英国車が好きだ。
ドライバーはフライイング・スコットが好きだった。

ジャグアーのMk2 3.8に興味が湧き、1年ほど都内を探しまわった。


英国車の、とある有名なガレージに探しに行ときには、社長にアストンを強く進められて参ってしまった。
彼は、中古車値がほぼ同じ車を探している僕に良かれと勧めたのだろうが、断るのに苦労した。

昔の総輸入元だった日英自動車に電話をした時には電に出た女性に「マーク2を探しているのですが。」というと、「うちはトヨタは扱っていません。」とにべもなく言われ、苦笑したことも。

ジャガーのMk2 3.8はジャガーの中ではコレクターズアイテムなのだが・・、
今ほどメディアのない時代は中古車屋かカーグラの最後の方のページの個人売買の記事しか探すあてはない。

記憶が曖昧だが、その後のレストアの過程で購入中古車屋の記憶がないので、カーグラの個人売買で手に入れたのだろうと思う。

3.8Lエンジンは良い状態で焼付を起こした形跡もなく、プラスアースの配線被覆は焦げた形跡の無く、足回りの猫足もグッドな状態。、内装についてはレザーシートもウッドトリムも後席の折りたたみ式のテーブル面を除いてかなり傷んでいた。

Mk2用のコノリーレザーの内装キットは国内で手に入るが100万する。
英国から購入することにしたのだが、僕はビスケット色(クリームよりも黄色がかって温かい色)のレザーがとても好きなので、できたらこの色にしたい。

Mk2外装色は黒(僕の好きな色はシャーウッドグリーン・深い森のダークグリーンなのだが、塗装色までも変更するとオリジナルを損ねる)なのだが、塗装色とレザーの色の組み合わせで同セットがあるかが分からない。
いろいろあたっても解決しない。

後には、英国のジャガークラブと出来て間もないジャガーエンスージアストクラブに入会したのだが、この時点では情報源がなかった。

偶然、横浜での骨董市でジャガーの小冊子が売りに出ていた。
どうも、外装色と内装レザーの組み合わせはこの小冊子でしか分からない。
この小冊子自体がコレクターズアイテムになっている。

嬉々として言い値の15,000円で購入。「うーん。高い。」

組み合わせがあることが分かったので、早速注文。
コノリービスケット色の内装キットが届いた。自分で輸入したので全部込みで30万円ですんだ。
タッカーとベニアの棒を購入して自分で交換することに。

どこで見たのか、レストア中にTV局のスタッフから突然電話があり、「緒方 拳 主役のドラマで使わしてほしい。」と・・。

残念ながら中はがらんどうで運転など出来ない。
またとない機会を逸して一抹の残念さはあったが、都内の有名なジャガーの店を紹介した。

ウッドはばらして新橋のピアノのレストア屋にニス塗りを依頼。

高級で厚みのある素晴らしい出来上がりだったが、オリジナルより暗い色になり、僕の希望とは違っていた。
ピアノのレストア屋さんがベストを尽くしてくれたことは素晴らしい仕上がりでもよく分かる。

それだけに僕の指示が至らなかったのは、残念。


個人ユーザーが経験不足の中で直接依頼には、やはり限界がある。
餅は餅屋ということか。

内装のコノリー貼り付けも、細かいレザーのセッティングに苦労したので、最終処理は玄人の内装レストア屋さんに依頼することに。

SAAB95は生き残っていないようだが、僕のMk2は今も生きているのだろうか?

ジャガーではいろいろの出会いがあったが、また次項・・・。
Posted at 2021/04/17 18:40:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月15日 イイね!

プリンス・スカイラインGT-A

プリンス・スカイラインGT-Aプリンススカイライン GT-A

1966年当時所有していました。

GT-Aはプリンスグロリア・スーパー6と同じ105hpシングルキャブの6気筒エンジンで、ボディ横のGT-Aバッチ色はブルー(GT-Aは赤)。

日産マイナーチェンジ前のモデルでラジエターグリルのデザインが横型でなく縦型です。

僕の記憶ではプリンスの生産型だったとの記憶ですが・・・。

購入の時、プリンス時代に製造しての在庫車とのディーラーの説明でした。
購入した時には、なぜかラジエターの水がクーラントではなく、普通の水だったのか?サビが浮いていて、そこそこの在庫していた車との印象を受けました。

そのせいか? 1年ほど経て西伊豆周遊の時にラジエターから水漏れして、戸田の港の船舶工場で、ラジエターを水タンクに入れて、漏れている部分を見つけてロー付して直してもらいました。


鈴鹿の第2回グランプリで生沢徹の運転するスカイラインGTが一時的とはいえ、式場壮吉のレーシングポルシェ904を抜いてトップに出るなど実力の片鱗を見せつけました。

僕の当時の勝手な思い込みでは、両ドライバーの運転技術の差だと理解していましたが、TVでは心躍る場面でした。

同時期にクラスメイトがプリンスのGT-Bを所有していて、比べてみたことがあります。

ウエーバーの3連キャブは多少のばらつきがあり、街乗りにはいささか適していない車だという印象でした。

間違った記憶かもしれませんが、ローはノンシンクロだった記憶があります。当時の自動車はローノンシンクロの車がそこそこありました。

彼の車はルーフが赤で、外観でもGT-Aのくすんだ白一色(白にグレ薄いーが入ったような色)とは違いがありました。

当時の地方では未舗装も多く、ラジアルタイアも普及していない時代です。少なくともレース場では良くてもラリーでは持て余す車でした。


GTAなので父家所有していたグロリアと同じエンジンでローもシンクロで使いやすいと言うべきか、初めての4輪車なのではたして運転しやすい車であるかどうかの判別が当時はつきかねたのですが、父のグロリアによく乗っていたので、エンジンの挙動は慣れ親しんだ車でした。

GT-Aの方もそこそこ運転しにくい車でした。ブレーキこそサーボが付いていましたが、ハンドルはノンサーボで低速のときはかなりの腕力が必要で、ロングノーズと相まって世田谷の狭い道では切り返しに苦労した記憶があります。

パワーは当時の日本車をしのいでいて、足回りはバランス良くまとめられていて良好でした。

ダートのラリーでもミスコース時の切り返しとかは、いささか持て余した記憶があります。

草ラリーにはスバル1000がベレットが向いていましたが、GT-Aでナイトラリー、JAFラリー、タイムトライアルと思う存分楽しみました。
Posted at 2021/04/15 20:27:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車履歴 | 日記
2021年04月14日 イイね!

良くも悪くも大人のイメージのマニアックなGTカーでした。

良くも悪くも大人のイメージのマニアックなGTカーでした。時代が移り、GT-Aのボディサイズも運転しやすいサイズの車といえます。
今となっては、所有なさるならGT-Bを。
Posted at 2021/04/14 15:11:38 | コメント(0) | クルマレビュー

プロフィール

「トーハツ ツインアロー の思い出。 http://cvw.jp/b/3234552/45032021/
何シテル?   04/19 13:03
僕の自動車遍歴 ()は同時期所有 ① トーハツ ツインアロー バイク ② プリンス・スカイラインGTA(プリンス縦型ラジエターグリル) ③ マツダ・フ...
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1966年当時所有していましたプリンス・スカイラインGT-Aです。

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