2011年05月10日
9日の昨日、 蒸し暑さから 汗ばむほどのお天気でした。
今日は ちょっと個人的な日記を書きます。
長文になろうかと思いますので スルーされて構いません。
5月8日AM1:05、 私の大切な友人が他界しました。
享年57歳。
まだまだ旅立つには 早い年齢でした。
彼との出逢いは、かれこれ13年前。
当時勤めていたクリニックの入院患者さんでした。
「ことりは、可笑しくなるくらいズバズバ言いたいことを言いやがる」
当時、彼はそんなことを言っていました。
いつしか ナース・患者の壁を超え 家族ぐるみのお付き合いをするようになりました。
私が結婚を決めたとき
子供を産むとき
結婚生活を清算し、新しい人生を選ぶ決心をしたとき
味方になり、支えてくれ、守ってくれたのも 彼と彼の家族です。
早くに父を亡くした私にとって 兄貴のようであり 父親のような存在でした。
彼のことを 信頼をこめて 「父さん」と呼んでいました。
うちの嬢が生まれたときも 1番に家族で駆けつけてくれ 新生児室のガラス越しに 愛おしそうな目で眺めていたのを今でも覚えています。
再婚を決めたときも、喜んでくれ、そして今の旦那をとても可愛がってくれました。
2年前、彼の体に癌が発覚し闘病生活が開始。
去年の嬢の運動会へ杖をつきながら見に来てくれました。
「ユキの運動会を見れるのは、今年で最後かもな」と ポツリとつぶやきました。
彼は、すでに天命を知っていたのかもしれません。
度重なる抗がん剤の治療。
痛みや苦しみに耐えきれず、病院のベッドから何度か電話がかかってきたことがあります。
電話がかかってくるごとに、言葉が聞き取れなくなっていき
最後には、吐く息しか聞こえなくなっていきました。
私は 話しかけ続けることしかできませんでした。
「俺にとっての初孫は、ユキだ。 ユキに会いたい」
願いを叶えるべく、私と嬢が面会にいくと、どんなに苦しくても 笑顔で迎えてくれました。
死の2日前、意識混濁していくなかで、私や嬢の声に反応し、目を開け 手を握ってくれたのが、最後となってしまいました。
9日の昨日、葬儀に旦那・嬢とともに参列。
彼は 花に包まれ、ユキからの手紙を胸に抱いて 旅立っていきました。
彼を通して いろんな人と出逢い 御縁をいただきました。
親戚や人との交流も希薄になりつつある昨今、こんなにも 交流を深め 信頼できる友人が持てたことを幸せに思います。
父さん 今までありがとう。
私の家族をを大切にしてくれて ありがとう。
父さんに 愛されて 幸せでした。
感謝の気持ちでいっぱいです。
どうか 安らかに。
Posted at 2011/05/10 04:41:16 | |
トラックバック(0) |
つぶやき | 日記